87.深遠に眠る


スライドした床はコブラさんが見つけたスイッチを押すと、仕掛けが作動して、床が横に移動し地下への入り口が開く仕組みだった。
一定時間経つとスイッチが上へとせり上がり、それに反応して床が閉まるようになっている。

穴あきのベルトコンベアが仕掛けられているようなものだ。
それがスイッチを押す度に回転し、所定の位置に収まると穴が空いた部分がピタリと嵌まる。

備え付けの梯子を下りて、踊り場のような場所に下りる。
更にそこから階段を覗き込むけど、長い階段の果ては見えない。

でも私たちはその階段を下りている。

「一体何段あるのかしら…」

「いい加減飽きて来たぞ、オレ」

アミちゃんとアスカは長い階段に辟易していた。
私はといえば、階段を一段一段下りる度に、不安が…意味の分からない生き物が背中を這いずり回るような、そんな言い知れない感覚を感じていた。

この先に何があるのか、私は分かっているような気がした。

あの厳めしい鍵を灰に紛れて隠していたのは、他でもない私なのだから。

二人には適当な相槌を打つ。

「位置的には研究所の敷地内から出ていないはずだ。
もうそろそろ扉か何か見えて来て欲しいところだな」

そんな悠長なことで良いのだろうか。

「でも、非常灯があるってことは、当たりってことで良いんじゃないでしょうか」

控えめなユウヤの声が聞こえた。
彼もジンも顔には出さないけれども、少しばかり疲れ始めているのが分かる。

時間が掛かれば、ミゼルに付け入る隙を与えることになる。
それに下に行く毎に無線にノイズが多くなってきているから、外部と連絡出来ないのはかなりの痛手になる。

なるべくならば早く終わらせたいというのが本音だ。

「そうだと良いが……」

不穏なことを言いかけたリリアさんの言葉が止まる。
同時に動きも止まって、リリアさんの後ろを歩いていた私は彼女の背中にぶつかりそうになる。

お前が前に行けと言われた時からこういうことも想定しておくべきだったなあと、比較的どうでも良いことを思いながら、彼女を見上げる。

普段とあまり変わらない表情に見えたが、焦りが無くなったような気がした。

「?」

「噂をすれば影が差すというのは、日本のことわざだったか…」

「A国にも同じような言葉はありますが、一体何が…」

リリアさんの言葉に答えたのはジンだ。
私はリリアさんの脇からちらりと彼女が視線を向けていた先を見る。

階段の段差すら物ともしない私とリリアさんの身長差では、私は彼女の体の端から向こう側を覗かなくてはならない。
リリアさんを盾にするようにしながら、前を見て、彼女が言葉を区切った理由が分かった。

噂をすれば影と言う。

そこには扉があったのだ。

階段を全て下り終えて、扉に近づく。
アナログな扉はドアノブが据え付けられていて、リリアさんが何度か扉を叩いた後に慎重に扉を開いた。

「当たりだな。ここだ」

薄く開いた扉の隙間から中を見て、リリアさんが呟いた。
リリアさんが何度か無線で連絡を取り、電気を通す範囲を広げるように指示を出す。
開いた扉の隙間から、ジジッと電気の通るような音がした。
リリアさんがその光に眩しそうに目を細めて、「ちっ」と舌打ちをした。

今まで暗い所にいたから、突然の明るさにジンたちに比べて対応出来ない故の舌打ちだろう。
リリアさんは懐から色つきの眼鏡を取り出して掛ける。

私たちは念のためLBXを出して、戦闘に備える。

ベクターはいなくとも警備ロボがいないとも限らないからだ。
LBXが開発された年数の関係上、ここが出来た当時は警備面においては中型ロボットが主流だったと聞く。
いるとすればそれだ。
倒せない相手じゃないだろうけれど、面倒な相手に変わりはない。

