55.嘘吐きのための解剖学
「まずは根拠を訊こうか、ジェシカ」
ヨルは冷静だった。
焦る訳でもなく、困惑する訳でもなく、ただ静か。
あまりの落ち着き加減にちょっとぞっとした。
「単純な理由よ。
顔が似てるから。
ランやヒロは気づかなかったみたいだけど」
「なるほど、単純な理由だね。
根拠としては弱いかな」
ヨルは紅茶を一口飲んでから、角砂糖を一つ落として、ティースプーンでぐるぐると掻き混ぜる。
動揺した様子はないわね。
「次の根拠は?」
カムヒアーと日本人らしい英語で次を要求する。
ヨルは余裕たっぷりの態度で普段の彼女は鳴りを潜めている。
もっと、こう……動揺してくれるかとも思ったけど、もしかして、こっちが素とか言わないわよね。
「どうして、動画が消されたのか」
「動画?」
「そうよ、動画。
イオの動画が消された理由。
非公式ならともかく公式動画まで消されたのは余程マズイことがあったからとしか考えられないわ。
著作権に引っ掛かっていたとか、危険人物が映っていただとか、でも…どう思い出しても、そんなことはなかったわ。
なら、イオの動画の何がマズかったのか」
CCMの写真をヨルに突きだす。
「それはイオ自身よ」
「……ふむ」
ヨルは頷いただけだ。
それを確認してから、私は続ける。
「私、思い出したのよ。
『アルテミス』の時、ヨル、貴女…大会に出ることを拒んでいたわよね。
結局アスカのサポートメンバーとして出たけど、パーティーは全力で拒否したわ。
リリアさんにバレるから、ロシアの企業が出るからって。
でも貴女、実際には『アルテミス』の主催の方を警戒したのね。
………身分を偽って大会に出場したペナルティで、出場停止を喰らった…といったところかしら?」
今回の「アルテミス」だと暗殺犯がそれに当たるけれど、あれはまた別ね。
あれが正統な理由とは思わないけれど、裏で仕込んでいた相手が相手だもの、
比べるのは間違っているわ。
「なるほど、間違ってないね。
私がイオだよ、ジェシカ」
拍子抜けするほど簡単に正解を出される。
私の推測に大きく頷くと、とびきりの笑顔でヨルが言った。
その反応に思わずぞわっと背筋に嫌な感覚が走る。
「ちなみに推測以外の根拠は示せる?」
「『NICS』で調べようかとも思ったけど、止めたわ。
直接訊きたかったから。
それに何かあって職員にバレても困るでしょ」
「なるほど。
私から言質は取れた訳だ。
ちなみにこのこと、カイオス長官とコブラさんと拓也さんに……バン君とジン、ユウヤにアミちゃんとカズ君は知ってる。
あ、あと郷田さんと仙道さんも。
『イノベーター』と戦った人たちは知ってる人は多いよ」
「そんなに!?」
ヨルがつらつらと並べた名前に驚いてしまう。
もしかして、気づいてなかったのは私とランとヒロぐらいなの!?
推測を組み立ててから結構悩んで言ったのに!
