49.流れ着いて今


「ジェシカ、質問があるんだけど、『パラダイス』って何?」

先程配られた分厚いファイルを持ちながら、ヨルがジェシカに質問した。
自主練の途中だが、今は休憩中だ。
その合間に分からないことを訊こうとでも思ったのだろう。

「通信用の人工衛星のことよ。
時計の時刻を合わせたりとか位置情報を発信したりとか、そういうことに使うのよ。
シャンパオの時はこれで司令コンピュータの位置を掴んだりしたわ。
そういえば、ヨルはいなかったわね」

「なるほど…ありがとう。
いろんなページに書いてあったから、気になったんだ」

「どういたしまして」

ジェシカに礼を言ってから、ヨルがまた資料に目を通す。
ジェシカはヨルの隣からそれを覗き込む、彼女がいない間に起こったことを説明し始めた。

「イギリスとロシアは被害はないんだね」

「気になるの?」

「うん。
イギリスは今住んでるところで、ロシアは故郷だから。
あそこの冬は綺麗だから、なるべくならそのままの方が良いと思わないかな?
踏み入れないで、そのままが良いと私は思うんだけど……」

「あー…でも。『ディテクター』の目的は経済危機を引き起こすことだし、自然は大丈夫じゃないかしら。
カイルの時みたいに爆発に気を付ければだけど」

「ディテクター」の目的は経済危機を引き起こすこと。
また向こうにはかなり腕のいい研究者がいる可能性がある。

拓也さんたちはそちら方面から「ディテクター」の手掛かりを探ることになった。

その中で僕たちは各々の実力を高めることを求められた。

バン君たちはオタクロスと特訓の最中であり、僕たちは自主練。
今はお互いの連携の仕方を試しているところだ。

僕とユウヤ、ヨルの連携はそれなりの出来になっているが、やはりまだ会ってから日の浅いヨルとジェシカの連携には不安要素が残る。
それでも戦うには全く遜色ないが、僕たちはもっと強くならなければいけない。


■■■


カイオス長官に呼び出され、次の目的地を教えられる。

目的地はイギリス。

「ディテクター」が何か起こしたから行くのではないらしい。
イギリスのブリントンに山野博士の研究施設があり、そこでLBXの強化をしてくれるそうだ。
どうやらヒロの母親もイギリスの「次世代エネルギー研究所」という場所で研究員をしているという。

ブリントンへ着き、空港のロビーへの道のりでヒロは母親に電話を掛けたが出なかった。

ヨルのおじさんである誠士郎さんもこっちにいるはずだが、彼への電話をしていたヨルは何故か無表情で終話ボタンを押していた。何があった。

「おじさんどうだったー?」

ランの問い掛けにヨルは自分のCCMを指差しながら言う。

「圏外だった」

「え、マジ?
ヒロのお母さんみたいに電話に出れないんじゃなくて?」

ランが驚いたような声を上げる。

僕もそれには驚いた。
今はある程度の場所は例え山奥であったとしても電波は届く。
電波を遮断できるような場所であれば別だが、圏外というのはただ事ではないような気がした。

「それ、大丈夫なんですか?」

「えっと…どうだろう。確認取りたいんだけど、相手は繋がんないし…。
あ、リリアさんもダメだ。圏外」

「ええー…どうする――」

「ちびっ子ー! ヨルー!
久しぶりー! 元気だったー?
『アルテミス』見たよ。言ってくれたら録画したのにー!
あはは〜」

ランの言葉を遮って、横から長い金髪が躍り出る。

ふにっとヨルの頬を軽く抓るのはリゼだ。
リーゼリッテ・ノーマ。
眼の下に隈を作り、明らかに深夜のそれな彼女が突然横から飛び出て来たのだ。

「去年の『アルテミス』優勝者の山野バン君だよねー。
ヒロ君もランちゃんも見てたよ。
『アルテミス』出場おめでとー」

「あ、ありがとうございます…」

バン君が勢いに押されながら礼を言った。

「目がやばい」「あれは何徹目ですかね…」というのが小声で聴こえるが、相手には聞こえていないらしく、早々にヨルと話を始める。

「時間がないから掻い摘んで言うけど、今現在家には誰もいません!
『ディテクター』の件でイギリスではまだ被害はないけど、いつ襲ってくるか分からないし、今まではなかったけど『ディテクター』の技術ってすごいじゃない?
あの技術でパソコンからデータ引っこ抜かれたら大問題でしょ!
うちの研究室はさ、色々と世間に出るとやばいデータもあるから、そういうことに敏感でね。
火事場泥棒に来られても困るから、対策立てなきゃなんだけど、それが煮詰まってて、しょうがないから研究室に泊まり込むっていう体たらくなわけよ。
家が心配だったけど、そこは大丈夫!
家の方は誠士郎さんが自腹切って防犯カメラ付けたから!」

「はあ…。おじさんは?」

「誠士郎さんはロシアのなんとか遺伝子研究所? って所で、サンプルや機械の後処理に行った。
色々とあって廃止されてそのまま放置されてたらしいけど、『ディテクター』の襲撃を懸念して今急いでやってるみたい。
初期メンバーだから呼ばれたとかなんとか…。
だからその関係でしばらく電話は圏外だけど、心配するなってことで一つ。
では、私は早々に研究室に戻ります!
じゃあね、ヨル。ジンもね」

用件だけ済ませると、リゼはさっさと空港から去っていく。
「さあ、地獄だ!」という叫びが聞こえなくもなかったが、寝不足で多少箍が外れているのだろうと解釈することにした。

その後ろ姿を見ながら、「嵐みたいな人だね…」とユウヤが呟く。
それに「普段はもっと大人しいんだよ…」とヨルがフォローを入れていたが、大して効果があるとは思えなかった。

「なんとか遺伝子研究所か」

「名前全然分かんないよねー。
まあ、心配はいらないんじゃない?」

「うーん…」

そうは言われても心配なのだろう。
冴えた色をした青い目を鋭く細め、ヨルは考え込んだ。

マングースとも合流しなければいけないのでどこかでヨルをこちらに引き戻さなければならないのだが、心配する気持ちも分かるので止め所が分からない。
考えあぐねていると、ジェシカがヨルの腕を引いて歩き出したので、僕たちも歩き出すことが出来た。

「ヨルのおじさんって、何を研究している人なの?
遺伝子研究所ってことは遺伝子工学?」

「えっと…確か遺伝子工学を利用した人工臓器の安定した作製がどうとか……。
前は違う研究をしてたけど、そっちは色々あって止めたって。
生命倫理の観点からもキツイって言ってたよ。
私は本人たちが納得してるなら、許されるんじゃないかなと思ったけど。
だって知られなければ良いんだし」

「それは分からないけど、臓器の方は今はオプティマがあるし、大変そうね」

「みたいだね」

ジェシカの言葉にヨルは頷く。

誠士郎さんの研究分野は実のところ、僕も詳しくは聞かされていない。
その分野では知られた人物なようだが、ちゃんとヨルの保護者をしてくれている。
それだけで僕には十分なように思えた。

「ねえねえ、前の研究って何してたの?
ヤバい研究?」

ヨルの隣に立って、ランが訊く。
ランは興味津々といったようだ。
ヨルは視線を上に向けて、数秒考えてからランの質問に答えた。

「うん。ちょっと『ヤバい』やつ。
だから秘密」

そう言って、しーっと人差し指を唇に押し当てたのだった。





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