周囲への聞き込みや捜索を終えて、「NICS」に戻ってくる。
画面には防犯カメラの映像から調べた車のナンバーが映し出されている。
そのナンバーが解析され、更に道順が地図に示されている。
「『NICS』の権限で解析した結果、ヨルを誘拐したと思われる車はこの地区に向かったはずだ」
コブラがキーを叩いて、地図を拡大させる。
映し出された地区はA国にいる間に何回も耳にした有名な高級住宅地だった。
「地区って…家とか分かんないと、助けに行けないじゃん!」
「そうは言ってもな!
この地区は『NICS』にとってはデリケートな場所なんだとよ。
おいそれと誘拐犯がいますとは言えねえし、捜査も出来ねえ」
「それってどういうことですか?
ヨルさんがピンチなんですよ!」
ヒロの当然の疑問に答えたのはコブラではなく、ジェシカだった。
彼女は少し困ったような表情をしながら、問題の地区を指差し、説明する。
「この地区は、政府高官や企業の社長が多く住んでいる地区なのよ。
中には『NICS』に関わる人物や『NICS』…パパをあまり良く思っていない人物もいるわ。
不安を煽るようなことや刺激するようなことはしない方が賢明ね。
下手をすると、私たちの今後にも影響するわ」
「偉いから手を出せないってこと?
そんなの今は関係ないじゃん!」
「ラン君、落ち着いて」
苛ついたランをユウヤがどうにか宥める。
彼女からすれば、すぐに動いて、ヨルを助けたいに違いない。
僕も出来れば、そうしたい。
そうしたいけれど、詳しい場所も分からないとなると、そう簡単には動けないのが現状だ。
今はヨルは無事だと信じて、耐えるしかない。
「こっちももう少し調べてみる。
今日は疲れただろうから、お前らは休んでおけ」
拓也さんは僕たちを宥めるようにそう言った。
そして、ほとんど無理矢理にブリーフィングルームから放り出されてしまう。
中ではまだ作業を続けているのだろうが、複雑な事情が絡んでいるだけに、僕たち抜きでしなければいけない話もあるのだろう。
「せめて、監禁されている場所が分かればいいんだけど…。
くそっ!」
そう言ったのは、バン君だ。
彼は悔しそうに震えさせさながら、拳を握っていた。
今回は「ディテクター」に対して、ただ戦えば良いという訳じゃない。
相手は……恐らくではあるが、「ディテクター」ではない。
敵対する相手、もっと言えば、LBXに対してはどんなことでも出来るが、僕たちは本当にLBXを使わない敵に対してはこれほどまでに弱い。
「ヨル。ロリコンって奴に、変なことされてなければいいけど…」
その言葉に心臓が軋む。
殺されるよりも酷いことが世の中にはある。
それをされていなければいいと、本当にそう思う。
「だ、大丈夫ですよ! ランさん。
ヨルさんはきっと無事ですって。
明日に備えて、僕たちは休みましょう!」
「……うん。
そうだね! 明日のためにあたしたちは休もう。
ありがとう。ヒロ。
行こう! ジェシカ」
「ええ。そうしましょう。
おやすみ」
「おやすみー!」
明るい声を出すランと疲れ切った様子のジェシカに手を振り、それぞれの部屋に向かう。
部屋に向かうまでの間、お互いに会話はない。
ヒロは何か話そうとはしていたものの、結局は口を開くことはなかった。
無言のままに部屋に入り、適当にベッドに潜り込む。
もしもの時のために、CCMは手の届く場所に置いておく。
「明日は絶対にヨルを見つけよう」
僕が目を閉じる間際、バン君が決意するかのように呟いた。
「はい!」
「ああ」
「うん。絶対に」
僕とユウヤ、ヒロもそれに同意する。
信じなければ、信じていなければ。
ヨルは大丈夫だ、と。
しかし、もしも大丈夫ではなかったら…そう考えると、心臓が冷たい手で握られたように苦しくなる。
大丈夫だ。
ひたすら、心の中でそう呟きながら、そっと目を閉じた。
次に目が醒めたのは深夜だった。
まだ窓の外は暗いが、非常識にも控えめなCCMの着信音が僕の耳に届いた。
眠い目を擦りながら、そっとCCMを手に取る。
