65.師匠と弟子


少し窮屈な宇宙用のスーツに苦戦しながらも、椅子に捕まりながら、窓の外を見る。

窓の外には真っ暗な闇が広がっていた。
それから星が並行に見えた。
見上げているだけだった淡く色の付いた光が、全部自分と同じ目線にあるのはなんだか新鮮だ。

ダックシャトルの後方には青い光を湛える地球が見える。
ぼんやりと地球を包む青い大気。

青い、本当に青い星がそこにある。

それはここからしか見ることの出来ない、美しい光景だった。

「きれー…」

「私たち本当に宇宙にいるのね!」

「見えねえよー!」

アスカがアミちゃんとジェシカの間から外の景色を見ようとすると、ふわりと体が宙に浮く。
ダックシャトル内は重力制御がされているとはいえ、少し力が加わると簡単に浮いてしまうのだろう。

「助けろー」と言うアスカを椅子に捕まりつつ、引っ張って下ろした。

アスカと二人であそこがA国で、日本でーと呑気に話し合う。

「氷すげー…」

「そうだね」

適当に相槌を打ちつつ、アスカがまた浮かないように注意しておく。

私たちの目的は六時間以内に「パラダイス」を制圧すること、具体的には「アダム」と「イヴ」を制圧する必要がある。

マスドライバーを防衛した時のトラブルは気がかりだけれど、なにはともあれ「パラダイス」に行くのを優先しなければいけない。
「NICS」本部が孤立してしまい、「パラダイス」のメインレーザーの次の標的は「NICS」本部だ。
島一つを跡形もなく消したレーザーが当たれば、「NICS」本部が消えるのは確実だ。


失敗は許されない。
……許されないけど、個人的には都市を攻撃されるよりは気分が楽だ。

懸念材料は多いけれど。

「パラダイス」を防衛しているだろう敵LBXを倒さなければいけないし、それは宇宙空間での戦闘になる。
今までとは勝手が違うのだ。

それに宇宙管理センターでもそうだけれど、マスドライバーでも風摩キリトさんの姿がなかったのが気になる。

「…………」

一体どこに行ったのか。


■■■


「パラダイス」の外部装甲に開けた穴からダックシャトルごと内部に侵入し、僕たちはやっと「パラダイス」に侵入することが出来た。
ここからはエレベーターシステムを稼働させるために増幅器を破壊しつつ、「アダム」と「イヴ」のいる中心部を目指すことになる。

《次、右に曲がるデヨ。
その先五十メートル行くと、整備用通路の入り口があるデヨ。
そこを通れば、五分は短縮できるデヨ》

オタクロスのナビゲートの通りに「パラダイス」内部を進んで行く。
「パラダイス」内部に敵の姿はない。

がらんとした人の気配のない空間。
不気味なほどに静かだった。

《その通路を抜けて、次の角を右に曲がるデヨ。
そしてその先の十字路を左に曲がれば、それぞれの増幅器に向かう運機工に出るデヨ》

「あっ!」

あともう少しというところで、目の前を走っていたバン君が動揺するような声を上げる。
見れば、そこには風摩キリトが立っていた。

こんな非常時に……!

