68.黒い霧
「どんなに良く出来たフィギュアでも、それはフィギュアでしかないデヨ。
人間にはなれないデヨ。
――なーんてことは誰でも分かってるはずデヨ。
分かっていても返事をして欲しい…気持ちはよく分かるデヨ。
でも、それは自分勝手な思い込み、我儘デヨ」
部屋の中からオタクロスさんのその言葉が聞こえて来て、慌てて扉から体を引く。
幸いにも扉は反応しなかった。
ダックシャトルは一連の事件の犯人たちを収容して、地球に帰還しようとしている。
別に何か言葉を掛けようというわけではなく、キリトさんとオタクロスさんを呼びに来ただけなのだけれど、オタクロスさんの言葉で動きを止めてしまう。
「…………」
耳に痛い言葉だなあと思いながら、ゆっくりと音を立てないように扉から遠ざかる。
この分だとオタクロスさんと鉢合わせしかねない。
それはさすがにバツが悪い。
「お前も真美たんも同じデヨ。
自分の気持ちだけで、死んだ人間が本当は何を望んでいたのか、分かってないデヨ」
扉から遠ざかる際、壁一枚通したくぐもった声がした。
■■■
「お久しぶりです、風摩キリトさん」
にっこり、と効果音が付きそうな外向きの笑顔をヨルがキリトに向けると、彼はあからさまに嫌な顔をする。
「テレビドラマにでも出るつもりか、お前。
気持ち悪いぞ」
文句の一つでも言いそうねと思っていると、キリトはすっと淀みなく言葉を吐き出す。
その言葉にヨルは特に何か言うわけでもなく、にこにこと笑っているものだから、「嫌味言われてるぞ」とアスカがヨルの左腕を小突いた。
アスカとは反対に「女優級の笑顔って言いたいなら、褒めてるんじゃないのかな?」とヨルの右側からユウヤが言った。
「ジンはあれでいいの?」
「『あれ』とは?」
「ヨルが嫌味言われたこと」
その様子を呆れたように見ながら、ジェシカが隣にいたジンに話し掛ける。
彼はジェシカの問い掛けにヨルの視線をやってから、首を横に振った。
「本人が嫌味と捉えていないなら、別段問題はない。
僕から言うことはないな」
「本人も嫌味言われるって分かってやってるだろうしなあ」
「あれはあれでコミュニケーション取ろうとしてるから、私も気にしないわね」
「……あ、そう」
実に不本意そうだったけれど、ジェシカは頷いた。
それはそれとして、何故、風摩キリトと私たちがこうやって顔を合わせているのか。
それを説明するには、少しばかり事情が複雑だ。
軍事衛星として利用されていた「パラダイス」はA国大統領の指示によって破棄され、新しい人工衛星が打ち上げられた。
それによってブレインジャックは起こることはなくなり、私たちは一連のテロ事件によって落ちてしまったLBXのイメージを回復させるためにA国でLBXのPR活動を行うことになった。
LBXを強化ダンボールの中に返して上げるために。
そのために活動をしていたはずなのに、何故か再びブレインジャックが起こってしまった。
原因は不明。
「Mチップ」は既に取り除かれ、「パラダイス」は確実に破棄された。
それだというのに、何故ブレインジャックが起こったのか。
どうやら一体の黒いLBXがNシティを襲ったブレインジャックに関係しているようだけれど、まだ詳しいことは分かってはいないわ。
ただその強さは確かでキリトの新しい機体であるフェンリルフレアとイカロス・ゼロ、イカロス・フォースが協力してやっと倒すことが出来たぐらい。
今はバンたちがカイオス長官や山野博士に地下鉄の駅で交戦した時のことを報告しに行っている。
残された私たちとキリトは最初は気まずい感じだったけれど、キリトがフェンリルフレアを整備したことでそれをきっかけに打ち解けることが出来た。
「パラダイス」でのことを経て、キリトは少し丸くなったんじゃないかしら。
視線が刺々しくなく、私たちに特に突っかかってくることもない。
前よりも接しやすくなった……とは思うけれど、どうにもヨルとは相性が悪いらしい。
「同族嫌悪かしらね」
「いや、あれは犬が虐められて根に持ってるって感じだな」
「…………」
話が話なだけにカズとジンとは小声で話す。
私の意見にカズは的を射た発言だと言うように鷹揚に頷き、ジンはすいっとヨルから視線を逸らした。
「パラダイス」でのヨルはキリトに対して挑発的だった。
私たちを先に行かせるためというのもあっただろうし、彼女なりの理由もあったはず。
宣言通り、勝ったのだから特に言うことはないのだけれど、ああいうヨルは心臓に悪い。
私たちでも心臓に悪かったのだから、その対象にされたキリトはとんだ災難だったと思うわ。
特に嫌な顔をするわけでもなく、キリトと話をしているヨルを見やる。
穏やかそうに微笑みながら、「人馴れしましたか?」と素っ頓狂なことを訊いてキリトの顔をすごいことにさせているヨルを見ると、実は「パラダイス」でのことやさっきまでのブレインジャックのことは嘘だったんじゃないかと錯覚してしまう。
実はヨルはかなりいい性格しているのかもしれない。
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