70.澪標


ベクターにジャバウォックをブレイクオーバーされたヨルは何故か僕と視線を合わそうとしなかった。
ただ何かを話そうとしているのか、口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返す。

「何かあったのか?」

体調でも悪くなったのか、それとも何かあるのかと思って訊くとヨルは視線を泳がせる。

「その……なんでも、ない」

何か言おうとしてはいたが、ヨルは「何でもないから」と言うと、僕の横を通り過ぎて、前を歩くアスカたちの背中を追った。


■■■


「NICS」のブリーフィングルームは重い空気に包まれていた。

ミゼルとベクター、そして「エクリプス」…今は「ミゼルトラウザー」と呼ぶのだろうが……彼らは退いたが、それは僕らの功績などではなく、ミゼルが自らNシティから引いたに過ぎない。
僕たちはベクターや「ミゼルトラウザー」に対して有効な対抗手段を思っていない。
次に攻められれば、どうなるかは分からないのだ。

「ベクターはこれまでのどんなLBXよりも攻撃力と防御力に優れている」

「確かにまともに戦って勝てる相手じゃないわね」

「そしてコアボックスの中にはLBXを動かすために必要なものが何も入っていない…」

「俺たちの想像を超える原理で動いてるってことだ。
ったく、どうやって戦えばいいんだよ!」

カズが怒気を孕んだ声で言った。
今までの相手は僕たちの知る技術によって動いていたが、ベクターはそうではない。

コアボックスがない以上、そこから得られるデータは存在せず、僕たちは対抗手段を立てられないでいる。

「バン。ミゼルは今回もCCMを使っていなかったんだな?」

「うん。『ミゼルトラウザー』の上で俺たちを見ていただけだった」

山野博士の問い掛けにバン君が答える。
確かにミゼルは何も持ってはいなかったが……

「とにかく! LBXばかりかありとあらゆるコンピュータを自分の制御下に置くゴーストジャックが厄介よ」

「ミネルバもジャバウォックもブレイクオーバーして、やっと元に戻ったけど……」

ランのその言葉にヨルが視線を泳がせる。
先程のゴーストジャックで狭い路地に誘い込まれ、ジャバウォックもベクターに接触された。
どんな意図があったのかは分からないが、ブレイクオーバーさせられただけで済んだようだが、それでもコントロールを奪われたのだ。
何の対策もなしに挑んでいい敵ではない。

「っていうことはさ、電源を落として再起動すればいいんじゃねえの?」

「原理的にはそうだ。
だが、全てのコンピュータ機器の電源を落とすのは現実的には無理だ。
有り得ない」

アスカの案は正しい。
しかし現実的には山野博士の言うように不可能であり、下手をすれば僕たちの方にも支障が出る。

「でも、あの『エクリプス』が奪われたなんて……」

「今は『ミゼルトラウザー』って名前なんだろ。ミゼルが言うには!」

「山野博士! 『ミゼルトラウザー』で街を破壊されたら……」

「護る術はない。
だが、ミゼルがただの破壊者ならあの時『ミゼルトラウザー』を使って破壊活動をしていたはずだ。
しかし……地球をシステムと認識し、最適化を宣言したこととベクターの行動を見ている限り、破壊が目的とは思えん」

「じゃあ、ミゼルの目的は……」

「………制圧」

「制圧?」

今まで出ているミゼルの行動から推測した僕の考えを口にする。
みんなの視線が僕に集まるのを確認してから、続きを話す。

「いや、制御と言うべきかもしれない。
ミゼルは地球の全てを自らの支配下に置こうとしているんだ」

「下手に破壊活動をしないのは、力見せつけて、『これで攻撃したらどうなるか分かってるよな』って脅すためってことか」

「合理的な手段ではあるわね。
それに『パーフェクトワールド』の考え方自体は共感出来そうに見えるのが問題ね。
戦いが長引けば、ミゼルに賛同する人たちも現れるわ。
そうなれば、あっちの方が圧倒的に有利になる」

カズとジェシカの会話に僕は頷くしかない。
圧倒的な暴力を振りかざして人々を抑圧するということは地球の歴史上でもままあったことだ。
暴力の上での幸福が真の幸福であるはずがなく、恒常的な支配が望めないことはミゼルも分かっているのだろうが、それでも支配できるという確信がミゼルにはあるということか……。

「もしくは人間はまだシステムとして必要だから破壊活動をしないだけで、必要ないと分かれば人間を滅ぼすつもり、とか」

慎重に言葉を選びながら、ヨルが自分の考えを言った。
普段ならば現実感のない言葉であるが、ミゼルの力を見た限りではそれも現実味を帯びてくる。

「人間も地球のシステムじゃねえのかよ?」

「ミゼルの考えは分からないけど、人間が必要だったとして、必ずしも『私たち』である必要はないから」

「……………」

アスカの反論にヨルは冷静にそう返した。
ヨルの言葉はその通りで、地球に僕たち人間が必要であったとして、それが今地球上にいる人間である必要はどこにもない。
勿論、個人というものを求めなければの話であるが。

ミゼルがもし…本当に地球を最適化するのであれば、人間もそれに合わせて創り出してしまうのかもしれない。

「もしミゼルの制御から外れるようなことがあったら……」

バン君が山野博士に問う。
彼の口調は本当は全て分かっているようで、父親である山野博士に否定して欲しいというようだった。

「完全なる制御の為にはバグは修正されなければならない。
そして、そのバグとは即ち……ミゼルの意志に従わない人間だ」

バン君の思いを分かってはいるだろう山野博士は、それでも事実として彼はそう言った。




prev | next
back

- ナノ -