67.いつかの黄昏


崩れ落ちたままだった風摩キリトさんは、一時的にシステムが回復した時に来てくれたコブラさんに任せて、私は「パラダイス」の通路を進む。

一旦は大空博士の言葉を聞き入れて、「パラダイス」のシステムを「アダム」と「イブ」の制御下に正常に置くことに成功したけれど、その「アダム」と「イブ」は今暴走状態にある。

死を恐れたから。

《高度な人工知能である『アダム』と『イブ』の存在意義は思考し続けることにある。
解を求め、一つの解に達した時また新たな解を求めようと問答を繰り返す。
だが、それを停止させれらた時、初めて憶えたことがある。

死ぬということだ。

彼らは辿り着いたのだ。
停止させれらた瞬間に臨死体験とも言うべきものを経験し、それに恐怖を憶えた。
今の「アダム」と「イブ」は己が生き残るために全ての人間を排除しようとしている。
人間は敵。
「アダム」と「イブ」はそう認識したんだ》

山野博士は「アダム」と「イブ」をそう解釈した。

私が造ったユイとは正反対だ。
彼女は死を受け入れた。
それは感情を優先したから。

「アダム」と「イブ」が優秀すぎるから招いた、最悪の事態。

CCMの小さな画面の向こうでは、暴走した「アダム」と「イブ」の操るゼウスと戦うイカロス・ゼロとイカロス・フォースの姿が見えた。
その背後には「アダム」と「イブ」が見える。

イカロス・ゼロの必殺ファンクションが決まる。

ゼウスはブレイクオーバーしたけれど、「アダム」と「イブ」が停止する様子はない。
大空博士が手動で停止しようとするけれど、それも檜山さんの妹である檜山真美さんに阻まれてしまう。

「あと、少し…!」

掌握されたシステムの隙を突くようにして、やっと運機工まで辿り着く。
戦闘の方にリソースを回しているのか、予想していたよりも簡単に上まで行けそうだ。
CCMを操作して、機械を動かすと運機工の上に着く。
そこから更に通路を進んで、球状のエレベーターに乗って「アダム」と「イブ」のある場所を目指す。

大きく肩で息をする。

ここまでほとんど休まずに走ったからだろう。
だいぶ息が切れてしまった。

《聞いてくれ! レックスはこんなこと望んでない!》

《お前に兄さんの何が分かる!
この世界をリセットすることが兄さんの意志なのよ!》

《俺はレックスに言ったんだ。
「人は変われる。新しい世界はきっとつくれる。レックスが望んだ世界を俺は創ってみせる」って!
そうしたらレックスは……レックスは、笑ってくれた》

呼吸を整えていると、バン君のしっかりした声がCCMから聞こえてくる。

バン君らしい言葉になんだか少しだけ泣きたくなってしまった。
彼は眩しくて、時々見ているのが辛い。

頭上から光が漏れてくる。
もうすぐみんなのいる場所だ、と気を引き締めると、下の方から淡い翠の光が漏れていることに気づく。

左手の中にあったティンカー・ベルが僅かに胸部を光らせていた。

そしてCCMから聞き慣れない声が聞こえてくる。

《データ送信の許可を求めます》

「え?」

それは「アダム」と「イブ」の音声だ。
急いでCCMの画面を見ると、《データ送信を許可しますか》というメッセージの下に《はい》《いいえ》が写し出されている。

「なんで…」

「アダム」と「イブ」は大空博士が造った世界最高の人工知能だ。
私のCCMのプロテクト程度、簡単に解ける筈なのにどうして私に許可を求めて来るのか。

視界の端に淡く光るティンカー・ベルが見えて、不意に気付いた。

この中には鳥海ユイの音声データが入っている。
それと、後は……彼女が最後に送ってきたデータがある。

あの中身は確か……。

「アダム」と「イブ」が許可を求めてくるのはどうしてだろう。

どうしようか、と考える。

許可を求めているデータを見る。
そのデータは随分と久しぶりに見るデータだ。

「アダム」と「イブ」が許可を求めているのは檜山さんの映像だ。
CCMから聞こえてきた音声を拾うと、これが必要なのは分かる…けど……

「…………」

十字キーを操作して、《はい》というメッセージを選択する。
少し考えてから、私はボタンを押した。


■■■


背後のエレベーターからヨルが下りてきた。
彼女は僕たちの方へ近づくと、目の前に現れたレックスのホログラムに一瞬だけ瞠目した。
ぐっと小さく拳を握ると、さり気なくアミの後ろに隠れる。

「兄さん……」

「レックス!」

「檜山蓮の人格を再構築したのね…」

大空博士のその言葉にヨルはびくっと肩を揺らす。

その言葉の意味が、残酷さが、恐らくこの場の誰よりも分かるであろう彼女の顔色はあまり良いとは言えない。
アミもそれは分かっているようで、特に自分の背にヨルが隠れたことを咎めなかった。

