47.アクアテラリウム

ヨルの言葉に僕は目を丸くしてしまった。

僕の反応に彼女は上目遣いで僕を覗き込んで笑う。
期待外れの反応だという訳でもなく、まるで弟を見守る姉のようで、なんだか恥ずかしい。
そんな僕とは反対に彼女は「友達としてだよ」と無邪気に言った。

そんなことはヨルの声を聞いていれば分かることで、この好意は家族に向けるものとも別物だ。

しかし青い瞳が雄弁に「これは本当のことだよ」と語る。

「……急にどうしたんだ」

ふつふつと沸き上がってくる恥ずかしさにどうにか目を背けて、僕は絞り出すようにそう訊いた。

「別に…なんとなく、伝えてみたかっただけ。
君が好きなのはちゃんと分かってるよって。
それに今を逃したら、言えなくなりそうだから」

ヨルは恥ずかしげもなく言った。
それから更に僕のことを覗き込み、言葉を重ねる。

「バン君たちも好きだけど、多分一番はジンだよ」

迷いなく、その感情に名前を付けることをヨルは戸惑わなかった。
つまりは、それだけはっきりと分かっていることなのだろう。

ヨルの追い打ちに僕は右手で顔を覆う。

ヨルは僕の行動に首を傾げていたが、だからといってそれに何か言う暇はなかった。

「……大丈夫?」

ヨルの言葉に僕は「大丈夫だ」と返事をする。
僕の言葉に「そう…」と言いつつも心配なのか、背中を数度撫でてきた。

その感触に今感じているものとは違う恥ずかしさを覚えつつ、安堵してしまう。

ああ、そういうことか。

撫でられ、安堵し、僕はそう心の中で呟いていた。

ヨルの声が頭の中で何度も繰り返される。
声と言葉に肌を柔らかく撫でられるような錯覚に陥る。

僕はヨルに気付かれないよう小さく溜め息を零した。

ヨルと話したいと思っていた。
アスカと気兼ねなく話しているのを見て、自分でもよく分からない感情に襲われた。

あれがなんなのか、背中を擦られ安堵した時に分かってしまった。

おそらく、僕は……寂しかったのだ。

僕はどこかで無意識にヨルがアスカに見せたような態度を他人にするとは思っていなかったのだろう。
ヨルと話せなかったことが自分が思っていたよりも堪えていたのもあった。

