60.幸福の薬


暗い通路を僕たちは進んで行く。
巨大な機械が所狭しと置かれ、それを繋ぐ大小のケーブルがとぐろを巻いていた。

「なんかケーブルだらけですね」

「情報回線が集まっているところだからね、目的地は近いよ」

ヒロとユウヤの会話を背に、僕はこの空間に眩暈がするようだった。
数時間前の会話がまだ尾を引いている。

ここはフューチャーホープ号の艦内だ。

ライディングソーサーとLBXで空中とフューチャーホープ号の甲板の敵を制圧。
艦内に入って最初に見たものは、水の中で静かに佇むミサイルだった。
タンカーに偽装した戦闘艦だったのだ。

本来はここで事前に決めたチームに分かれて艦内を捜索するはずだったが、そこで大量の敵に襲われた。
今はランとジェシカ、それからアスカとヨルが敵の足止めをしてくれている。

暗い通路
で蛍光灯が煌々と輝く扉を見つけ、そこに駆け寄る。

「すごい大容量のストレージだ」

「フレイム全部が部屋の内向きに設置されている」

「ってことは、ここに『パラダイス』のコントロールセンターが…」

「入ろう」

幸いにして部屋のロックは掛かっていなかった。
扉は難なく開き、僕たちを招き入れた。

「ここがコントロールセンター?」

横たわるケーブルを踏まないようにしながら、室内を観察する。
ゴミや本が散乱する床を一蹴しつつ、部屋の奥を見れば、そこに二つのホログラムと人がいるのが見えた。

「おい! あんた!」

「ランチならそこに置いといてくれる?
今、手が離せないの」

「あーいやー、そうじゃなくてだな…」

コブラがなるべく穏便に話し合いでことを済ませようとしたが、それは相手が許さなかった。
ガタっと音を立てて勢いよく立ち上がると、こちらに振り向く。

「忙しいって言ってるでしょ!
……君たちは何?
勝手に入らないで!」

「僕たちは『NICS』の――」

「お母さん!?」

僕の言葉を遮り、ヒロが声を上げた。
その単語のあまりの衝撃に僕たち三人は目を見開いてしまう。

「ヒロ?
何故ここにいるの?」

「お母さんこそ、ここで何してるの?」

「何って…仕事に決まってるじゃない」

「仕事って……ここは『オメガダイン』の艦だよ!?」

「そうだけど、それがどうかした?」

何を当たり前のことをとでも言うように、その女性…ヒロのお母さんは首を傾げた。

「知ってたの……そんな……。
何度も電話したのに、こんなことしてたなんて……」

「貴女はここで何をしているんだ?」

ヒロ自身も目の前の事実に困惑しているのだろう。
僕が代わりに彼女に質問する。

「私が開発した人類最高のコンピュータ『アダム』と『イブ』の最終調整よ」

「ここは『パラダイス』のコントロールセンターじゃないのか…」

「コントロールセンターならブリッジにあるわ。
この部屋は『パラダイス』に搭載されている『アダム』と『イブ』を地上からメンテナンスするための私のラボ」

息子であるヒロがいるからか、最低限の警戒心は残しつつも、この部屋の用途を彼女は話してくれる。

「『アダム』と『イブ』とは?」

「男性の思考ルーチンと女性の思考ルーチンを併せ持つことによって、これまでのどんなコンピュータよりも優れた思考演算を実現した究極のコンピュータ。
それが『アダム』と『イブ』」

一瞬鳥海ユイのようなものかと考えたが、彼女とは開発のコンセプトが違うように感じた。
自分の中の考えを振り払う。

「『オメガダイン』はそのコンピュータを使って、LBXを操ろうとしているのか…」

「『パラダイス』に搭載されている兵器もそれで…」

「駄目だよ、お母さん!
『パラダイス』は通信衛星じゃない!
ミサイルやレーザー兵器を備えた宇宙軍事基地なんだ!」

「だから、何?」

「え?」

「分かってるわ、そんなこと」

当然と、彼女は言い放つ。
言葉を吐き出すと同時にヒロを突き放した。

「……お母さん。
…っ、『パラダイス』が宇宙軍事基地だと知って、どうして!」

「私の研究とは関係ないから。
『アダム』と『イブ』が完成したら、人類にもたらす恩恵は計り知れないものになるはず。
このコンピュータは人類に大いなる進化を促すのよ!」

「どんなにすごいコンピュータであっても間違った使われ方をしたら意味がないよ!


