59.その扉を開く鍵はまだない


ひょっこりと廊下の壁からバン君を覗き見る。

私の横にはアミちゃんが、背後にはカズ君がいる。
身長差があるのでなかなかに威圧感がある。

「やっぱりショックよね…」

「ああ…親父さんが『ディテクター』だったこと以上にLBXの存在そのものを本人が否定したんだからな」

「うん…辛い、ね」

アミちゃんとカズ君の言葉に私は頷く。

それはとても辛い。

山野博士のLBXへの否定を思い出すと、胸の中でじわりと黒い染みが広がる。
色々な記憶と感情が引きずり上げられていくのに、視界が比例する。

「………」

視界がくすみ出した。
ぱちぱちと何回か瞬きをして、平静を装う。

「LBXはバンとお父さんを繋ぐ絆だったし…」

「ふう、しょうがねえな」

そう言うとカズ君が壁から廊下に躍り出る。
「しょうがない」という言葉にその意図を理解して、アミちゃんが止めに入った。

「お節介じゃないかしら」

「今焼かないで、いつ焼くんだよ」

なんとも説得力のある言葉だった。
ついでにと何か気づいたのか、私の頭も撫でてくれるから、返す言葉もない。

「……それもそうね!
少し見ない間に成長したみたいね、カズ」

アミちゃんが立ち上がる。

それに従って私も壁から出ようとすると、ヒロが現れた。
彼の視界に入る前に三人でさっと壁の陰に隠れる。

「あの、バンさん。
メンテの相談に乗って……」

ヒロはメンテナンスの相談に来たらしい。

どこか思い詰めた表情をしたバン君の視線を彼は追う。
その先には山野博士がいるはずで、視線をバン君に戻した時には全て理解しているように見えた。

「バンさん」

「ヒロ……」

「バンさん。メンテのアドバイスしてくれませんか?」

「ああ、いいよ。行こう」

ヒロに連れられるようにして、バン君はこの場を後にする。
その後ろ姿が扉の向こうに消えるのを確認してから、壁の陰から出る。

「……行っちゃったわよ?」

「行っちゃったね」

「俺っていつもこうなんだよなあ」

カズ君はそう言って、仕方ないよなと言うような、納得したみたいな表情。

「追いかけなくていいの?」

「ああ。バンなら大丈夫さ。
俺とアミがいなくてもここまでやって来たんだ。
今回も乗り越えられる」

「……そうね」

それは強い信頼から来る言葉だった。
当たり前だけれど、アミちゃんたちとバン君の間には私とは違う時間があって、それが形になって現れた。

私も大丈夫だと思う。

かつて「エクリプス」の廊下で蹲っていた私を立たせたのは、他の誰でもないバン君なのだから。

気遣ってくれる人はたくさん、傍にいるのだから。

「行こうぜ」

「あ、言うの忘れてた」

「ん?」

アミちゃんの声にカズ君が振り返る。
彼女は優しく微笑むと、そっと口を開いた。

「おかえりなさい、カズ」

「ああ、ただいま」

カズ君も笑みを浮かべて、そう言った。
二人の間の柔らかい空気を感じながら、私も「おかえり、二人とも」と言うと、ほとんど同時に頭を撫でられる。

「カズもだけど、ヨルも成長したわね。
友達もつくって……」

「大きくなったよなあ」

私のお母さんじゃないんだから、その反応はどうなのだろうか。

一年会わないとこの扱いがデフォルトになるのか。

避けることも出来ず受け入れていると、脇に手を差し入れられて、カズ君にぶらりと持ち上げられる。

「もう少し太れよな」

「さすがにそれはデリカシーがないんじゃないかしら、カズ」

余程軽かったのか、そのままカズ君は歩き出してしまう。
ぷらりと投げ出された足を彼に当てないように注意する。

なんだっけ、これと似たようなのを見たことがある気がする。

あれだ、捕まった宇宙人。

確か捕まった後はドイツに送られたんだっけ。

私が送られたのはメンテナンスルームだったけれど。
そこでメンテナンスしていたジンとジェシカは私たちを見て、目を見開いた。

ジェシカが視線を数秒彷徨わせた後、戸惑いながらも言ってくる。

「なんだかあれよね……扱いが犬、みたいな」

「それだ」「それよ」

「……人型ですらない」

ジェシカの的を射た発言にカズ君とアミちゃんが同意する。
「久々に会った実家の犬だな」「ああー…」と二人で補足を付けないで欲しい。

恥ずかしさに思わず手で顔を覆ってしまった。

「そろそろ下ろしてやってくれ」

ジンは私たちに近づいてくると、私の脇に手を入れ、床に降ろしてくれる。
久々の床になんだか安心する。
やっぱり地面が良い。

「さて、メンテナンスしましょうか」

「そうだな」

二人は全く気にせずにさっとLBXを出して、メンテナンスを始める。
私もそれに加わろうと思って、ジャバウォックを取り出した。


■■■


「もし……」

ジェシカの話は唐突に、しかし鋭く室内に響いた。

「パパが正義のためとはいえ、山野博士と同じようなことをしたら、私は許せるかしら」

自問自答。

それでいて、他人の答えを欲している響きに僕の手元に暗い影が落ちる。
ぴくり、とヨルの指が一瞬震えるのが目に入った。

許せるだろうか、僕ならば。

父親が正義のために悪を働いたとしても。

冷たい水の中に自分が沈んで行こうとも、僕を抱きしめ、助けてくれた父親が。
家族を失った僕の家族になってくれたお祖父様が、同じことをしても。

「………信じることが出来れば、許せるだろう」

ヨルの青い眼差しが透明に冴えていく。

「信じる?」

「ああ。人は……過ちを犯す」

どんな人でも、等しく、過ちを犯す。

「どんな理由があろうと過ちは過ちだ。
その責任を取らねばならない。
だが、どんな犠牲を払ってもやらなければいけないことがある。
山野博士はそう考えたのだろう」

何を投げ打ってでも、やりとげなければいけないことは存在する。

それには相応の責任が伴う。
山野博士は取るべき責任を認識している。

彼は本当に……あるべきしてある素晴らしい科学者で、人の親だ。

考えてはいけないと思いながらも、僕の頭の中であの記憶が蘇る。

青く揺蕩う部屋。
冷房で凍えるその部屋にぶら下がる、あの人は……。

「それを信じられるかって、ことか……」

「……ああ」

頷くことで暗い記憶を振り払う。
ちらりとヨルを盗み見ると、彼女は僕と視線が合うと柔らかく微笑んだ。

「…………っ」

ゆらりと揺れる、微かな甘さを含んだ眼差し。
それは少しだけ寂しさを纏っている。

ジェシカもそれに気づいたのか、少し躊躇した後にヨルに問い掛けた。

「ヨルはどう思う?」

「私は本当にお父さんがやらなければいけないことなら、全部ゆるすよ。
……お父さんなら、ゆるすよ」

ヨルは即答する。
言ってから、彼女は困ったように眉を下げ、手の甲を親指で撫でた。

「信じてるから?」

「うーん……それしか思いつかないからだよ」

からからと虚しく微笑みながら、ヨルは言った。

もう仕方がない、と。
それしか答えが出せなくなってしまった、と諦観しながら。

そんな彼女の頭にカズが緩く握った拳を落とす。

ゴスっと良い音がした。

「いったー…」

「自業自得だぜ」

「カズの言う通りね。今のはヨルが悪いわ」

カズとアミの言葉に僕も頷いた。

まだ「仕方がない」はずがない。
ヨルはまだまだこれからなのだから。




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