「待っていたよ。さあ、フィナーレだ」

風摩キリトはどこか据わった目をして、そう言った。
右手にはDエッグが見える。

彼はここで僕たちとバトルをする気なのだ。

目の前にいるアスカを避けて、風摩キリトの姿を確認したヨルが何故かすうっと青い瞳を鋭く細めるのが目に入る。

獲物を見つけたような、好戦的な眼差し。
背筋に嫌な汗が伝う。

どうして、彼女がそんな眼差しを風摩キリトに向ける必要があるのか。

「風摩キリト!」

「何がフィナーレよ!」

「退いてください!」

バン君、ヒロ、ランが前に出る。
風摩キリトがそれを確認すると、Dエッグを握る右手がゆらりと上がった、その時だ。
バン君の口からどこか間抜けな声が漏れた。

「えっ……」

ヨルが悠然と三人の前に進み出たのだ。
僕たちが驚く中、彼女は風摩キリトに微笑むと右手を軽く胸に添えた。

「風摩キリトさん。
そのバトル、私がお受けします」

硝子の鈴を転がしたような澄んだ声でヨルはそう言った。

ゆっくりとした口調は聞き分けのなっていない子供に言い聞かせるように丁寧でありながら、有無を言わせぬ迫力を纏っている。

一瞬、風摩キリトが顔を引きつらせた。

「はあっ!?」

「ヨルさん! なんで…っ!?」

ランとヒロがヨルを止めようとするのをヨルは右手を軽く上げることで制した。

「どうでしょう。
貴方と私はまだ戦ったことはありませんし、バン君たちには劣るかもしれませんが十分な経験値稼ぎにはなると思うのですが」

「……はっ。俺は山野バンたちとバトルをしに来たんだ。
お前に興味はない」

「はい、知っています。
だから、こうして『お願い』しているんじゃありませんか。
そちらの事情もよく分かっています。
だから……オマケを付けましょう」

ヨルはそう言うとLBXを取り出す。

エメラルドグリーンのストライダーフレーム。
アーミーナイフ型が特徴的な武器。

それはジャバウォックではなかった。

「ティンカー・ベル!?」

以前の彼女の機体であるその姿を目にして、アミが叫ぶようにその名前を呼ぶ。
そのLBXに動揺したのは僕たちだけじゃない。

アスカがティンカー・ベルを観察しながら、顎に手を当てて呟く。

「あれって……」

「このLBXでも戦います。
数を合わせたいところですが、手持ちはこれとジャバウォックだけなので申し訳ないですが、これ、すごいんですよ。
だから、出来れば私の相手をしていただいて、バン君たちは先に行かせて欲しいのですが――…」

「……お前、それをどこで手に入れた」

ヨルの言葉を遮って、風摩キリトが彼女に訊く。

その瞬間、張りつめていた空気がそのまま凍りついたような気がした。
風摩キリトの興味がバン君たちからヨルへと逸れる、そんな錯覚。

「可笑しなことを聞きますね。
これは元々私のLBXですよ」

くすり、と。

人を食ったように彼女は笑う。
くすくす、くすくすと通路に笑い声が反響する。

口角を上げ、完璧な笑みを作り、風摩キリトに微笑みかける。
その微笑みを目の前から向けられていないにも関わらず、悪寒が走った。

相変わらず彼女は切り替えが早い。

「お前、何者だ?」

風摩キリトが臨戦態勢を取りながら、彼女にそう問いかける。

「………」

その問い掛けに彼女はきょとんとした顔をした。

「うーん…」とわざとらしく首を傾げる。
それから浮かべたのは心底嬉しそうでもあり、底知れないようにも見える笑み。

随分と勿体ぶりながら、彼女は口を開いた。


「『今は』雨宮ヨルです」


はっきりと、自分の名前を言う。
その言葉には様々な想いが込められているはずだ。

声に躊躇はない。
そうなるように演技しているのだとしても、自分に対してここまで自信に満ちているヨルは久々に見たような気がした。

風摩キリトはヨルの言葉から何を読み取ったのだろうか。
胡乱な目を彼女に向けながら、その場に突っ立っている。

僕の側ではヨルの言葉を聞いて、アミとカズが顔を見合わせて頷き合うのが見えた。

「………良いだろう。お前とバトルしてやる。
他の奴はガーダインを止めるなり、『パラダイス』を止めるなり好きにすればいいさ。
俺の目的は経験値稼ぎだからね」

風摩キリトが冷や汗を浮かべながら、ヨルの申し出を了承した。
彼は恐らくは肯定はしないだろうがヨルの迫力に押し負けたのだろう。

敵ながら、少しばかり気の毒に思う。

「……という訳なので、みんな、先に行って」

「でも…」

ジャバウォックを取り出し始めるヨルが僕たちにそう言うが、バン君は先に行くことを躊躇する。
それは僕も同じでヨルがここに残るのならば、何かしらサポートをしなければなるまいと思っていた。

しかし、その思考はアミの言葉によって中断される。

「勝算はあるのね?」

「……一応は」

ヨルに近づいたアミの小声の問い掛けにヨルが頷く。

「いいわ」

アミはヨルの背中を軽く叩く。
まるで風摩キリトとのバトルを後押しするように。

「それなら、存分にやりなさい」

力強い一言だった。

滲み出る信頼。
僕とヨルにあるものとも、他の誰とのものとも重みが全く違う。

それはヨルにLBXを教え、成長を見て来た重みか。

「はい、先生」

アミの言葉にヨルは頷いた。

カズも「バトルするなら勝ってこい」と言う。

「みんな、行くわよ!」

アミの先導で僕たちはヨルと風摩キリトの横をすり抜けて、先に進む。
擦れ違う直前、ヨルの方を見ると、彼女は不敵に僕に笑いかけた。

青い瞳は暗い光を湛えて、こちらの指の末端まで冷たくなるほどに冷めている。

凍てつく眼差しは自分に向けられているものではないのに、僕はほんの一瞬動きが止めてしまったが、その眼差しはすぐにDエッグのエネルギーフィールドによって見えなくなった。



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