36.デウス・エクス・マキナ


ところで、私は「お願い」という言葉に弱かったりする。

言われた途端にぐらりと心が簡単に傾くぐらいには、弱い。

そして、大抵のことはほいほいときいてしまうことが多いから、一回カズ君に怒られたことがある。
今この場に彼がいたら、怒られるんだろうなあと思いながら、さりげなく目当ての人物を捜した。

「アルテミス」会場は騒がしい。
お祭りっぽい感じがする。
馬鹿騒ぎしても全て許されてしまうような、そんな雰囲気。

私は少し苦手かもしれない。

「ここが会場か…」

「とうとう来たね」

感心するように言ったユウヤに、ランの言葉が続く。

「それにしても、すごい人ですね!
話には聞いてたけど、こんな大きな大会だったなんて…!」

ヒロも昨日からのバン君たちの話で想像を膨らませていたからか、いつもよりも瞳が輝いている。

コブラさんは観客として会場に入るから、私たちとは別れることになった。
本来なら、私もここでコブラさんに続くべきなんだけど……

「あら。コブラと一緒に行かないの? ヨル」

ジェシカが不思議そうに訊いてくる。
私は視界の端でお目当ての人物を捉えながら、笑顔をつくる。

「うん。私はちょっと用事を済ませてから行くよ。
また後でね、みんな」

軽く手を振って、みんなとは別れた。

みんなと少し距離を取ってから、CCMを開いて、その人物に近づきながら、また違う人物の電話番号を取り出した。


■■■


「チーム分けは山野君と海道君とカイオスさん。
大空君と灰原君と花咲さんですね」

「はい!」

事前に決めていたチーム分けにバン君が頷いた。

話し合いの元にこれと決めたものなので、僕たちもそれに納得している。
本来はこれにヨルを入れるという案もあった。
僕も入れてバン君、ユウヤ、ヒロと四人「アルテミス」への出場権を持っているのだから、二人・二人・三人で分けることも出来た。
けれども、その案をヨルはやんわりと断ったのだ。

本人は言おうとしなかったが、イオであった時のことが尾を引いているらしい。

「登録完了です。ようこそ、『アルテミス』へ!」

「はい! 頑張ります!」

「よーっし! やったるぞー!」

そうランが意気込んでいると、隣が何か騒がしいことに気づいた。

「ない! ない、ない!
ない! もー、どこ行ったんだ…!」

「ない、ない」と言いながら、彼は鞄の中を漁る。
周囲にはトマトジュースの缶が散乱していた。

「何やってるんだろう?」

「あの子、CCM忘れたんじゃないの?」

「そうみたいですね…」

そうだとすれば、あの必死さも頷ける。

「あ! 分かったぞ!
これは陰謀だ! 誰かがオレを『アルテミス』に出場させないように盗んだんだ!」

彼は受付の人にそんなどこに根拠があるのだと訊いてしまいたくなるようなことを言う。
そして、彼はこちらを…正確にはバン君を睨み付けると、大きな足音を立てて、バン君に突進してきた。

ただ身長の為か、凄味はあまりない。
小さいという印象を受けるその身長は…大体ヨルと同じくらいか。

「お前だな! オレのCCM盗んだの!
卑怯なことしやがって! お前もLBXプレイヤーなら、正々堂々と勝負したらどうだ!」

「ちょっと! 何、言いがかりつけてるのよ!」

「お前もグルか!」

「はあっ!?」

ランの反応は尤もであり、全く根拠のない言いがかりだ。

「どこだ!? どこに隠した!」

彼はそう言いながら、自分のCCMを探すが、勿論盗んでいないものが見つかるはずもない。
全員でどうするべきかと考えあぐねていると、ジェシカが微かに目を下に動かしたのが見えた。

