82.闇夜をゆく航路

《かぎ なげる こわす》

俺はCCMに送られてきたメッセージをもう一度見る。
我ながら、よくこれだけの文章であれを実行したと褒めてやりたい気分になった。

アキレス・ディードが壊した鍵は粉々に砕けて床に広がり、少しだけ鉄の焼ける匂いがした。

とりあえずは俺たちの前からミゼルが姿を消したことが分かると、ヨルはふうっと細く長く息を吐いた。
張りつめていた空気が少しだけ緩む。

そしてヨルはゆっくりと手を動かすと、上着の内側に手を入れた。
何してるんだ、とその場にいる全員で首を傾げていると、ヨルは何かを握るようにして、上着から手を出した。

その手の中には、俺が壊した鍵と同じ…橙色の照明に照らされて鈍く光る複雑な形をした鍵が見えた。

「ヨル、貴女……」

ジェシカが目を丸くして、ヨルと鍵を交互に見る。
そりゃそうだよなあ、とどこか他人事みたいに見ながら、俺も驚いていた。

ヨルは…そうだよな、こういう奴だよなあ。
一年前もこれで一杯喰わされたのを思い出す。

あの時と同じだった。
ヨルは笑いながら、指の腹で鍵を弄る。
それから、深く息を吐いて、俺たちに笑いかけた。

「上手だったでしょ、本物の鍵みたいに見えた?」

悪戯を成功させたガキみたいに笑って、ヨルはそう言ったのだった。


■■■


敵を欺くにはまず味方から、という言葉がある。
詳細は大して知らないが、中国の武将の言葉らしいと記憶している。

つまるところ、何が言いたいかといえば、僕たちは物の見事にヨルの計略に乗せられたということだ。

遺伝子研究所への扉を安全に開けることの出来る手段は、他でもないヨルの手によって失われてしまったと思っていた。
しかし、それは違ったのだ。

「オメガダイン」での戦闘からすぐにエネルギー基地での戦闘。

疲れているだろうに疲労の色を一切見せないヨルの手の中には、複雑な構造をした鈍い色を放つ鍵が握られていた。

「だ、騙された…!」

ヨルの手の中の鍵をまじまじと見ながら、ランがそう言った。
緊張感に欠ける言葉ではあったが、その言葉にはヨルに向ける感情に何ら変化がないことを如実に示していた。

「ヨルさんって演技派なんですねえ」

ヒロがしみじみと言う。

どこか似通った二人の反応にヨルは少しだけ目を見開いたが、すぐに表情を元に戻して、「そうでしょ?」と小首を傾げて見せた。
その様子をアミは相変わらずと言うように見て、カズは「あれだから騙されるんだよなあ」と諦めたように言った。

僕も二人の言葉に頷くしかない。

ヨルの優れているところはその切り替えの速さにもあるのだ、と僕は思った。

ミゼルと以前会話したと言うことは、本来ならば僕たちに言っておくべきことだった。
その隠し事ひとつで、僕たちの関係は瓦解しかねなかったが、ヨルが彼女自身の言葉で、行動でミゼルを拒絶したことでそれは実現せずに済んだ。

表情には見せない不安を隠すように掌の鍵を指の腹で撫でながら、ヨルは事の経緯を僕たちや山野博士たちに話し出す。

山野博士たちはヨルに質問する形で、話を進める。

自主的に全て話すよりも幾分か話しやすいだろうが、それでも針の筵のようだと思えてならない。
視界の端でユウヤが自分のことのように胃を押さえるのが見えた。
質問されているのは彼ではないだろうに。

どうしてミゼルと会話をしたことを黙っていたことから始まったその質問に、ヨルは信じられない程穏やかな声と眼差しで答えた。

「知られたくありませんでした。
鍵のことも、お父さんのことも。
ミゼルに何を言われたのかを言えば、理由を話さなければいけないと考えました。
だから、このまま何もなければ、ずっと黙っているつもりでした」

穏やかな声音でそんなことを言う。

ヨルの言葉に僕たちは目を丸くするしかなかった。

穏やかな声に反して、込められた感情は本物であると直感する。
彼女は状況が許すのであれば、ずっとこのことは隠し通しておくつもりだったのだ。

それをヨルはいつから決意していたのだろう。

僕はイギリスでヨルの部屋に入った時のことを思い出す。
簡素なヨルの部屋にあったロシア語で書かれた設計図が脳裏を過ぎった。

点と線が繋がるというのは、こういうことをいうのかもしれない。
記憶が脳から引き出され、今まで気にも留めなかったことが嘘のように繋がっていく。

僕は誰にも気づかれないように息を吐いた。

ヨルへの質問は淡々と進められ、鍵の仕組みは知っているかどうかやどこで手に入れたのかを話していく。

鍵の組成がどうなっているかは知っているが、どうやって使うのかは知らないということ。
父親の部屋を整理している時に見つけて、隠さなければと思ったこと。
その隠し場所に自分の骨壺を選んだことを、淡々と。

粗方質問が終わると、ヨルの手の中の鍵を渡すように拓也さんが促した。

ヨルは頷くと、躊躇なくその手の中の鍵を差し出す。
それを受け取る山野博士はとても申し訳なさそうにしていたが、反対にヨルは穏やかなままだ。

「やっと重荷が下りました」

ヨルが鍵を手放す。
山野博士の手の上に落ちた鍵を見ながら、ヨルは漸く疲れたと言うように溜め息を零した。
それから、困ったように微笑んで口を開く。


「正直、もうへとへとだったので」




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