「より高度なものを造り出すのが科学者の役目。
どんなことに使われても私には関係ないわ」

「それは違う!
この世界を危険に晒す研究なんておかしいよ!
お母さん! こんなこと今すぐ止めて、僕たちと一緒にここから出よう!」

「ヒロ。私は科学者なの」

「お母さんなんて……お母さんなんて、科学者じゃない!!」

ヒロが絞り出すようにそう叫んだ。
その叫びに母親が動揺を示すのを僕は見逃さなかった。

そして彼女の座るコンソールの横にあるコーヒーカップの置き場と化している外付けのHDDの上に、ヒロと彼女の写真が置かれているのが見えた。

おそらくは小学校の入学式の写真だ。

それがあそこにあるということは……。

「出て行きなさい、ヒロ。
私はここを離れない」

「ヒロ君……」

「行きましょう。
『パラダイス』のコントロールセンターがあるブリッジへ」

そう絞り出すように言うと、ヒロは母親に背を向けてこの部屋を出て行く。
思うところはあったが、僕たちもその後に続いた。


■■■


警報音が鳴り、通路の隔壁が閉じられる。

戻ることは出来ても、進むことは出来ない。
だからと言って、戻ることは許されない。

先の隔壁を開けるためにコブラが頑張っているが、開けるのには時間が掛かりそうだ。

「…………」

ユウヤがコブラを急かすのを見ながら、僕は来た道に敵がいないか確認しているヒロに近づく。

「……ヒロ」

僕が名前を呼ぶと、ヒロは居心地の悪そうに僕から視線を逸らした。
何を言うべきか、どうして僕が彼に声を掛けたのか、ヒロはもう分かっているのだろう。

「……お母さんは僕が小さい頃からああなんです。
仕事に夢中になると僕のことなんか忘れて家に帰ってこないことがよくあって…。
まあ、さすがに一年以上は初めてですけど、でも決めたんです。
お母さんが夢中になれることがあるなら、その邪魔にならないことをしようって。
……好きだから、お母さんが」

気まずそうに、しかし彼は淀みなく、優しい目をして言い切った。

それは正しく信頼関係を築いた親子の姿だ。

好きという言葉に、羨ましい程迷いがない。
当たり前でとても貴い存在を前にして、目が眩むようだ。

………こんな想いを彼女もしていたのだろうか。

時折、眩しそうにバン君たちを見つめる彼女を思い出す。

「そう思える君は偉いな」

「?」

「僕はトキオブリッジの崩壊事故で両親を亡くした。
僕だったら、お母さんと一緒にいたい。
きっとお母さんだって、本当はヒロの傍にいたいと思っているはずだ」

「………」

僕の言葉にヒロは黙り込む。
僕の言葉を噛み砕き、飲み込んでいるのだろう。
ぐっと肩に力を入れたところで、ヒロのCCMが鳴る。

「え? お母さん?」

通信の相手はヒロのお母さんだった。

《ヒロ、まさか貴方に叱られるなんて思ってもみなかったわ。
ずっと一人にして辛かったはずなのに、この世界のために頑張っているのね。
驚いたわ……。
『アダム』と『イブ』を止めるわ》

「えっ…!」

《今からシステムをダウンする。
停止回避システムの解除とロックもするから、時間は少しかかるけど……》

「お母さん……」

ヒロの顔が喜色を帯びる。

《私が間違ってたわ。
ごめんね、ヒロ》

「分かってくれればいいんだ」

「そのコンピュータで『パラダイス』を止められませんか?」

《『アダム』と『イブ』は『パラダイス』の機能を支援するための物よ。
止めることはブリッジのコントロールセンターからしか出来ないわ》

「でも、ブリッジに行く通路は隔壁が閉まっていて…」

ユウヤの言葉が終わる前に閉まっていた隔壁が開き出す。
必死に端末をいじっていたコブラが「ありゃ!」っと慌てている。

《これでいいかしら?》

その言葉からこれはヒロのお母さんがやったことなのだと気づく。

「ありがとう、お母さん!
急ぎましょう、ブリッジへ!」




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