「君、腰の後ろにあるのは?」

「えっ?」

ジェシカの言葉の通り、彼が腰のあたりに手を伸ばす。
掴んだその手には赤いCCMが握られていた。

然して珍しくもない、ただ単にCCMの場所を忘れていただけだったのだろう。

「あった! あったぞー! 良かったあ!
見つけてくれてありがとな!」

CCMを掴んだまま、まるで踊るように彼はその場でくるくると回った。
その動きに呆気に取られていると、不意に背後から声がした。

「何があったの?」

振り向くと、そこにいたのはヨルだった。
少しばかり目を丸くして、僕たちの様子を見ている。

全く気配がなかった…。

彼女は足音をあまり立てることがないので、ふらりと近づいてこられると分からないことがある。
実際に僕の隣にいたユウヤは驚いたように目を丸くしている。

しかし彼はすぐに苦笑して、事の経緯をヨルに説明しだした。

僕は彼女に気づかれないように微かに溜め息を吐く。

「ああ、なるほど」

ユウヤの説明を聞き終えると、ヨルはそう呟いた。
そして徐に未だCCMが見つかった喜びを身体中で表現する彼に近づくと、その腕を振り上げて、彼に手刀をお見舞いした。

ごすっというヨルにしては遠慮のない音が響く。

その音に今度こそ僕は目を丸くしてしまった。

「いってえ! …って、ヨルじゃん! 何するんだよ!」

「それは私の台詞だよ。
なんでちょっと離れたぐらいで…」

「しょうがねえじゃん! 本当に盗まれたと思ったんだよ」

「それでなんでバン君に?」

「そこにいたからだよ! こっそり盗むぐらいの時間あるだろって!」

「そういうことは頭の中で一度ぐるっと回して、考えなよ」

「お前だって、考えなしにオレの前に出たじゃん」

「…考え自体はあったよ」

目の前の光景に僕も、他の仲間も驚くしかない。

実に軽快な会話だった。
年相応の会話のように感じるそれは、どちらかというとヨルらしくない。
遠慮というものを感じさせない、隠し事がまるでないかのような会話。

僕はそのことに気づいて、微かに自分の中に違和感を感じた。

「ああ! もう分かったって!」

会話がじれったくなったのだろう。
彼はそう言うと、ヨルのCCMを彼女から奪うと、そのまま受付にCCM二台を置いてしまう。

「古城アスカ、雨宮ヨル。
お二人での参加で…雨宮さんがサポートメンバーということでよろしいですか?」

「おう!」

「はい。登録完了です。ようこそ『アルテミス』へ!」

受付の女性の微笑みに勢いよく頷くと、彼はCCMを掴んで、それをヨルに投げた。
ヨルは投げられたそれを小さな手で受け取る。

彼女がCCMを開くと、その画面には「アルテミス」の参加証が写し出されていた。

「…いいのか?」

視線の先では古城アスカがランやジェシカに説明を迫られていた。
それを確認しつつ、僕がそう訊くとヨルはCCMを服のポケットに仕舞いながら、しっかりと頷いた。

「うん。それに選手の方が色々やりやすいでしょ?」

無邪気な笑顔を浮かべて、ヨルは言った。

確かに選手となれば、観客では入れない場所に自由に出入りできる。
それはそれで便利であるが、それならば僕たちと一緒に出ても問題はない。
短い時間でどうしてそうなったのかを、僕は知りたい。

「彼と何かあったのか?」

「彼? …ああ、アスカのことか。
そうだね、強いて言えば『お願い』って手を合わせられたことかな」

「あれには弱くて…」と彼女はどこか暗い笑みを浮かべて言う。

ああ、そういうことか。

僕は一人納得してしまう。
必要とされたいという感情が彼女は一際強い。
過去の様々なことが絡み合って、彼女の記憶や心を歪にしてしまったことから端を発しているそれを突かれれば、存外簡単に首を縦に振ってしまう。

そのことを知らない訳ではなかったが、それでも、僕が実際にそれを見たのは片手で足りる程度だ。
詐欺師に引っ掛かりはしないかと、バン君たちと心配したのを憶えている。

「よしっ! 行こうぜ、みんな!」

「あっ、こら! まだ話は……」

「ちゃんと説明するって。さあ、行こう行こう!」

そう言うと、古城アスカは真っ先にヨルの手を握った。
そして、足元がおぼつかない程にぐいぐいと彼女を引っ張っていく。

強引だと思いながらも、その強引さは僕たちには持ち得ないもので、ヨルはそれに流されるように引っ張られる。
似たような身長の二人の後を僕たちは顔を見合わせてから、付いて行く形になった。




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