そう、それが寂しかった。

誤解を恐れずに言うならば、僕はヨルが他人と親しくなることが嫌だったのだ。

今度は深く溜め息を吐く。
隣にいたヨルのぐうっという呻くような声が聞こえたような気もしたが、そちらに意識を避ける程の余裕は今の僕にはない。

子離れ出来ない親か。

自分の思考に呆れる。
分かってみれば簡単なことで、だから「好き」と言われ、背中を撫でられて、安堵したのだ。

我ながら単純な……。

恥ずかしさが増していき、どういう表情をヨルに向けていいのか迷っていると、右手に微かに重みを感じた。
柔らかい感触が弱い力で僕の手を動かそうとする。

未だどういった顔をすればいいか分からなかったが、それに従って、手を顔から外す。
僕の手を恐々と掴みながら、不安そうに僕を見上げるヨルがそこにいた。

何か言おうと口を開いて、考え直して閉じる。
青色の瞳を逸らし、数秒してから僕へと戻す。
その繰り返し。

先程とは違う少し心許ない姿に、僕は思わず苦笑してしまった。

「本当に、大丈夫?」

「……ああ」

心情は全く大丈夫ではなかったが、僕はゆっくりと頷いた。
僕の眼をじっと数秒見つめた後、ヨルは「良かった」と安心したように笑う。

ほう、と溜め息が零れる音が波の音に紛れて聴こえる。

それと同時に掴まれていた右手が離された。
僕はほとんど無意識でその手をヨルの頬に伸ばした。

輪郭をなぞるとくすぐったいのか、ヨルが小さく身をよじる。

その反応に僕はまた苦笑して、頬から手を離すとそれをヨルの頭に置いた。

「僕も君が好きだ、ヨル」

君と同じように。

ごく自然にそう言っていた。
僕は自分自身の言葉に驚かなかった。

躊躇なく、ずっとそうだったとでも言うように。

ヨルは僕の言葉に目を瞠り、たっぷり時間を掛けて、ゆっくりと微笑む。

「うん。ありがとう」

ことりと首を小さく傾け、ほんの少し困ったように笑いながら、柔らかな声でそう囁いた。

僕はそれに応えるようにヨルの頭を撫でる。
ヨルは恥ずかしそうにしながらも、黙って撫でられ続けてくれた。

しばらくそうされていると、ヨルは僕を不意に上目遣いで見上げる。

「あのね、もしも……ジンが私を嫌いになったとしても、私は多分君を嫌いになれないよ。
それぐらい、ジンのことが大切みたい、私」

そう言って、「バン君たちもだけどね」とまた笑う。

僕が満足してヨルの頭から手を離すと、彼女は大きく伸びをする。
それからスカートの端を海水で濡らさないように掴みながら、つうっと指を海に浸した。

海水から指を離すと、ぽたぽたと水が指から腕を伝って、最後にワンピースを濡らした。

それに彼女は「あーあ」と呟く。

「ジンに言いたいことがあったんだけど、」

どこか達観した笑みを真っ暗な水面に向けながら、ヨルは言った。

「さっきのこと以外にか?」

ヨルは手についた海水を払う。
水滴が音もなく落ちるのを最後まで見守ってから、後ろ手に手を組んで海から離れながら言ったのだ。

「うん。でも、忘れちゃった。
だから、思い出したら、また言うことにするよ。
さ、帰ろっか、ジン」


■■■


ホテルに帰ってくると話は明日にということになって、それぞれの部屋に分かれることになった。

部屋割りはバン君とヒロ、ランとジェシカ、ジンとユウヤ、郷田さんと仙道さん。
それから私とアスカというふうになった。

「なーんだ。最高級スイートってやつじゃないのか」

アスカはホテルの部屋を見た時にそう言ったが、十分に良い部屋だ。

大きな窓の向こうには今は真っ暗だけれど、海が果てしなく広がっているはずで、部屋は二人で使うには広すぎるほどだった。
アメニティは今まで見たことない数が揃っていて、お土産で買えばそれなりのお値段がしそうだ。

入浴剤もあったので…と、何故かアスカと二人一緒に入ることになった。

二人共小さいので、浴槽に難なく二人収まることが出来る。
アスカの長い髪がゆらゆらとお湯の中で揺れていた。

「後夜祭どうだったんだ?」

「必要なパーツは買えたし、お腹いっぱい食べられたし、満足です」

「ふーん」

徐にお湯の中からアスカの手が伸びて来て、私のお腹の肉を掴んだ。

ふにふに。ふにふに。

只管に揉まれる。
痛くはないけれど、慣れていないから、くすぐったい。

「腹膨らんでねえじゃん。もっと食えよ」

「十分食べたよ」

お湯の中のアスカの手を阻みながら言う。
結構力を込めているからか、水面がちゃぷちゃぷと揺れた。
しばらくそうしていると、アスカの方が力を抜いて、バランスを崩してお湯の中にそのまま突っ込んだ。

お湯から顔を上げるとアスカがけらけらと笑っていた。
ふるりと気休め程度に頭を振ってお湯を払うと、「犬みたいだな」と余計に笑われる。
思わずアスカを少しだけ睨んでしまったのは仕方がないと思う。

「悪かったって。
お詫びに頭洗ってやるよ」

「いや、自分で出来るから」

「遠慮すんなよ」

自分でやると言おうとしたけれど、その前にシャワーを浴びせられて、強制的にシャンプーをつけられる。
思ったよりも優しい手つきに油断して、少し眠くなってしまう。
少しばかり舟を漕ぎ始めたところで、お湯を掛けられて目が醒めた。

海に行っていたからと二度目のシャンプーをつけられ、あれよあれよと言う間にお風呂から出てドライヤーまでされていた。

アスカがベッドを叩いて寝やすいように崩しているのを横目に見ながら、もしかしたら妹のような立ち位置に収まってしまったのではないかと考える。
それならそれでいいけれど、扱いは犬みたいだ。

「寝るぞー」とアスカが枕元の灯りを弱くし始めたので、思考を止めて、ベッドの中に入る。
リネンウォーターだったか、ああいったものがしてあるのか、ふわりと花の匂いがしてきた。

高級過ぎて逆に安眠出来なそう…。

私はそう考えたけれど、アスカはもう寝息を立てている。早い。

すう、はあ…と深呼吸をして、私も寝る準備をする。

目を閉じると、波の音が耳の中で繰り返し聞こえてくる。

「………」

身体を丸めて、耳に手を当てて、私は無理矢理眠りに着いた。




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