06.名前を呼んではいけない
周囲への聞き込みや捜索を終えて、「NICS」に戻ってくる。

画面には防犯カメラの映像から調べた車のナンバーが映し出されている。
そのナンバーが解析され、更に道順が地図に示されている。

「『NICS』の権限で解析した結果、ヨルを誘拐したと思われる車はこの地区に向かったはずだ」

コブラがキーを叩いて、地図を拡大させる。
映し出された地区はA国にいる間に何回も耳にした有名な高級住宅地だった。

「地区って…家とか分かんないと、助けに行けないじゃん!」

「そうは言ってもな!
この地区は『NICS』にとってはデリケートな場所なんだとよ。
おいそれと誘拐犯がいますとは言えねえし、捜査も出来ねえ」

「それってどういうことですか?
ヨルさんがピンチなんですよ!」

ヒロの当然の疑問に答えたのはコブラではなく、ジェシカだった。
彼女は少し困ったような表情をしながら、問題の地区を指差し、説明する。

「この地区は、政府高官や企業の社長が多く住んでいる地区なのよ。
中には『NICS』に関わる人物や『NICS』…パパをあまり良く思っていない人物もいるわ。
不安を煽るようなことや刺激するようなことはしない方が賢明ね。
下手をすると、私たちの今後にも影響するわ」

「偉いから手を出せないってこと?
そんなの今は関係ないじゃん!」

「ラン君、落ち着いて」

苛ついたランをユウヤがどうにか宥める。
彼女からすれば、すぐに動いて、ヨルを助けたいに違いない。

僕も出来れば、そうしたい。
そうしたいけれど、詳しい場所も分からないとなると、そう簡単には動けないのが現状だ。
今はヨルは無事だと信じて、耐えるしかない。

「こっちももう少し調べてみる。
今日は疲れただろうから、お前らは休んでおけ」

拓也さんは僕たちを宥めるようにそう言った。
そして、ほとんど無理矢理にブリーフィングルームから放り出されてしまう。
中ではまだ作業を続けているのだろうが、複雑な事情が絡んでいるだけに、僕たち抜きでしなければいけない話もあるのだろう。

「せめて、監禁されている場所が分かればいいんだけど…。
くそっ!」

そう言ったのは、バン君だ。
彼は悔しそうに震えさせさながら、拳を握っていた。

今回は「ディテクター」に対して、ただ戦えば良いという訳じゃない。
相手は……恐らくではあるが、「ディテクター」ではない。
敵対する相手、もっと言えば、LBXに対してはどんなことでも出来るが、僕たちは本当にLBXを使わない敵に対してはこれほどまでに弱い。

「ヨル。ロリコンって奴に、変なことされてなければいいけど…」

その言葉に心臓が軋む。
殺されるよりも酷いことが世の中にはある。
それをされていなければいいと、本当にそう思う。

「だ、大丈夫ですよ! ランさん。
ヨルさんはきっと無事ですって。
明日に備えて、僕たちは休みましょう!」

「……うん。
そうだね! 明日のためにあたしたちは休もう。
ありがとう。ヒロ。
行こう! ジェシカ」

「ええ。そうしましょう。
おやすみ」

「おやすみー!」

明るい声を出すランと疲れ切った様子のジェシカに手を振り、それぞれの部屋に向かう。
部屋に向かうまでの間、お互いに会話はない。
ヒロは何か話そうとはしていたものの、結局は口を開くことはなかった。

無言のままに部屋に入り、適当にベッドに潜り込む。
もしもの時のために、CCMは手の届く場所に置いておく。

「明日は絶対にヨルを見つけよう」

僕が目を閉じる間際、バン君が決意するかのように呟いた。

「はい!」

「ああ」

「うん。絶対に」

僕とユウヤ、ヒロもそれに同意する。

信じなければ、信じていなければ。
ヨルは大丈夫だ、と。
しかし、もしも大丈夫ではなかったら…そう考えると、心臓が冷たい手で握られたように苦しくなる。

大丈夫だ。

ひたすら、心の中でそう呟きながら、そっと目を閉じた。


次に目が醒めたのは深夜だった。
まだ窓の外は暗いが、非常識にも控えめなCCMの着信音が僕の耳に届いた。
眠い目を擦りながら、そっとCCMを手に取る。

登録された番号以外から着信が来るという経験があまりないので、その中の誰かだと思い、ベッドから抜け出して、夜用に光が暗く設定された廊下に出る。
通話ボタンを押して、CCMを耳に当てた。

