34.後ろの正面
「あれ? あれってヨルじゃない?」
仙道と郷田に事情を説明し、その後の日本の様子を訊いて、一時間以上経った頃だったか。
ふと、海の方を見ていたランがその方向を指差して言った。
南国の陽射しにやられたのか、だらりとした指先を追うと、確かにそこにヨルがいた。
オタクロスやコブラのいる所よりも少し先。
白い砂浜で砂遊びをしていた。
サンドアート…というには稚拙だが、真剣に砂の城のようなものを作っているように見える。
「あら。結局戻って来たのね」
「あれから一時間ですからねー。
僕だって、ただ会場を見るだけなら、飽きちゃいますから」
「まあ、そうだよね。
それにしても、こう見ると、ヨルって小さい子供みたいだよね」
「砂遊びなんてしちゃってさ」とランは言った。
「実際小せえからな!」
ランの言葉に続いて、郷田が手でヨルの身長を再現する。
それでつくられたヨルの身長は確かに小さい。
本人は伸びていると主張するがとてもそうは思えないほどだ。
「体重も…僕を持ち上げたことがあるって話だけど、軽そうだよね」
「いや、実際軽いから。
もう肉とかないんじゃないかってぐらい」
「お風呂とか入ると、ねえ」
女子二人が目の前でうんうんと頷いた。
その話はさすがに…どうだろうか、と僕たちは複雑な顔をするしかない。
仙道はふんと不機嫌そうに鼻を鳴らしただけだが。
ランは「どうして倒れないんだ?」と不思議そうに首を傾げ、ジェシカは「どうやってもっと太らせようかしら?」と頭を悩ませている。
その光景に僕は少しばかり目を細めてしまう。
この場にヨルがいないのが本当に残念だと思う。
「でもさ、ジェシカ。
食べさせるのはちょっと考えた方がいいかもよ」
「変に栄養摂ってないみたいなのに?
もっと食べさせるべきだと、私は思うわよ」
「『NICS』にいる以上、健康管理はしっかりするわよ」とジェシカは子を叱るような調子で言う。
それにランは急いで首を振った。
「そうじゃなくて、ヨル、時々夜中に吐いてるから。
食べさせても無駄になるかもってこと」
「はあっ!?
聞いてないわよ!」
ランの言葉にジェシカが心の底から驚いたというように声を上げた。
ジェシカが声を上げるのも無理はない。
ラン以外は…仙道を除けば、この場にいる全員が目を丸くしていたのだから。
ヨルに吐き癖があることを知っていた僕も、そうだ。
ヨルの吐き癖は彼女のストレス解消方法であり、歪みのようなものだ。
昔からの癖なのだと、胃液が零れてくるまで吐き続ける日も少なくなかったというのは、彼女から聞いた話だ。
それを出来るだけ治そうとしたのも、記憶に新しい。
ユイから雨宮ヨルに漸く戻ることが出来てから、イギリスに渡るまでのことを思い出す。
生理的な涙を零しながら、それでも吐き続けるヨルの姿。
その小さな背中を擦った感触が蘇る。
「…………」
あれから良くはなったとは聞いていたが……。
「あたしだって、たまたま見たんだって!
夜中にトイレに起きたら、ヨルが吐いてたんだよ。
『ジェシカに相談する?』って訊いたら、『慣れてるからいいよ』って言うんだもん。
その後ぱっぱと片付けてたから、訊いてみたら、『NICS』に来てから二、三回吐いたって言ってたんだよ。
あれからもうちょっと経ってるし、もう少し吐いてるかも……」
「ああ、もう…。
ちょっとヨルと話し合いましょう」
話し合うことはもう決定事項らしい。
ジェシカは眉間を指で押しながら、砂浜のヨルを見た。
彼女は砂の城をつくり終えると、気に入らなかったのか、足でそれを崩していた。
何を思って壊しているのか。
瞳の色も見えないこの位置では、その感情は余計に読めない。
「こんな話してるなんて、考えてもいないんだろうな」
ぽつりとバン君がヨルを見ながら呟いた。
「俺ももうちょっとヨルと話したいな。
LBXの話とか…もっとくだらない話とか、前の方が話してたなんて、なんだか皮肉だよ」
そう言って、バン君は微かに笑った。
確かに皮肉かもしれないな。
前の方が上手くいっていたように感じるのは、きっと錯覚だ。
ねじ曲がった事実の上にあったそれが錯覚でなければ、困るというのもあるが…。
そう考えながら、僕も最近ヨルと話していないなと思う。
いや、会話はしているのだが、表面を撫でているだけの会話をしているように思えてならない。
奥深くまでは決して覗かせない。
それでも不自然にならない会話を繰り返している。
そうではなくて、小さな子供のようでいいから、何を訊いてくれても構わないから、どんなに長い話になっても構わないから。
ヨルと話がしたい。
しかし、言葉は喉に引っ掛かって出て来なかった。
砂浜の彼女はまた砂の城をつくり始めていた。
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