79.Parallel Rain
ミゼルがヨルの名前を呼んだことで途端に空気が張りつめていく。
周囲からの自分への視線を感じているのだろうが、ジェラート中尉のCCMから見えたヨルは表情一つ変えず、自分のCCMを覗いていた。
僕たちにとっては目の前のホログラムから聞こえている声だが、ヨルたちにはCCMを通して聞こえているからだろう。
僕たちの目の前にいるホログラム映像のミゼルは無機質な視線をここではないどこかに向けていた。
その視線の先はおそらくヨルだ。
「オメガダイン」のシステムは全て落ちている筈だが、ミゼルにはどこからかヨルの映像が見えているのかもしれない。
見ているとしたら、ベクターから見える映像を通してだろうが、画面上にベクターの姿は無い。
キリトがいち早くベクターの姿を探したようだが、それでも姿は見つからない。
僕たちの目の前にいるミゼルは感情のない、胡乱な瞳でヨルを見た。
《人間をつくるにはね、クローン技術を使うんだよ》
《……………》
ミゼルが口にした言葉にヨルが微かに反応したのが見えた。
動揺を隠すように微かな動作でCCMを握り直す。
それを見て、僕は冷たい手で心臓を撫でられたような衝撃を受けた。
思わず自分の拳を強く握る。
鋭い痛みが掌に走ったが、頭の中の焦りを振り払うことは出来なかった。
焦りが腹の底から込み上げてくる。
握った拳に汗がじわりと滲んだ。
その焦りが顔に出ないように細心の注意を払う。
クローン技術。
その言葉はまだお祖父様の元にいた時から何度も耳にしたことがある。
ミゼルは黙ったままのヨルを一瞥してから、嘲笑うかのような仕草をしてから口を開いた。
《一つの個体から遺伝的に同一の存在をつくり出す技術のことさ。
植物や細胞なんかでは実に一般的な生殖方法の一つだよ。
動物相手だと少し難しいけれど、それも五十年程前につくること自体は成功している。
…君たちがつくった愚かな技術の一つだよ。
でも、これを僕が使えば、より効率の良い人類をつくることが出来る》
まるで簡単な実験を行うように、彼は本当に無邪気な子供のようにそう言った。
それが正しいと疑っていない。
この世界をより良くするために……最適化のために、それが一番良いと疑っていないのだ。
「そんなことが本当に出来るわけが…!」
バン君が誰よりも早く叫んだ。
動揺しながらも、強い眼差しでミゼルを否定する。
しかし、バン君の言葉に誰よりも早く口を開いたのはミゼルではなく、彼の父親である山野博士だった。
「クローン技術で人間をつくったという記録は…私の知る限りではない。
それにこの技術を使って、人間をつくることは国際的に禁止されている。
だが………」
そこで山野博士はミゼルから視線を逸らして、ぐっと拳を握り、口を噤んでしまう。
その様子をランとヒロ、アスカはどうしてというように山野博士を見たが、僕たち…バン君やアミはこの後に続く事実に気づいた。
国際的に禁止されている、だからクローン技術で人間がつくれる筈がない。
そう言うのは簡単だ。
だが山野博士はお祖父様、海道義満の元にいた。
「イノベーター」の元にいた彼は「エターナルサイクラ―」の研究をしていたのだ。
資金と権力さえあれば、例え社会的に許されない研究であっても行うことは可能だ。
山野博士が「イノベーター」で行っていた研究は今様々な場所で人々の役に立つと同時に、世界の首をゆっくりと絞めてもいる。
気づかぬうちに、気づいた時にはもう後戻り出来ないほどに首を絞められている。
そして、おそらく大空博士もそれは同じなのだ。
彼女の眼前には自らがつくり出したものが、世界を破壊しようとする姿が突きつけられている。
「……ええ。
国際的に禁止されていても、私が『オメガダイン』で『アダム』と『イブ』を造ったように秘密裏に研究を行うことは出来る。
だから、ミゼルの言うことは、私には否定出来ないわ」
苦々しそうに大空博士が言う。
分厚い眼鏡の奥にある彼女の目は、悔しいと如実に語っていた。
山野博士と大空博士、二人の言葉に
ミゼルがまた薄く笑う。