「……はい。もしもし」

欠伸を噛み殺しながら、小さな声で言った。
冷たい廊下に僕の声が静かに響く。

《………》

聴こえてくるのは、どこか艶めかしいように感じる吐息。
静かに一定のリズムで脳内に届いてくる。
音だけなのに、それが耳をくすぐり、妙な悪寒が走った。
脳が少しだけ覚醒したような気もした。

「………誰だ?」

僕がそう訊くと、こくんと小さく相手が息を呑む音がした。

《……えっと…》

少女の声だった。幼い、透明な声。
聴いたことがあると思った。
いや、今まで聴いていた声よりもずっと幼いものだと思った。

何回か息継ぎをするかのような呼吸を繰り返し、相手は一度深呼吸をしたようだ。

《……夜分遅くにごめんなさい。
でも、ジンが出てくれて、良かった》

涼やかな、硝子の鈴を転がしたかのような透明な声だった。

透明なその響きに、僕の脳は一気に覚醒する。

「ヨルっ!?」

思わず、彼女の名前を叫んだ。
静かな廊下に僕の声が響き渡る。

その声は通話口の向こうのヨルにも届いたのだろう。

《しー…静かに。ジン》

子供に言い聞かせるかのように、ヨルは小声で僕をそう言った。
優しく、涼やかな声。
その声が懐かしくて優しくて、深く安堵する。

ただこの声が出せるからと言って、彼女が大丈夫であるという保証にはならない。

ヨルはイオだった時にも同じような声を自然に、淀みなく発したことがある。

《私は大丈夫だから》

まるで先手を打つかのように、彼女が言った。

そっとCCMを耳から離して着信元を確認すると、「非通知」とある。
彼女自身のCCMなら「非通知」にする必要はない。
当たり前だが、やはり自身のCCMは手元にないのか。

「本当に大丈夫なのか?
何か、おかしなことはされていないな?」

《されてないよ。
大丈夫。
むしろ待遇が良すぎるくらいだよ》

そう言って、くすくすと笑った。
何が面白いのか、僕には分からない。
分からないけれど、何だろうか、この違和感は。

まるで過去に戻ったかのように、違和感が込み上げてくる。

僕は溜め息を吐いてから、彼女の名前を呼ぼうとして…

《ジン。その名前で呼んではダメ。
今はそれに意味がないから》

囁くような声で遮られた。
とびきりの秘密を言うかのような、蜂蜜のように黄金色をした囁き。

違和感を抱き、場違いだと思いながらも、それを享受する自分がいた。

「……? どういうことだ?」

《さあ。どういうことでしょうか?》

「質問に質問で返さないでくれ。
……とにかく、CCMはこのままの状態にしておくんだ。
すぐにみんなを集める。
――……君の傍には誰かいるのか?
これに気づかれる可能性は?」