「行くぞ」

リリアさんがドアノブを回して中に踏み込む。

「まっぶし!」

背後でアスカが叫んだ。

それはその通りで、久しぶりの光の多さにかなり眩しい。
視界がぼやけるのをどうにか我慢して、室内を覗き込む。

水族館という印象が最初だった。

随分と形は違うけれど。

円筒形の水槽が整然と並べられ、太い管や接続端子が見えた。
中に水が何かが入っているのだろう、細かい気泡が弾ける。

水槽の中には何もいない。

警戒しつつ中に入って確かめても、そこには何もなかった。
ごぽりと泡が上へと上がっていく。

「ここがクローン用の施設…」

ユウヤが呟く。

そう言われれば、目の前の水槽は試験管のようで、ここが実験施設であることを認識させる。
この試験管の中には人間が入っていたのかもしれない。

今は何もいないけれど。

「……うげえ」

想像でもしたのだろう。
アスカが気味悪そうに声を出す。

「使われた記録はあるんですか?」

「いや、結局資金難と生命倫理の観点から計画は先送りにされて、閉鎖されるまで使用されることはなかったらしい」

アミちゃんの質問に答えながら、リリアさんが水槽を軽く叩く。
眼が光に慣れたのか、もう眼鏡は外していた。

私は彼女の言葉に本当に? と私は問い詰めたくなる。
もう良いじゃないかと妥協したけれど、過去の中にある本当のことだけで十分だと思っても、事実が心臓を握りつぶそうとするのは確かなのだ。

息を吐く。
肺の中の空気はまだ夜明けの気配をさせている。

ジンからの心配そうな視線が視界の端に入った。
大丈夫だよ、と笑みを返す。

リリアさんは地面を這うパイプもつま先で蹴った。

鈍い音が室内に反響する。

パイプの中からはこぽりと水の音がした。
多分、水槽の中の水が循環しているのだ。

「おい! コンソールがあったぞ!」

コブラさんの声でリリアさんがそちらの方に向かう。
私たちもパイプや配線に気を付けながら、彼女に付いていくと、簡素なコンソールが見えた。
取ってつけたようなコンソールは電気を通すと同時に電源が入ったのか、画面に数字の羅列が浮かんでいた。

「思ってたよりも単純なセキュリティだ。
情報を引き出すのは難しくないぜ」

コブラさんは既にタブレットとコンソールを有線で繋いでいて、セキュリティの解除に取り掛かっている。
リリアさんは直接コンソールを操作しながら、セキュリティの解除された部分から情報を読み込んでいく。

横からすっと近づいて覗いてみたが、特に邪魔されることはなかった。

「ロシア語か」

「ヨルは読めんのか?」

「少しだけ」

幼稚園児レベルから小学生レベルになった程度の語学力で、どうにかなる程度であれば良いけれど。

キリル文字を目で追う。
私の知っている単語もあれば、そうでないものもある。

私が読んでいるからと言って、画面をスクロールするのを待ってはくれない。
リリアさんは時間短縮のためにどんどんと読み進めていくので、取り敢えず拾える文字だけ拾うようになる。

「読めてるの?」というアミちゃんの質問に「単語でならなんとか」と答える。
考え込むような、明らかに微妙だと思っているけれど隠そうとしている表情をさせてしまったのは、本当に申し訳ないと思った。

単語で拾えた分をなんとか文章にすると、背後にある水槽に中身は海水に近い成分をした液体で、その中に人間を入れて育てる計画があったということぐらい。
特段驚くこともない、予想された話である。

要は羊水なのだ、あれは。

「駄目だな。無線が全く聞き取れない」

こつこつと無線機を叩きながら、リリアさんは言った。
確かにノイズの砂嵐のような音が聞こえるから、その言葉通りなのだろう。

そうならば、余計に早くこの場を後にしなければ…。

「?」

不意にアスカが首を傾げる。
別におかしな動作ではなかったけれども、そうする理由が今あるかと問われれば疑問がある。

私がそのことを問おうとするのと、アミちゃんがぐっと私の身体を引っ張ったのはほぼ同時だった。
私は疑問を浮かべる前にCCMを構えた。
ジャバウォックを異常が起こるより先に前に出す。