《そうだね。
資金と権力、それから技術や知識があれば、どんな研究だって行うことが出来る。
人間の愚かな行動の一つだけれど、僕は感謝しているよ。
それがなければ、僕は生まれることが出来なかったからね》
《ありがとう》とミゼルは僕たちを煽るように言う。
感情のない声、無機質な視線。
大空博士の手を離れ、肥大化した自我。
彼がその表面を撫でるようにした「セト50」。
それから…最強のLBXであるオーレギオン。
あらゆる要素でミゼルは僕たちの頭を押さえつけ、動けないようにしていく。
《ロシアの自然公園の森の奥に遺伝子工学の研究所があるんだ》
ミゼルが然して勿体ぶるわけでもなく、話し始めた。
僕は画面に写るヨルの姿を見る。
彼女は俯いたままCCMの画面を見つめていた。
亜麻色の髪で目元は隠れ、青い眼差しが微かに見えた。
その眼差しは鋭く、手負いの獣のように獰猛だ。
ヨルの鋭い眼差しに背筋に悪寒が走る。
僕は拳をより強く握った。
焦りと動揺が冷めていく。
《そこではロシア政府の主導でクローン技術の研究をしていたんだ。
植物や実験用のマウスに始まり、五十年ほど前に成功した羊や犬、猫のクローンをもう一度段階的につくっていったそうだよ。
その実験の過程で、予てからあった問題点を洗い出し、改良していったみたいだね》
手に入れた情報をそのまま読むようにミゼルが言った。
《クローンはその性質上、一つの疫病で全滅する可能性がある。
遺伝子を操作するから、悪性の副作用や寿命など多くの問題を抱えていたが、それも粗方解決した…とは言っても、五年以上も掛ければ当然だよね。
遅すぎるぐらいだよ。
とはいえ、費用対効果の関係でこの研究所は廃止されてしまったけど……施設さえ残っていれば問題ない》
「……その話のどこがヨルに関係ある」
思っていたよりも低い声が自分から放たれた。
僕の声に前にいたバン君の肩がビクついた。
ヒロやアミ、アスカは更に顕著で目を丸くする。
《関係はあるさ…いや、雨宮ヨル自身は関係ないかな》
ぴくり、とヨルの体がその言葉に震えた。
獣の瞳は変わらず、鈍い光を宿してミゼルを睨む付けている。
ミゼルは何の躊躇もせずに次の言葉を口にした。
《遺伝子研究所は数年前に閉鎖された。
その後は元々あったセキュリティシステムと周辺の封鎖で研究所を秘匿していたみたいだけど、ある時一つのサイバー攻撃に見舞われた。
そのサイバー攻撃は元々あったセキュリティシステムの機能の中で使われていなかった機能を復活させて、研究所を政府の人間ですら立ち入ることの出来ない場所に変えてしまったんだ。
オーレギオンの力なら研究所の壁を破ることは容易いけれど、正規の方法以外で研究所に侵入すれば、中のデータが全て消去されてしまう。
それはとても非効率的だ。
中のデータを使った方がより効率的に人間をつくり出すことが出来るからね。
さて、今度は僕が質問するよ。
これをやったのは誰だと思う?》
ミゼルはそう言うと、CCMの画面の向こう側にいるヨルを見るように目を細めた。
品定めをしているようなその目を向けられ、ヨルが唇を噛んだ。
彼女は何を言おうとしたのか口を開きかけて、閉じる。
明らかに動揺しているのが見て取れる。
そして、その表情は一年前僕が本当のことをヨルに突きつけた時の表情にとてもよく似ていた。
言わないで、と。
分かってるから、と力の限り叫んで拒絶したヨルの姿が脳裏に蘇る。
あの時彼女は何を拒絶したのか。
自分に問わずとも憶えている。
忘れられるはずがないのだから。
早鐘を打つ心臓の音がうるさい。
その先の言葉をヨルに訊かせてはいけないと脳が警鐘を鳴らしている。
けれども、ミゼルにそんなことは関係ないのだ。
僕らが解答を出せずにいると、ミゼルは酷薄な笑みを浮かべて、ヨルが恐れているであろうことを口にした。
《雨宮ヨル》
青い瞳が不安げに揺蕩う。
それに視線をやりながら、ミゼルは不敵に笑った。
《君の父親だよ》
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