名前を呼ぼうとして、咄嗟にそれを飲み込む。
面倒ではあるが、彼女が必要だと言うのならそれに従おう。

まだ部屋で寝ているバン君たちを起こそうとも考えたが、いつ通話が切れてしまうか分からない。
電波の解析のためにも、先に指令室の方に向かう。

《気づかれは…するかもしれないけど、今のところは心配ないよ。
彼女、寝てるから。
盗聴器の類もなし。
ただし、なるべく静かに》

「分かった」

すぐに声量を下げる。

指令室の扉が見えて来て、中に入ると、深夜だけれども未だに拓也さんとコブラが中で作業をしていた。

「ん? どうしたんだ? ジン」

先に僕に気づいたのは、拓也さんだった。
こちらにわざわざ歩いてきてくれた彼に事情を説明し、驚いたような表情をした彼女に僕のCCMを渡す。

《拓也さんですか? お久しぶりです》

「そんな場合じゃないんだが…無事でなによりだ」

拓也さんはヨルの明るい声を聞いて、安心したように声を掛けた。
そして、解析用に僕のCCMを持って行く。

そうしている間に、コブラが呼んでくれたバン君たちが指令室に駆け込んでくる。

「ヨルが見つかったって!?」

息を切らしながら叫んだのはバン君だった。
彼に「ああ」と頷き返し、彼女のCCMを解析しているところだと説明する。

ジェシカとランは僕の説明が聞き終わるより先に、発信元を解析しているCCMに駆け寄る。
さすがに掴めはしないので、コンソールに大きな音を立てて掌を叩きつけると、ずいっと顔を近づけた。

「ヨルっ! 良かった〜!
無事で本当に良かったー!」

「変なこと、されてないでしょうね!?
こう体を触られたりとか、触られたりとか!」

《あ、えっと…大丈夫だから、声が大きいよ。
静かに。彼女が起きるから。お願い。
それに非常識なのは私の方だけど、今深夜だから。ね?》

興奮した二人に反して、ヨルは声を潜めてそう言った。

慌てて口を押さえるランとジェシカ。
カメラがないからお互いの顔は見えないが、それが分かったのか、ヨルは小さく笑った。

その間に拓也さんが調節して、CCMでの会話が室内全体に聞こえるようにする。
ただし、その際にも「静かに」と言うのをヨルは欠かさなかった。

それにしても、その彼女というのは一体誰なのか。

誘拐犯ではないのか?

「では、CCMの電波を解析している間に、状況を説明してくれ」

《状況と言われても……私の方で分かっているのは、誘拐されたこと。
ここが地下であること。
同じ部屋に女の子がいることぐらいしか…》

「地下ですか?
窓も何もない、監禁用の部屋っていう可能性は……」

《うーん…可能性は捨てきれないけど、多分違うと思う。
閉じ込められた私が言うのもどうかと思うけど、違う……はず。
換気口が妙に多いから、そうだとは思うんだけど…》

ヒロに言われ、ヨルも自信が無いのだろう、最後は少しだけ弱々しくなる。

しかし、換気口が多いとなれば、場所さえ判明すればLBXで侵入出来る可能性は高い。

問題はその場所だ。
これが解らないと、動きようがない。

「傍にいる女の子っていうのは誰なんだい?
同じように誘拐された子?」

《いや、一応…私を攫えって命令したらしいけど…どうだろう。
上手くは言えないけど、同類? みたいな感じは…する》

「同類?」

妙に歯切れの悪いその言葉が引っ掛かる。
それを訊こうかとも思ったが、尋ねる前にランが割って入った。

「じゃあ、誘拐犯じゃん!
そいつも捕まえようよ!」

「そういう訳にもいかないよ。ラン。
ヨル。特徴とか、相手の名前は分からないのか?」

《私ぐらいの身長で、髪はブロンドで茶色の目をしてる。
名前は『ベアトリス・ターナー』》

相手の名前が分かれば話は早い。
その家で「ベアトリス・ターナー」という人物がいるかどうか、確認を取ればいい。
本来は個人情報を調べられればいいのだが、今回はブレインジャックが起こっている訳ではなく、「NICS」は協力はしてくれているが正式な命令が出せない。
個人情報にまで手を伸ばすのは、「NICS」にとって立場を悪くしかねない。

そのことに不満を覚えながら、解析中の画面を見つめて、僕はヨルに訊いていた。

「『同類』とはどういう意味だ?」

《そのままの意味。
私が勘違いをしていなければ、多分、私を誘拐した理由もそこにあると思う》

静かな、水のように澄んだ声だった。
全て解り切っているというようでもあり、誘拐されているというのに嫌に冷静だ。
危機感がないとも言うが…。

「解析終了しました。
CCMの発信場所、確認出来ました」

その声と共に、画面に赤い光点で場所が示される。
他よりも少しばかり広い土地の中央にあり、弱々しく点滅する。

この場所のどこかにヨルがいる。

助けなければ…。

そう思い、強く拳を握った。



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