81.雨宮ヨルU


酷い父親だと思う。


■■■


ヨルはゆっくりと顔を上げた。
覚悟を決めた人間の目をして。

その青い眼差しに、あの日、あのヘリポートで泣くように笑っていた虚ろな色はなかった。
思わず、こんな場面にも関わらず、僕はその眼差しの強さに目を丸くしてしまう。
そんな僕とは反対にアミが視界の端で拳を握るのが見えた。

口元が微かに動くのが見えた。
小さな声でもその声ははっきりと聞こえた。


「やっちゃいなさい、ヨル」


実に好戦的な一言だった。
それでいて、これ以上ない程ヨルを信頼して放たれた一言だということが分かる。

ヨルはアミの言葉が聞こえているのか。
実際にはそんなことはないのだが、それでも今度は鼓舞するように拳を握ってから、静かに口を開いた。

《残念だけど、ミゼル。
私は君に協力する気はない》

ヨルははっきりとそう言った。
彼女のその言葉にミゼルは訝しげな表情をつくる。

《どうしてだい。
死者が蘇ることは君にとって幸福だろう?
会いたい人がいるんじゃないのかい》

ミゼルの言葉は的確だった。

ヨルには会いたい人がいる。
もう一度話したいと望んでいる人がいる。

人生を賭けて、と言っても過言ではないだろう。
自分の全てを賭けてでもいいから、出会いたかったと願ったはずなのだ。

そんなことは叶うことはなかったけれど。

《……会いたい人はいるけれど、でも、その答えはもうとっくに出てる。
死者はそのまま眠っているべきなんだよ。
私がそうだったように》

とうの昔に答えは出たとヨルは言う。
それにミゼルはへえ、と口角を上げた。

何も知らないアスカたちはヨルの言葉に疑問符を浮かべているが、それに今答えられるほどの余裕はヨルにも僕にもない。

《それに……》

ヨルはまだ顔を上げている。

眼差しは鋭く、それでもその奥に隠し切れない痛みがある。
ヨルは堪えながら、細く長く息を吐き、言葉を続けた。

《クローンでつくったお父さんやお母さんたちは私のお父さんやお母さんじゃないんだよ》

この意味が分かる?

ヨルはまるで幼子に言い聞かせるように、柔らかに
言葉を紡ぐ。
場違いなほどの柔らかい声をしていた。

《遺伝子情報が同じならば、個体としては同じだろう。
それにクローンは君を見捨てたりはしないさ》

僕がそうしてあげるよ、と至極当然と言うようなミゼルにヨルはゆるゆると首を横に振る。
そして、自嘲するように微笑んだ。

《遺伝子が同じでも、お父さんはお父さんにはならないし、お母さんはお母さんにはならないんだよ。
私は鳥海ユイになれなかったし、私は『優しい両親』を求めてるんじゃないから》

前髪を僅かにかき上げて、ヨルは言った。

亜麻色の隙間から見えるのは目が醒めるような青色だ。

僕は一年前に見たヨルの家族写真を思い出す。
髪の色と目の色がまったく違う双子。

ヨルは痛みと切なさを孕んだ目をして、優しい両親はいらないと言う。

ひやりと心臓を冷たい手で握られる。
息が苦しい。
酸素はそこにあるはずなのに、飲み込めている気がしない。

それでも、聞かなければいけない。

僕にはその責任がある。

《優しくなくても、無視されても、同じだけの愛情をくれなくても、私にとってお父さんもお母さんも……お姉ちゃんもたった一人なんだよ。
クローンなんていらないし、優しさをくれる両親なんてもっといらないし、代わりが出来るとも思わない》

ヨルははっきりと、自分の言葉でそう言い切った。

代わりはどこにもいない。
つくりだすことも、自分自身がなることも出来ない。

それはヨルの経験から導いた厳然たる事実だった。

自分も他人も傷つけて、そうやって導いたヨルの答えだ。

《誰も誰かの代わりは出来ないんだよ。
ミゼル、君にとっては感情的で非効率な理論かもしれないけれど、誰かの代わりをその誰かのそっくりさんに務めさせようなんて、人間を舐めすぎてる》

