15.物語の続き


薄く立ち込める白煙でもなく、歪に曲がり床に転がる扉でもなく、最初に僕の目に映ったのは悪戯っぽく緩められた青い瞳だった。

僕の瞳とは正反対の色の、僕のよく知っている色。

それから揺れる亜麻色の髪。

背後にいるバン君が息を呑む音が聞こえる。

彼女は懐かしい不敵な笑みを浮かべると、涼やかな声で言った。

「久しぶりだね。ジン」

作り物めいた笑み。
その笑顔に呆然としながら、僕は呟く。

「………ヨル」

彼女が、雨宮ヨルが……そこにいた。


■■■


長かった亜麻色の髪は背を半分覆うほどにまで短くなっていた。
けれども妙に不揃いで、動くたびにはらりと不恰好に揺れる。

それを何とも言えない気持ちで見つめていると、不意に目が合い、ゆらりと少しだけ暗い青色が揺れた。

暗い色を隠すように青色の瞳を柔らかく細め、ヨルはユウヤのことを見やる。

姉のような、母親のような優しさに満ちた、いつか病院で見たあの眼差し。

彼女は病院でのユウヤの様子を思い出しているのかもしれない。
僕はその優しい色の瞳と白い病室、懐かしい光景を思い出す。

あの小さな病室とは違うけれど、今のこの状況はとても懐かしい。

僕は静かにヨルから視線を外し、先程起こったことを思い出す。

拓也さんを助けたのは、ヨルだった。

彼女は僕が連絡を入れた時から、既にA国の方に来てはいたらしい。
僕たちと合流出来なかったのがリリアさんに協力していたからということに嘘はなかったが、正確には僕たちの……「NICS」の動向を探っていたのだそうだ。
そのために「オメガダイン」でLBXを使い、ユウヤに盗聴器まで仕掛けたという。
その盗聴器は先ほど回収されたが、付けられた本人は全く気付かなかった。

ユウヤにはリニアに乗ってから、早々にヨルが盗聴器を付けたことを謝っていた。
あれは彼女自身の意志ではなかっただろうに、深々と頭を下げ、ユウヤを慌てさせていた。

しかし、だからこそ、彼女はこのリニアに乗り合わせ、異変に気づいて拓也さんを助けることが出来た。


ちらりと、向こう側の席に座る拓也さんとリリアさんを見る。
そこには拓也さんとリリアさんが向かい合うように座り、二人で真剣に話し合っていた。

どちらかと言うと、リリアさんの方が優勢のようで、スルスルと情報を引き出していく。
色素の薄い瞳は据わっていて、睨まれると足がすくむようだった。
彼女はその目で拓也さんを睨みながら、会話を進める。

「NICS」に連絡して許可は貰っているとはいえ、あの様子では拓也さんが気の毒だ。

ヨルに視線を戻すと、彼女は彼女の新しいLBXを取り出しているところだった。

「これがヨルの新しいLBX……」

「うん。名前はジャバウォック。
私の新しいLBX」

彼女の新しいLBX、ジャバウォック。

黒に青のラインが印象的なLBXだ。
無骨な黒い角にフレームに似合わない尻尾で体を支えている。

それはティンカー・ベルに比べればバランスが悪く、癖の強そうな機体だ。

バン君やユウヤもそのことに気づいたのだろう。
二人とも首を傾げている。

ヨルはそんな僕たちに微笑む。

「……元々はワイルドフレームを考えていたから、バランスが悪くなったんだ。
だいぶ調節はしたんだけど、ね」

「そのまま、ワイルドフレームじゃ駄目だったのかな?」

ユウヤがそう訊くと、ヨルは困ったような顔をする。
彼女はジャバウォックのフレームを親指の腹で撫でながら、少しだけ強くLBXを握る。
彼女の白い指がより白くなったのが見えた。

「練習が十分じゃなくて、ワイルドフレームには慣れてなかったから。
でも『ディテクター』に対抗するには、スペックが上のジャバウォックの方が確かだし……。
だから、ストライダーフレームに作り替えたんだ」

涼やかな声で、少しだけ悔しそうにヨルは言った。

ジャバウォックを強く握っていたことに気づいたのだろう。
彼女は静かに白くなった指を緩めた。

「武器はどうしてるんだ?
ミネルバを助けた時やジョーカーの時の武器を使ってるのか?」

ずいっとバン君が身を乗り出し、目を輝かせながら訊いた。

パンドラに弾丸を放ったのも、リュウビとジョーカーの戦いで煙幕弾を放ったのも、ヨルのジャバウォックだ。
「NICS」の解析でも詳しい武器は分からなかったから、バン君は知りたくて仕方がないのだろう。
彼は本当にLBXが好きだから。

