72.波濤を超えて


「この通路を出たら、すぐに司令室に向かう。
そこからの操作でサーバールームをネットワークから切り離し、システムをスタンドアローン化させる。
そうすれば、我々の作業中にミゼルが『AX-000』のことに気づくことはないだろう」

埃っぽい通路を進みながら、今後の動きを確認する。
八神さんの言葉にバン君は頷くと、その言葉を引き継ぐ。

「その後は二手に分かれてサーバールームに向かうんですね」

バン君の言葉に八神さんは頷く。

「バン、アミ、カズは私と」

「ジンとヨルは私とだ。
先に到着した方が現場を確保する」

山野博士と八神さんに言われ、僕たちは各々返事をする。
システムに組み込まれていない通路を通ったとはいえ、どこに敵がいるかは分からない。
周囲を警戒しながら歩いていると、後ろを歩いていたカズから声が上がる。

「しかしミゼルはどうしてここを占拠したんだろうな?」

「『イノベーター』は高性能なLBXを開発していた。
ベクター強化のためにそのデータを手に入れたかったんじゃないかな…」

「ここにはLBXの生産ラインがある。
ベクターの生産に使われている可能性があるな」

カズの当然の疑問にバン君と八神さんが答える。
彼らの考察は言われてみればその通りであり、「イノベーター」はLBX技術の最先端だった。
その技術を使えば、ベクターを強化することも量産することも可能だろう。

付け加えるならば、イノベーター研究所を政府主導の元LBXの生産ラインとして再使用することに対して先手を打ったということも考えられる。

「とにかくミゼルが失われた設計図の存在に気づく前に、設計図をサルベージしなければ…!」

「ミゼルが気づく前に……」

呟きが通路に木霊する。
とにかく設計図をミゼルよりも先に手に入れることを肝に銘じる。

暗い通路を歩いて行くと、やがて行き止まりになる。
ここから先は特に用心しなければならない。

研究所の壁に偽装した扉を開けて、僕らは小走りに研究所の通路を駆ける。
サーバールームはイノベーター研究所の中でも特に大きな扉をしているが、その扉の前に敵の姿は無い。

となると、この中に敵がいる。

「一気に行くぞ」

「はい!」

全員がLBXを取り出し、八神さんがタッチパネルを操作して扉を開けたところで一気に畳み掛けた。
敵LBXはベクターでなければ、数がいても僕たちで十分対応可能だ。
急所を素早く狙い、敵を制圧する。