そこで彼女は不敵な笑みを浮かべる。
自信に満ちた、人を馬鹿にしたような笑みは演技染みているのに、しっくり来るのが憎らしい。

視界の中でアミが拳を握り、バン君が目を丸くするのが見えた。

僕は右手で自分の胸を掴む。
服に皺が寄るのも気にしなかった。

一年前、僕の腕を掴み、答えを欲していたヨルは今自分でその答え合わせをしている。

それが合っているのかどうかは僕には分からない。
答えをくれる人はもういないことに加えて、ヨルが欲しいのは模範解答ではないからだ。

《……そう、君は僕に協力する気はないんだね》

静かに、威圧感を持った声でミゼルが言った。

すっとミゼルの目が細められ、明らかな敵意を持ってヨルを見た。
見られたヨルは笑みを崩さずに、まっすぐにミゼルを睨み返す。

そして、ヨルは何故かゆっくりとした動作でスカートのポケットを探った。

ポケットから取り出した手の中には、鍵があった。

鈍い金色をした厳めしい鍵。

ミゼルに見せられた設計図通りの、それよりも更に複雑な構造をしているかのように見える鍵をヨルは持っていた。

アスカが視界の端で眉を顰める。

《協力はしないけど、》

指の腹で金色の鍵を弄りながら、ヨルは視線を鍵へと落とす。
彼女はそれをどこで見つけたのだろうか。
推測は簡単にできるが、それを全て詳らかにするのは憚られた。

《責任はちゃんと果たすよ》

ヨルは視線を落としたまま、そう言った。
その言葉に目を丸くしたのはミゼルの方だった。

それを目敏く拾ったであろうヨルは舞台女優のように大袈裟な動作で手を広げる。
CCMの画面はもう見る必要がないのか、ミゼルの姿ではなく別の画面が映っているのが見えた。

そして、全ての感情を呑み込んだ、深い笑みを浮かべた。
聞き分けのない弟を持った姉のようにも見えるし、目の前の人物を嘲笑するようにも見える。
見る人物によって感情を変えて、緩く深く青色が揺蕩っていた。

《お父さんが始めたことだし、私が引き継いだんだから、その責任はちゃんと取るよ》

はっきりと、迷いは全て捨てたとばかりに、ヨルはそう言った。
指の腹で撫でていた鈍い色を放つ鍵をふらふらと揺らす。

それを鋭く睨みつけるカズの姿が画面の端に映った。

ヨルは鍵を揺らすのを止める。
金色の鍵を一瞥すると、にこりと完璧な笑みを浮かべた。

背筋にぞくりと悪寒が走る。
得体の知れない恐怖が喉を鳴らす。

蹴落とされないようにと研ぎ澄まされた冷めた眼差し。

向けられているのは自分ではないのに、いつかの恐怖が蘇るようだった。

「人間を舐めている」。

その言葉に偽りはないだろう。
ヨルが自分自身に幾度となく問い掛け、繰り返した答えのはずだ。

目の前に差し出された甘い提案を突き放して、ヨルはミゼルに対峙する。

《ここの中じゃなくて外にベクターを配置したのは、失敗だったね》

涼やかな声でヨルは言う。

彼女は鈍色の鍵をぎゅっと掌で一度握る。
そして、ヨルはそれを勢いよく天井に向かって投げた。

突然の行動に僕たちは思わず目を見開いたが、次の瞬間、空気を切り裂く音がした。

見えたのは高温で赤く爛れた金色だ。
緩やかな放物線を描き出そうとした鍵はそうなる前に、ヨルの頭上で粉々に砕けた。
融解した破片が空気に触れて固まり、パラパラと地面に広がる。

視線はヨルの後方、僕から見て右奥へ。

そこにはルミナスシューターを構えるアキレス・ディードの姿があった。

ルミナスシューターが微かにエネルギーの残滓を残しているのが分かる。
鍵を撃ったのはカズだ。

ヨルは粉々に砕けた鍵に一瞥もくれない。

《私は私の好きなようにするよ、ミゼル》

ヨルは鋭い眼差しでミゼルにそう告げた。

その言葉に、その眼差しにミゼルは目を細め、そして心底落胆したと言うように肩を落とした。

傍らの「セト50」を一撫ですると、僕たちとヨルに向かって、敵意を向ける。
ミゼルの言葉は一つ一つに鉛を付けたように重かったが、ヨルは微塵も怯まない。

逆に僕たちの方がヨルに対して怯んでしまうようだった。

《理解が出来ないね。
君たちは……人間は僕のシステムの中で生きる方が幸せなのに》

本当に、心から。

そう言うようにミゼルは言うと、彼は姿を消した。





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