5000hitフリリク企画

  桜結び


「あーあ。何か面白いことはないかしら」

視界に広がる桜色を見つめながら、わざと気に欠伸をする。
彼女は左手は静かに上下する腹の上に、右手には白いCCMを握っている。

「誰か来ないかしら」

もう一度、呟く。
大して使ったことのないCCMを開いたり閉じたりしながら、ぼうっと目の前の変わり映えのしない景色を見る。
静かに、本当に静かに呼吸すると、むせ返るような桜の香りが胸に満ちる。
青い瞳にひらひらと一つ、また一つと花びらが一瞬映っては通り過ぎていく。

「………暇だわ」

ひたすらにそう繰り返す。

本当にすることがない。
眠るのもいいかと思ったけれど、睡眠が苦手な彼女には眠ることが少し難しい。
今日は特別疲れているわけでもない、特別眠いわけでもない。
そんな状態で眠ることは、少し苦しい。

「………」

そのままの状態で静かに呼吸を繰り返す。
彼女がしばらくそうしていると、下の方が少しだけ騒がしいのに気付いた。
知っている声がいくつも。
楽しそうな声ばかり。

「………」

落ちないように注意して、ゆっくりとその場で立ち上がる。
彼らの声に耳を澄ます。
その会話を聞きながら、彼女は面白そうに少しだけ笑った。

「うん。楽しそう」

そう言って、イオは妙に子供っぽい悪戯っ子のような笑みを浮かべ、寂しげに瞳を揺蕩わせた。


■■■


数え切れないほどの桜の花びらが舞う。
むせ返る程の桜の匂い。
薄紅色が視界を覆い、少し歩きづらい。

そんな幻想的な景色の中で、目の前を行くバン君たちが一直線にどこかを目指している。

「ほら! 早くしないと、追い付けないぞ。仙道」

「はっ。俺が付いて行ってやってるんだ。
俺のペースに合わせるのが筋だろう」

背後から郷田君と仙道君の声が響く。
それはいつもの小競り合いで、どちらが楽しそうにしているか、仙道君の歩くスピードがいつもより速いだとか、郷田君の顔がにやけているだとか、要はどちらがこの状況を楽しんでいるかで言い争っていた。

僕から見れば、どちらも大して変わらないように思える。

「怒ってる郷田さん、素敵…」

その横では恍惚といった表情をしたミカ君がCCMで郷田君の写真を撮っている。
更にその後ろの方では、何処までも続いているんじゃないかと錯覚してしまうような桜の森に目を奪われたリコ君やリュウ君たちがいる。

それぞれにこの景色を楽しんでいるようだ。

視線を前に戻すと、バン君たちは相変わらず軽い足取りで目の前を歩いていた。
僕はその後を追う。

「もうちょっとかしら?」

「わかんねえ。
俺もユイから聞いただけだしなー」

「ユイ本人は今日は無理だっていうし…本当に合ってるのよね?」

「だから、俺に訊くなって」

「まあまあ。大丈夫じゃないか?
それに辿り着けなくても、十分綺麗だよ」

バン君たちのそんな会話が聞こえてくる。
その会話の中に、名前は出て来るがいない人物が一人。

僕にとっては違和感を抱くしかない鳥海ユイがいない。
そのことに何処か安堵している自分がいる。
この美しい景色の中で、違和感を抱くのは正直あまり気分の良い話ではない。
………彼女には申し訳ないが。


今、僕たちは橋を越えた場所にある桜の森にいる。
普段は僕も含めて、『シーカー』の仲間たちもほとんど来ない場所にあるこの森の場所を教えたのは、今ここにはいない鳥海ユイだという。

そのことを、舞ってきた桜の花びらを見て、バン君が思い出した。

そして、気分転換にでも行ってみないかとみんなに提案したのだ。
ここ最近は忙しかっただけに、正直その提案は有り難い。
鳥海ユイは家の事情でその場にいなかったのでどうしようもないが、大人たちの了承も得て、ここまでやって来たというわけだ。

「目的地はここではないのか?」

桜の森が目的地だったのではないかと思い、アミ君に聞いてみる。

その間にも、無数の桜の花びらが降ってくる。
止めどなく、どこかへと誘うかのように。
薄紅色の向こうから、桜の花びらが手のように僕を招いている。

この光景だけでも、十分だ。
ここで満足しない人間の方が少ないだろう。

「ユイの話だと、この先に大きな桜の樹があるらしいのよ。
それを見てみたいと思って……意外と奥まった所にあるのね。
送ってもらった地図だと、もうそろそろなんだけど…」

「見えねーぞ」

アミ君が自分のCCMを覗き込む。
僕も失礼して、横からそれを覗き込んだ。

地図は手書きのものを写真で撮ったもののようで、かなりいい加減であり、距離や場所はあまりあてに出来ないのではないかと思った。
しかし、意外にも文字はしっかりしていて、多少丸みがあるものの読みやすいが、問題はそこではない。