「スタンドアローン化取り掛かります。
山野博士は右側のルートから先行してください」

「分かった!」

八神さんは操作を始めると同時に山野博士にそう指示を出す。

「アミちゃん、カズ君、気を付けて!」

「おう!」

「任せなさい!」

走っていくアミとカズにヨルはそう声を掛ける。
三人を先に行かせたバン君は僕とヨルに目を向けた。

「ジン、ヨル。気を付けろよ」

「ああ、君も」

バン君の言葉に僕とヨルは頷く。
それをしっかりと確認したバン君はどこか吹っ切れたように笑うと、山野博士たちの後を追う。

バン君たちが走り去った後のサーバールームは八神さんのさせる操作音以外の音が消え、異常なまでの静けさで満たされる。
僕は…僕たち以外いないサーバールームを見渡す。

かつてはたくさんの人たちがここにいたのだ。

そう考えて、僕は徐に呟いた。

「……いつもここで、指揮を執っていたんですね」

「……ああ」

八神さんは僕のその呟きに、少しばかり間を開けて小さくそう返す。
短い沈黙にはどれほどの想いが込められているのだろう。

同じ場所で、同じ人物に従って存在していた僕にはその沈黙の意味がほんの少しだけ分かるような気がした。

……だから、僕はゆっくりと言葉を吐き出す。

ふっとヨルの方を見れば、彼女は僕の言葉を待つように沈黙を守っている。
それが今はとても有り難かった。

「イノベーター事件は僕にとって何だったのか、ずっと考えていました」

ずっと……そう、ずっとだ。

自分独りで考えもしたし、ヨルに聞きもしたし、バン君にもこの話をした。

そうやって、ずっと考えていた。

「答えが出たのか?」

八神さんは画面を見つつも、僕の方に意識を割いてくれる。
彼のそれは答えを知りたいというよりも、僕の意志を汲み取って、あえて答えを促しているようだった。

「………いいえ」

僕は八神さんの問い掛けに静かに否定の言葉を吐き出す。
僕の答えはまだ出ていない。
もどかしい想いは堂々巡りを繰り返すばかりだ。

ヨルはイノベーター事件を救いだと言った。

あの事件がなければ、彼女は今どうなっていたのか。

それを考えたくはない。
しかし、考えなくてはいけないのだ、とも思う。

それもまた僕の答えに必要なのだろうから。

八神さんを挟んで隣にいるヨルの方を見やる。
彼女は僕の視線に気づいているのかいないのか、八神さんが座る椅子に手を掛け、作業の様子を覗き込んでいた。

僕は掌の中のCCMを握る。

これがなければ、LBXがなければ、僕は…僕たちはどうなっていたんだろうか。

「ただ……あの事件があったからこそ、僕はたくさんの仲間と出会うことが出来た。
そして、知らなかった世界を見れるようになった」

お祖父様を喪って、でもその代わりにたくさんの仲間に出会った。
誰の想いも言葉も何も通さずに、自分の目で知らなかった世界を見た。

自分の目で見た世界は綺麗なものばかりではなかったけれど、それでも自分の目で見れたことに後悔はない。

「………私も、似たようなものだ」

八神さんは一拍置くと、感慨深そうにそう言った。
彼が操作する画面では作業が滞りなく進み、九割方作業は終わっているようだった。

「よし、サーバールームのスタンドアローン化を完了した」

「僕たちも行きましょう」

八神さんが最後の作業を終えたのを確認すると、僕とヨルはバン君たちが出た扉とは逆の左側の扉に進む。
すぐにサーバールームに向かわなければならないが、椅子から立ち上がった八神さんは司令室を見渡したまま動こうとしない。

「八神さん?」

少しばかり声を張り、ヨルが八神さんを呼ぶ。
彼は幾度か司令室を見渡していた。
八神さん自身もこの場所に思うことがあるのだろう。

彼は一度頭を振るようにしてから、僕たちの方へと駆け寄る。

「ああ、すまん。
さあ、行こう」

八神さんはそう言うと、僕たちに敵がいるかもしれないから構えるように指示を出す。
司令室の扉を開けると、そこには八神さんの予想通り敵LBXが待ち構えていた。

僕たちもLBXを取り出し応戦する。

「トリトーン!」

「ジェネラル!」

「ジャバウォック!」

相手のLBXは単体ならば通常のLBXと大差ない。
この三体で十分に対処出来る。
問題は敵が数で圧倒していることとベクターがいる可能性が捨てきれないことだ。

走りながら敵LBXを倒し、通路を進む。

何回か通路を曲がったところで、一つの扉が見えた。

「あのドアがサーバールームの入り口だ!」

「バン君たちはまだのようですね…」

サーバールームの入り口はこれ一つだ。
バン君たちが来た気配はない。

「現場の確保だ! 山野博士の到着を待つ!」

八神さんの言う通り、現場の確保が最優先だ。

「了解」

「分かりました」

僕に続いて、ヨルもそう返事をする。
扉を盾に中を覗いて一応の安全を確認してから、サーバールームに入る。

室内の照明は作動しておらず、人の気配はもちろんのこと、LBXがいる気配もない。
機械が故障しているように見えるが、これはおそらく元からだ。

開けた場所に出る前にヨルがジャバウォックで先行して室内を確認するが、特に敵の姿は見つからなかった。

「どうやら敵はいないようだな」

「そのようですね」

「機械がいくつか倒れてますけど、大丈夫なんですか?」

ジャバウォックで警戒しつつ、ヨルが八神さんに訊く。
八神さんはヨルの質問に「問題ない」と返す。

「ジン! ヨル!」

問題ないという理由を話す前に、扉からバン君たちが入ってくる。

「僕たちも今着いたところだ。一先ず敵の姿は無い」

「よし、直ちにサルベージしよう」

山野博士はコンソールを操作すると、画面を呼び出し、サルベージの準備を始める。
バン君はその間に「NICS」へと連絡を入れる。

「見つけたぞ! あの日のデータだ」

画面には無数の数字の羅列が映し出される。
上へ流れては消えていくそれに特に法則性は感じられず、僕が見てもただの数字にしか見えなかった。

「これが設計図…!?」

「ただの数字の羅列みたいだけど……」

「設計図はデリートしたことでただの数列と化し、同じ日に破棄された他の様々なデータに紛れ込んでいる。
この中から設計図のデータをサルベージしなくてはならない。
バン、イカロス・ゼロをここに。
データを全てコピーする」

「分かった」

イカロス・ゼロがコンソールに置かれる。

通常のLBXならば、この量のデータをコピーするとなれば、相当な負荷になる。
しかしイカロス・ゼロならばそうはならないし、本体が奪われるか本体からコピーされるかしなければ、設計図を盗むことは出来ない。
記憶媒体としても優秀であると言える。

「ミゼルが復元出来ないように、このデータを完全に消滅させる……。
よし、これで設計図はコピーしたものだけだ」

数列は全て砂が零れるように消えていき、視覚的にも物理的にもデータは消滅した。

「直ちに脱出しよう」

長居は無用だ。

八神さんの先導で僕たちは急ぎ出口に向かった。




prev | next
back

- ナノ -