……でも、だったらヨルの態度にも納得出来なくはない。
イオのことを訊いた時のバンたちの言ったことも嘘だったということになる。
私が調べていることにパパが何も口を挟まなかったのも、そういうことか。
「パパめえ……!」
「まあ、言わないように頼んだのは私だから。
責めちゃダメだよ」
「そこまで知れ渡ってるなら、私やランに教えてくれても……。
というか、なんで『そんなこと』になったのよ」
「それほど珍しい話でもないんだけど、ほら、『アルテミス』でも話した…嘔吐の話と根っこは一緒だよ。
家庭問題」
それは良く憶えている。
最近はまあマシらしいので見守っているだけだけれど、あれはやっぱり家庭事情から来ているのね、と改めて認識する。
ヨルの口からすんなりと出て来たのが意外だわ。
「それと関係してて、色々ありまして、金銭的な問題から檜山さん…ええっと、レックスに協力してたんだよ。
だから、イオになってたのです。
かなり端折った説明だけど」
「金銭的…」
「金銭的な理由以外にもあるけど、そこは追々。
とにかくお金が必要だったんだよ。自由になるお金」
右手の親指と人差し指で円を作りながら、ヨルは言った。
古典的なコインの形に私はどう言えばいいのか分からなくなる。
「レックスってバンたちの敵に回ってまで、お金が欲しかったの?」
「うーん……正確に言えば、敵になったんじゃなくて、最初から檜山さん側だったから、バン君たちとの敵対は後から付いてきたのかな。
でも、まあ、最後まで拒否しなかったから、どう責められても文句は言えないよ」
「別に責めるつもりはないわ。
ただ確認したかっただけだもの」
「分からないと不安でしょう?」と私が言うと、「それもそうだね」とヨルは頷いた。
ちなみに、とバンたちにはどのくらいでバレたの? と訊くと、ヨルは視線をあっちにこっちに移動させながら首を傾げる。
「どのくらいだろう……。
長かったような、短かったような……バン君たちは少し気づくのが遅かったかな。
………最初に気づいたのは、ジンだったよ」
「ああ、なんか納得」
ティーポットから紅茶を注ぎながらヨルが言う、その名前が私の中で妙に腑に落ちた。
なるほど、だからなのね。
思い出すのは、ヨルを心配そうに見つめる彼の瞳。
「アングラテキサス」の時や「アルテミス」の時もヨルのことを何気なく目で追っていたのをよく憶えている。
パーティーの後に誰よりも先にヨルを迎えに行くと言ったのはジンだった。
帰って来た二人からした潮の香りから、何かあったのは予想できたけれど、どうしてそこまでするのかの「どうして」が今まで抜けていた。
それがやっと繋がる。
それから二人の間にある、バンや私たちに向けるのとは違う、信頼。
あれも、つまり……そういうことね。
一番最初が特別というのは分かる気がする。
最たるものが両親ね。
子供が一番最初に触れるもの。
最初の友達。最初の玩具。最初のペット。
多くの場合、それは特別になるわ。
「だから、好きなのね」
年頃の女子らしい思考回路を通して、何の気なしにそう言うとヨルは紅茶をカップに注ぎながら小さく首を傾げる。
あ、これは正しく伝わってないかもしれないわね。
でも話題が変わったのは敏感に感じたようで、ヨルの纏う空気が緩むのが私にも分かった。
「好きって意味なら、ジェシカやバン君も好きだけど?」
「まあ、でしょうね。
……というか、ここまで一緒にやってきて、嫌われてたら立ち直れないわ。
そうじゃなくて、ほら、あれ」
「あれ?」
私が声を潜めたのに嫌な予感でもしたのか、ぴくっと眉を動かしつつ、ヨルは砂糖を溶かすためかゆらゆらとカップを揺らす。
私はそこにスプーンを突っ込んでから、ランが言うところの厭らしい笑みを浮かべてみせた。
ヨルがちょっと体を後ろに逸らす。
「恋愛的な意味で」
「………恋愛」
きょとんとした声で反芻する。
そんなこと考えてませんでしたとばかりの声に、私はもう答えを見せられた気分。
それでも気まずい雰囲気は避けたいから、なるべく明るく話を続ける。
「ないの?」
「友達としては好きだよ。
ジンにも言った」
「言ったの!?」
思わず叫んでしまった。
色々なところからの視線が痛いけれど、そんなことを気にしている場合じゃない!
「うん。言っておかないとこれから先言うことなさそうだったから」
「それでも……まさか本人に言うとは……。
というか、教えてくれるとは……。
それでジンはなんて?」
「私と同じように言ってくれたけど」
「……そうなのね」
なんと言っていいのやら。
その場の雰囲気とか表情とかは一切分からないけれど、それほど雰囲気は悪くなかったはず。
想像でしかないけれど、多分「アルテミス」のパーティーの後ぐらいかしら。
想像の中であれこれと捻って申し訳ないけど、場面だけで言えば色々と誤解されてもおかしくないシチュエーションね。
詳細を訊きだそうとしたけれど、そこはやんわりと断られた。
私も無理強いしない。
今後に響くし、秘めた方が良いものはあるもの。
それでも訊きたいことが山ほどあるのも事実。
「ジンに『好き』って言われて、嬉しかった?」
私がそう訊くと、カップに伸ばしていたヨルの指が止まる。
眉間の皺をより深くして、琥珀色の液体を睨んだ。
彼女は話題に似合わぬ重い雰囲気を纏って、慎重に言葉を選びながら言った。
「自分と同じような感情が還ってくるのって、すごいことで、多分…嬉しかったよ。
………信じられなくて、少し怖かった」
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