ヨルはその質問に少しだけ目を泳がせてから、ポケットに手を入れ、何かを取り出す。
そして、掌の中の物を僕たちに見せた。

その中にあったのは、細身のライフルと回転式弾倉のグレネードランチャーだった。
ライフルは同じようなモデルを知っているが、グレネードランチャーの方は見たことがないモデルだ。

どこかの本に同じような実際の武器が載っていたような気がするが……。

「ロシアのLBX企業から提供されたんだ。
テストプレイ用の武器。
ミネルバとリュウビの時はこれを使ったけど、もう使わない。
ジャバウォックにはジャバウォックで、武器があるから」

「……それは良いのかな?
企業と契約しているなら、ヨル君の独断で使用を止めるのはいけないんじゃ……」

「それは大丈夫。
もう十分に情報は収集したから、使用せずに試作機を返すように言われたんだ。
リリアさんがロシアに持ち帰ってくれるみたい」

そう言って、ヨルは向かい側の席、拓也さんと話し合いを終えたリリアさんを見る。

寝不足で薄い隈が出来た胡乱な目つきで、彼女は拓也さんを睨んでいた。
ヨル曰く、悪人の目つきだ。
……睨んでいるのではなく、睨んでいるように見えるのが正しいのだろうけれど、見られた方は生きた心地がしないだろう。

そう思わせる、ヨルの母親や姉以上にヨルに似ている薄い青色の鋭い眼差し。

「じゃあ、ヨルは俺たちと一緒に『ディテクター』と戦ってくれるのか?」

ヨルの言葉を「NICS」……僕たちに協力するということに捉えたのだろう。
実際、そういう言い方をしていた。

ヨルが「NICS」に来る。
僕たちの仲間として、今度こそ……最初から。

僕はそのことに、どう反応すればいいのか迷っていた。

僕の目の前に……手を伸ばせば簡単に届いてしまう場所に、ヨルがいる。

しっかりと僕の紅い瞳を捉え、ヨルは僕に笑いかけ、「久しぶりだね」と透明な鈴を転がしたような声で呟いた。
まっすぐに、驚くほどにあっさりと僕はヨルの眼差しを受け止められた。

ヨルはバン君の言葉に少しだけ体を強張らせる。

「大丈夫だ。ヨル、『NICS』に行ってもいい。
必要な情報は聞き出せた。
これからは情報を提供してくれるようだ。
一旦国に帰る必要もあるから、お前はその子たちに付いて行きなさい」

ヨルの代わりに了承したのはリリアさんだ。

彼女の前の席に座る拓也さんは緊張のせいか、あまり態度が良いとは言えないが、シートに背を預け、天を仰いでいる。

リリアさんは拓也さんを一瞥し、自分もシートに身を預けながら、緩慢な動作で僕たちに視線を移す。
鋭い視線はそのままに。

その視線を向けられ、僕は少しだけ身構えてしまう。

「良いんですか?」

ヨルは薄い青色の瞳を見つめ返し、特に臆することもなく訊いた。
リリアさんはヨルの青い瞳をじっと見つめてから、溜め息交じりに頷く。

「いい。
仲間は大事にしなさい。
私のことは気にしないで、行っておいで」

細く長い溜め息は疲労の濃さを物語る。
疲れたように肩を回し、面倒そうではあったが、彼女からはヨルへの親しみが滲み出ている。

そのことはヨルが一番感じ取ったはずだ。

彼女はリリアさんの言葉に熱っぽく息を吐く。

「ありがとうございます。リリアさん」

ヨルはにこりと花が咲くように小さく微笑んだ。
その言葉が何かの合図であったかのように、バン君とユウヤが口を開いた。

「良かったな! ヨル」

「これからよろしく。ヨル君」

「うん。よろしく、二人共」

ヨルはユウヤとバン君に嬉しそうに笑いかける。
話が纏まったところでと、バン君はヨルにジャバウォックを見せてくれるように頼んだ。
ヨルはそれに頷いて、ジャバウォックを手渡す。
バン君の手を覗き込み、質問に答えているかと思うと、彼女は不意に顔を上げた。

そして、彼女はその青色の瞳を僕へと向ける。

視線が交錯する。

しかし、それも一瞬だ。
相手の感情を読み取る暇もない。
いや、そんな時間は与えようとしていないのかもしれない。

ヨルはもう一度笑みを作る。

自然な、雨宮ヨル自身の笑み。

「よろしく。ジン」

「……ああ」

短くそう答える。

僕は視線が絡み合うのがどうしてか嫌で、窓の方に目を向けた。
空は鮮やかなオレンジ色に染まっていたが、リニアの進行方向には灰色の厚い雲が見えた。

「……雨が降るかもしれないな」

僕は誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。



prev | next
back

- ナノ -