「……これは、本当に合っているのか?」

「多分ね。
ユイは嘘は吐かないから」

アミ君のその言葉に、僕は……何も言えなかった。
確かに嘘を吐かなそうではあるが、僕にとっては違和感がある。
本当に嘘を吐かないのか。あの笑顔の下で、本当は嘘にまみれているのではないのか。
場違いな、黒い疑問が頭の中でぐるぐると巡る。

「でも、そろそろ見えて来てもいいんじゃないか……あれ?」

バン君の言葉が途切れた。

不思議に思って、その視線の先を見る。

開けた場所。
桜の匂いが更に強くなり、逆に吐き気が込み上げてくるようだ。
桜が、溢れている。
まるでどこか別の世界が姿を見せるように。

幻想的に薄紅色が舞う、目に入るすべてのものが桜色のその先に、一際大きな桜の樹が立っていた。

「おおっ!」

カズ君が声を上げる。

立派な、大きな桜の樹を前にして、その反応は当然のように思えた。
後に続くアミ君や僕も息を呑む。
その後に来た郷田君や仙道君たちもまた同じように、息を呑んだ。

「すっげえな…」

郷田君が感嘆の声を漏らした。

桜の樹が立っているその場所だけが、本当に空気が違う。
長い時間を生きてきたのであろう、清らかな、尊い空気。
見ているというよりも、見られているというような感覚を覚える。
それが錯覚だと解っていても、目が離せない。

しかし、その感覚を抱いたのは僕だけなのか、僕の横を通り過ぎて、リコ君やミカ君が桜の樹に駆け寄っていく。

「キレイだねー。粋だねえ」

きゃいきゃいと声を上げながら、彼女たちは桜を見上げる。

「ユイってば、こんな場所を独り占めしてたのね」

「意外とあっさり教えたよなー。
俺だったら教えないぜ。こんな良い場所」

「確かに!
俺もここなら、独り占めしていたいよ」

彼らの意見は至極真っ当だ。

僕も出来れば、ここは僕だけの秘密にしておきたい。
自分が良いと思うものは人と共有したいと思うものだが、この場所をそうしたいとは思えなかった。

独りでここにいるのが、正しい気がした。

「………」

無言のまま、僕も桜の樹に近づく。
見上げて、そこで気づいた。

猫の尻尾のような長い黒髪。
楽しそうに、からかうようにこちらを見下げる、艶やかな青い瞳。

木の枝に座りながら、足をゆらゆらと前後させ、密やかに僕へと笑いかけた。

「こんにちはー。ジン」

「…………イオ」

涼やかで緊張感のないその声に、彼女の名前を呼ぶことしか出来なかった。
CCMを構える気にもなれない。

彼女はそんな僕に「せいかーい」と言うと、ふっと柔らかく笑った。

「お久しぶり。随分騒がしいけど、何をしているのかしら?」

「……そういう君こそ、そんな所で何をしている?」

「私? 私はここに死体を埋めに来たのよ」

少しの冷たさを孕んで、彼女の言葉が花びらと共に降ってくる。

くすくす。くすくす。

笑い声も同じように降り続いた。

くすくす。くすくす。

彼女の涼やかな笑い声が耳をくすぐる。
その声は僕以外には聴こえていないのか、他のみんなが気づいている様子はない。

僕は周囲に向けていた視線を再びイオへと向ける。

「冗談は止めてくれ」

「あら。冗談じゃないかもしれないわよ。
桜の樹の下には、屍体が埋まっているってどこかの作家は書いていたわ。
水晶のような液体をたらたらと流して、美しい桜を咲かせるのだそうよ」

「……作り話だ」

「…そうね。作り話だわ。
死体なんて、そう簡単に自分の傍にあるわけないものね。
冗談よ。ジン」

イオは自分の言ったことをそう撤回した。
降り注ぐ青い眼差しは微かに悲しげであり、水のように冷たく澄んでいる。
その底には何があるのだろう。

くすくす。くすくす。

渇いた笑い声が響く。

冷たい眼差しと笑い声。
それらに本当に、死体を埋めたのだろうかと思ってしまう。

この無限に続くのではないかと思える桜の森の中には、一つぐらいは埋まっているのかもしれないと想像し、嫌な冷たさが背筋を這い上る。

誘うような桜の花びらはただ美しいだけなのか。
それとも、死者故の美しさなのか。

「解っている」

「それは結構。
さて…」

イオは不敵に笑いながら、ゆっくりと枝の上で立ち上がる。
危なげなく、落ちるような気配もない。

徐に、彼女は髪を纏めていたライトブルーのリボンを取る。
長い黒髪がさらりと背中に零れた。
不揃いな前髪の奥から青色の光が見える。

どうするんだと思っていると、涼やかな声で彼女は僕に言った。

「ジン。
そこ、ちょっと危ないわよ」

「………は?」

何がだ、と訊く前に、彼女がその枝から落ちてきた。

止める暇もない。

ふわりと音もなく、僕のすぐ傍に着地する。
着地と共に、地面に隙間なく敷き詰められた桜が舞い、柔らかな音を立てて、僕へと降り注いだ。
長い黒髪も重力に伴い、音もなく彼女の背中を覆った。