硝子の砕ける音が響いたのはそのすぐ後だ。

「ベクター!」

いち早くその姿を発見したらしいアスカの声が室内に響く。
素早く攻撃体勢に入ったヴァンパイアキャットを視線で追う。

姿を捉えたと同時にヴァンパイアキャットの武器がベクターに向かって振るわれる。
空振りしたそれは水槽を叩き割り、アスカの舌打ちが聞こえてきた。

ベクターが避けた方向にトリトーンとリュウビが構えていたが、上方向に逃げられたことでそれも避けられた。
床を穿つ音が響く。

「ゴーストジャックをされたLBXは!?」

ジンがリリアさんに向かって叫ぶ。
破壊音に紛れて、彼女の声が聞こえてきた。

「反応はない! 幸いにしてミゼルオーレギオンの反応もないが……」

リリアさんの言葉を最後まで聞かずに、ジャバウォックで視界の端に捉えた物体を攻撃する。
見慣れたフレームに赤く光るカメラアイ、グリーンのラインが流星のごとく高速で動くのが見えた。

ゴーストジャックされたLBXがいない代わりにベクターがもう一体いる。

ベクターへの有効な対策は今のところない。
触れられればゴーストジャックされ、だからと言ってここを引けば遺伝子研究所のデータが盗られる。

「データのコピーは……!」

「まだだ! 八割方終わったが……」

「………」

リリアさんは考えるように黙った。
それは数秒のことで、彼女は次の瞬間には顔を上げていた。

「データを持ち帰ることを諦める。
ここから離脱するぞ」

「離脱するって簡単に言うけどなあ……」

アスカの頬を冷や汗が伝う。

一体でも手こずるベクターが二体。
加えて、位置が悪い。
私たちとは反対側、ベクターを挟んで向こう側に扉がある。
ベクターたちをどうにかしないとここから離脱することもままならない。

ジャバウォックがベクターの振り下ろされた重い一撃に床に叩きつけられる。

そのままベクターは私に向かってきた。

「ヨル!」

パンドラがホープエッジでベクターを切りつけ、ヴァンパイアキャットが近くの水槽にベクターを殴りつけた。
砕けた硝子の穴から水が吹き出し、錆びついた潮の匂いをした水を被る。

「無事か!?」

「げほっ…なんとか」

アスカの問い掛けに口の中の塩辛い水を吐き出しながら言った。

ピリピリと舌が痛い。
少し呑み込んだのか、喉が痙攣してえずく。
水槽の陰に私を引っ張り込んだジンが私の背を撫でてくれた。

ジャバウォックがまだ戦えることを確認する。
ブレイクオーバーが近いけれど、まだ動ける。

水槽の後ろに身を隠しながら、ベクターの動きを見た。

トリトーンの攻撃が避けられ、水槽がまた一つ破壊される。
錆のような匂いが漂い始めた。

「徐々に位置を入れ替えていくしかないな」

「ええ。
機動力のあるパンドラとヴァンパイアキャットで撹乱して、残りの三体で押し切りましょう」

「でも、施設の破壊はどうするんだい?
僕たちが離脱するだけじゃ、根本的な解決にはならないよ」

アミちゃんの案が最善であると同時にユウヤの言葉も尤もだ。
ベクターをどうにか出来ても、この内部でベクターを閉じ込めたのではデータは盗まれる。
時間があればデータの消去も選択肢の中にあったかもしれないけれど、もうそれが出来るような状況ではないのだ。

ベクターを破壊して、尚且つデータのあるこの地下施設を破壊できる手段。

古びた潮が舌を刺激する。

水槽から零れた水が波紋を生み出していた。



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