「兄さん、もうすぐ兄さんの願いが叶うわ。
この世界は変わるのよ」

檜山真美が寂しい声でそう言った。

話し掛けているのはデータだ。
返答はない。

データで構成されたレックスの一部にはヨルが差し出したデータもある。
それをどこから手に入れたのか、詳しくは僕も分からない。

ただ……推測は出来る。

思い出すのは夕焼けに染まる部屋、水色のブランケット、ノイズ混じりの声。

《人は獣にあらず、人は神にあらず。
ならば人は人として何をするべきか。
それを人類に考えさせるために、俺は世界秩序の崩壊を願った。
この世界を支配している権力者たちを葬り、全く新しいシステムを創り直したかった。
しかし、それは間違っていた》

「えっ…」

レックスの言葉に檜山真美が目を見開く。
レックスは当然であるが、自分の妹のその様子に何か反応を示すことはなく、ゆっくりと口を開いた。

《世界の滅亡はまた希望の芽も摘んでしまう。
俺は山野バンに、子供たちに未来への希望を見た。
世界を闇に閉ざすのも人間なら、輝かせることが出来るのもまた人間なんだ》

レックスは、彼はそう言った。
今度こそ檜山真美がはっきりと驚愕する。

「兄さん…それが、兄さんの望んだことなの!?」

「レックス…」

《この世界の未来は、希望は、子供たちの手の中に…》

彼はそれこそが本当の望みだと言うように口にする。
そして、レックスのホログラムは消えた。

檜山真美はレックスの言葉を信じられなかったのか、どのような理由であれ、相当なショックだったのだろう。
僕たちを阻んでいたエネルギーフィールドを展開していた車椅子にぶつかると、彼女は膝から崩れ落ちた。

《ネガティブ》

唐突に「イブ」の声が響く。

《檜山蓮の出した結論は誤りと判断。
新たなる世界の構築、そのためには完全な破壊が必要》

《従って、メインレーザー発射シークエンスの続行を提案》

《承認》

停止していたタイマーが動き出し、カウントが再開される。

大空博士は球状のコントロールパネルの前に立つと、タッチパネルを呼び出し操作する。

「『アダム』と『イブ』を『パラダイス』のメインシステムから完全に遮断する」

そう言うと、大空博士は「アダム」と「イブ」をメインシステムから遮断した。
球体の中から細長い円筒のような物を取り出すと、「アダム」と「イブ」の声がノイズ交じりになる。
煌々と白く輝いていた照明が落ち、橙色の光が辺りを満たした。

その様子を確認したヒロが彼女に駆け寄ろうとする。

「お母さん、やったよ!」

「まだよ。最後の仕事が残っている」

大空博士は苦しげにそう言うと、パネルに指を這わせた。

《ネガティブ》

《遥さん、その処理は誤りです》

《遥さん》

《操作を止めてください》

「アダム」と「イブ」の懇願を大空博士は聞こうとはしない。

「……嬉しかったわ。
貴方たちを造り出すことが出来て」

《遥さん》

《遥さん》

「アダム」と「イブ」の声が響く。
《遥さん》と大空博士を呼び続ける二機の声に、アミの背中に隠れていたヨルが僅かに肩を震えさせた。

それでもぎゅっと強く目を閉じた後、目を開けて「アダム」と「イブ」を見上げる。

「ごめんね。本当にごめんなさい。
開発コードODHO2020、メモリー内データ完全制御コード…オールF。
『アダム』と『イブ』、デリート!」

《消えたくありません》

《遥さん》

《遥さん》

《お母さん……》

「さようなら、『アダム』と『イブ』。
今度こそ本当のお別れよ」

その言葉とほぼ同時に「アダム」と「イブ」が停止する。
大空博士の言葉は微かに震えていた。

「……終わりね、兄さん」

「アダム」と「イブ」の停止を待っていたかのように、檜山真美はそう呟くとゆらりと立ち上がる。
その手には…球状の何か。

あれは小型爆弾だ。

まさか……!

「ダメーーーっ!!」

それが小型爆弾だと認識した直後、ランが走り出し、檜山真美の手から小型爆弾を蹴り上げた。
爆弾は壁際で爆発すると大きな爆炎と爆風を生んだ。

自殺出来なかった彼女は再び膝から崩れ落ちた。
その彼女にヒロとバン君が駆け寄る。

そして、檜山真美に精いっぱい言葉を贈る。

「死んじゃだめです! 真美さん!」

「レックスは最後に人間の未来に希望を見つけてくれた。
貴女がレックスのことを大切に思うなら、生きて、その力を人間の未来のために役立ててください」




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