「ちゃんと出来た?」

幼子のような無邪気な声だった。
正しいことをしているかのような、そんな笑み。

どちらかというと、怒られる部類の行動だと思うが。

「イオっ! 貴女、どうしてここに…!
というか、何処から現れたの!?」

僕が何か言うより先に、後ろにいたアミ君が叫んだ。
その叫びにみんなの視線が集まる。

「こんにちはー。川村アミ。
他の皆さんもお揃いで。
お元気でした?」

実に緊張感のない声だった。
ひらひらと降る手もそうだ。

それが余計に人を怒らせるのだ。

「俺たちを追って来たのか?」

「まさか。
私の方が先にここにいたんだもの」

「俺たちとバトルでもしようってのか?」

バン君を押しのけ、郷田君が前へと進み出る。
その手にはCCMが既に開かれていて、険しい目つきをしている。
Dキューブを握っていることからも、バトルする気は十分だが、イオにはその気はないのだろう。
嘲るように、くすくすと笑った。

「嫌だな。郷田さん。
CCMなんて、構えないでくださいよ。
今日は純粋に私用で来たんですから。
バトルする気はありません。
するなら、仲間内で勝手にどうぞ。
審判でもしましょうか?」

そう言って、彼女は黒髪を纏め直しながら、郷田君をからかった。
本当にただ単にここにいただけのようで、CCMを構える様子もLBXを出す気配もない。

こんな状態のイオとバトルしても何にもならないのは明らかだ。

苛立つ郷田君をバン君が止めに行き、彼はイオに向き直った。

「イオは本当にただここに先にいただけなんだよな?」

「そうよ。
バトルする気はなし。というか、今は遠慮するわ」

「そっか…。
ごめん。一人の時間を邪魔したね」

「ちょっと、バン!
なんで謝ってるのよ?」

「だって、イオの方は戦う気もないみたいだし、俺たちの方が邪魔した形になるわけだから…。
謝った方がいいじゃないか。
それに今日は息抜きでここにいるんだからさ」

「だからってなあ…」

バン君の意見にカズ君が反論しようとした時、イオが少しだけ寂しそうに笑ったのを僕は見た。
それから、僕へと視線を移すのを。

彼女はにっこりと笑うと、軽やかに彼らの横を通り過ぎた。
足を大きく蹴り、わざと気に降り積もった桜の花を散らす。

「私はもう帰るわ。
あとはご自由にどうぞ。
今度会った時は楽しくバトルしましょう。『シーカー』の皆さん」

「あ! もういいのか!?
別に一緒にここにいても…」

バン君のその言葉に彼女が鼻で笑った。

「ご冗談を。
この場の雰囲気はそうじゃないじゃない。
楽しむ気にはなれないわ」

手を振り、鼻歌でも歌いそうな雰囲気で彼女は去っていく。

尻尾のように黒髪を揺らしながら、桜の森へと消えていく。
僕はその背中を追いかけるべきか悩んで、結局は追いかけずにその背中に声を掛けることにした。

「……本当にただ休んでいただけなのか?」

僕がそう訊くと、彼女は立ち止まり、少しだけ顔をこちらに傾ける。

肩にかかる黒髪の向こうで、青い瞳が鋭く細められたのが見えた気がした。
しかし、それは一瞬で青色はすぐに誘うように艶やかに揺らめき、唇が弧を描いた。

「ええ。本当よ。
ここには 、死体なんてないわ。ジン」

どこか嘘めいた言葉。
青い瞳が冷たく光るのが、見えた。

彼女は最後にそう言うと、桜の森の中に消える。
桜色の中に紛れ、段々と彼女が見えなくなる。
足元の桜に絡み付かれ、まるで沈んでいくように。

バン君たちはその光景に安堵したようだが、僕は心臓が嫌な音を立てるばかりだ。

背後に立つ桜の樹を見上げる。

美しく咲き誇っている、薄紅色の花。
その根の部分には、掘り返した後も何もない。

死体が埋まっているはずもない。

しかし、もしも埋まっているのだとしたら、誰の死体なのだろうか。
彼女は誰を埋めたいと思ったのだろうか。

暗い考えが浮かんでは消えていく中、柔らかな風が吹き、桜の花びらが舞い上がる。

腕を上げ、それで花びらが顔に掛かるのを防ぐ。
むせ返るような桜の匂い。
視界の全ては桜色に染まっている。

不気味なほどの美しさが、そこにはあった。



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