46.瑠璃の鳥
砂を小さく蹴りながら、海へと近づく。
パーティーはどうだったかと訊かれ、僕はあの煌びやかな空間の空気や音を思い出しながら、ヨルに話した。
バン君たちとバトルをしたこと、その時に決め台詞を言ったこと。
「決め台詞はちょっと恥ずかしいね」
「いや……それほどでもなかった」
大して恥ずかしいとは思わなかったと言うと、ヨルは目を丸くした。
そして自分で納得したのか鷹揚に頷くと、「楽しかったなら良かった」と笑う。
ヨルの方はと言うと、アスカの頼まれ事を済ませた後は適当に屋台を巡っていたらしい。
片手で口を覆い、「全部バーベキュー味だった」と呟いた。
サイズもサイズだったのだろう。
もう片方の手で腹を押さえているから、もう満腹なようだ。
「あと…アレキサンダーシスターズの二人と…オタレッドさんに会ったよ。
『機会があればバトルしましょう』って言われた」
「…良かったじゃないか」
ヨルはアスカの影に隠れてはいたが、それほど弱いLBXプレイヤーではない。
本人はどう認識しているかははっきりしないが、ヨルは強い。
前回「アルテミス」のセミファイナリストなのだから当然だ。
そしてここに来るまで今まで通りか、それ以上の努力を止めはしなかったのだろうから。
「うん。それは…自分でも良かったと思う。
見ていてくれたんだと思ったから……ただオタレッドさんの方が少し…」
「何かあったのか?」
思わず首を傾げてしまう。
彼は嫌な人物などでは決してなく、趣味は兎も角として、かなりの好青年だ。
嫌味を言う姿は想像できないし、彼がヨルにそこまでの感情を抱く必要もない。
「…『アキハバラ』でのこと、私がユイだった時のことを憶えていて、LBXのことを話したいように見えたから話したいって言われた。
少し驚いたの。
そういう人じゃないっていうことは分かってたんだけど、恨み言の一つでも言われるかと思ったから」
「言われたかったのか?」
ヨルはそこでぐっと小さく唇を噛む。
後ろめたいことでもあるのか、指を組んでは解きを繰り返した。
深呼吸を一度してから、真っ暗な海を見つめて言った。
「そういうわけじゃないけど……私だったら、多分少しぐらい文句を言いたくなると思うから。
まだ…よく分からない時もあるけど、大抵の人はそうだと思う」
「…………」
その言葉に何と答えればいいのか。
一瞬冷たい手が僕の心臓を撫でたような気がした。
ジェシカやランにはあまり見せようとしない、真っ暗な目の前の海とは違う、暗く淀んだ青色が微かに見える。
これを良い傾向と見るか、そうではないと見るべきか、迷う。
言うべき言葉を探している僕をヨルは見上げた。
深海の青が揺蕩う瞳。
見上げるために首を少し傾けると、音もなく亜麻色の髪が肩から零れ落ちていく。
月の光でとろりと甘い色をしたその髪を見て、僕は情けないことではあるが、苦笑するしかなかった。
「………色々」
ヨルが口を開く。
視線を泳がせ、目を伏せ、たどたどしく言葉を続ける。
「思うことはあるけど、別に彼を嫌だと思っているわけじゃないよ。
大抵の人はそうでも、そうじゃない人もいるのを知ってる。
……ただ自分の思っていることを深く考え出したのは、本当につい最近の話だから」
とんとんと、人差し指で軽く自分の胸を…心があるとされている場所をヨルが叩く。
そして、へらりと子供らしく笑った。
「あの時どう思ってたんだろうとか、今思っていることがどんなことなんだろうとか…そういうことを考えてる。
……お母さんとかお父さんとか、お姉ちゃんとかじゃなくて、自分のこと、考えてるんだ。
変なの」
ぐっと大きく伸びをしながら、ヨルはそう言った。
少し恥ずかしそうに、それでいて微かに諦めたように微笑む。
「いや、そんなことはないだろう。
変なところは一つもない」
僕は出来るだけ硬い声にならないように注意しながら言う。
言いながら、僕は安堵した。
薄暗い感覚が肌を撫でたから。
それは錯覚だったのかと、彼女に気づかれないように小さく溜め息を零した。
そんな僕を横目で見つつ、ヨルは多少気恥ずかしいのか、白い項を擦る。
「でも、考えていることに名前を付けるのは、やっぱり変な感じがする。
寂しいとか楽しいとか。
感覚的に分からないことの方が多いからどうしようもないけど、目の前に名前だけ知ってる物を一つ一つ出されて、教えられてるみたい。
それがほんの少しだけ苦手。
分かっている気がするんだよ、分からないのに。
そういうふうに振る舞って来たから、周りからはちゃんと普通に見えてると思う。
だからって、みんなは当たり前に出来るから、少し恥ずかしい。
それに名前を付けるのは…戸惑うというか…」
亜麻色の髪を弄りながら、そう言葉を紡いだ。
青い瞳を伏せて、白い指同士を絡める。
僕はそれに仕方がないだろうと思いながらも、何も返せないでいた。
そういうことを教わってこなかったのだ。
感情の名前を教えるのは、難しいことだと思う。
でも、僕は…大抵の人は自分がどんなふうに考えているか、そこにある感情が何なのかは分かっている。
時折持て余し、勘違いも多いが…。
感情は…その最初は親に倣うものだ。
だから、ヨルが周囲よりも感情が理解が出来ないことは、その大部分が彼女のせいではない。
「でも、」
言葉を区切り、ゆるりとヨルが僕を見上げた。
その視線に僕の思考は途切れる。
「?」
その意味が分からずに首を傾げると、彼女は緩く微笑む。
一度視線を外し、瞳を伏せ、もう一度今度は優しく柔く微笑んだ。
青色を湛えた眼は穏やかに凪いでいる。
「私、ジンのこと、好きだよ」
静かな、優しい声だった。
烈しさも寂しさもない。
その代わり、澄んだ優しさを滲ませた声が僕の鼓膜を揺らす。
「きっとそれだけじゃないけど、でも、ここにジンがいるのを時々感じるから」
ヨルは緩い拳をつくって、僕の胸を軽く叩いた。
そこは心があるはずの場所。
「バン君もカズ君もアミちゃんも。
ランにジェシカ、ヒロにユウヤも…確かに存在を感じる。
でも、一番最初にここに触れてくれたのはジンだよ」
だから、好きだよ。
何のてらいもなく、ヨルは言い切った。
声は何処までも澄んでいた。
亜麻色の髪は白い肌を甘く滑る。
いつもよりもまろい眼差しは僕への慈しみで満ちている。
そして…彼女はほんの少し寂しさが滲んだような笑みを浮かべた。
小さな子供のような、幼い笑みだった。
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