登録された番号以外から着信が来るという経験があまりないので、その中の誰かだと思い、ベッドから抜け出して、夜用に光が暗く設定された廊下に出る。
通話ボタンを押して、CCMを耳に当てた。
「……はい。もしもし」
欠伸を噛み殺しながら、小さな声で言った。
冷たい廊下に僕の声が静かに響く。
《………》
聴こえてくるのは、どこか艶めかしいように感じる吐息。
静かに一定のリズムで脳内に届いてくる。
音だけなのに、それが耳をくすぐり、妙な悪寒が走った。
脳が少しだけ覚醒したような気もした。
「………誰だ?」
僕がそう訊くと、こくんと小さく相手が息を呑む音がした。
《……えっと…》
少女の声だった。幼い、透明な声。
聴いたことがあると思った。
いや、今まで聴いていた声よりもずっと幼いものだと思った。
何回か息継ぎをするかのような呼吸を繰り返し、相手は一度深呼吸をしたようだ。
《……夜分遅くにごめんなさい。
でも、ジンが出てくれて、良かった》
涼やかな、硝子の鈴を転がしたかのような透明な声だった。
透明なその響きに、僕の脳は一気に覚醒する。
「ヨルっ!?」
思わず、彼女の名前を叫んだ。
静かな廊下に僕の声が響き渡る。
その声は通話口の向こうのヨルにも届いたのだろう。
《しー…静かに。ジン》
子供に言い聞かせるかのように、ヨルは小声で僕をそう言った。
優しく、涼やかな声。
その声が懐かしくて優しくて、深く安堵する。
ただこの声が出せるからと言って、彼女が大丈夫であるという保証にはならない。
ヨルはイオだった時にも同じような声を自然に、淀みなく発したことがある。
《私は大丈夫だから》
まるで先手を打つかのように、彼女が言った。
そっとCCMを耳から離して着信元を確認すると、「非通知」とある。
彼女自身のCCMなら「非通知」にする必要はない。
当たり前だが、やはり自身のCCMは手元にないのか。
「本当に大丈夫なのか?
何か、おかしなことはされていないな?」
《されてないよ。
大丈夫。
むしろ待遇が良すぎるくらいだよ》
そう言って、くすくすと笑った。
何が面白いのか、僕には分からない。
分からないけれど、何だろうか、この違和感は。
まるで過去に戻ったかのように、違和感が込み上げてくる。
僕は溜め息を吐いてから、彼女の名前を呼ぼうとして…
《ジン。その名前で呼んではダメ。
今はそれに意味がないから》
囁くような声で遮られた。
とびきりの秘密を言うかのような、蜂蜜のように黄金色をした囁き。
違和感を抱き、場違いだと思いながらも、それを享受する自分がいた。
「……? どういうことだ?」
《さあ。どういうことでしょうか?》
「質問に質問で返さないでくれ。
……とにかく、CCMはこのままの状態にしておくんだ。
すぐにみんなを集める。
――……君の傍には誰かいるのか?
これに気づかれる可能性は?」
名前を呼ぼうとして、咄嗟にそれを飲み込む。
面倒ではあるが、彼女が必要だと言うのならそれに従おう。
まだ部屋で寝ているバン君たちを起こそうとも考えたが、いつ通話が切れてしまうか分からない。
電波の解析のためにも、先に指令室の方に向かう。
《気づかれは…するかもしれないけど、今のところは心配ないよ。
彼女、寝てるから。
盗聴器の類もなし。
ただし、なるべく静かに》
「分かった」
すぐに声量を下げる。
指令室の扉が見えて来て、中に入ると、深夜だけれども未だに拓也さんとコブラが中で作業をしていた。
「ん? どうしたんだ? ジン」
先に僕に気づいたのは、拓也さんだった。
こちらにわざわざ歩いてきてくれた彼に事情を説明し、驚いたような表情をした彼女に僕のCCMを渡す。
《拓也さんですか? お久しぶりです》
「そんな場合じゃないんだが…無事でなによりだ」
拓也さんはヨルの明るい声を聞いて、安心したように声を掛けた。
そして、解析用に僕のCCMを持って行く。
そうしている間に、コブラが呼んでくれたバン君たちが指令室に駆け込んでくる。
「ヨルが見つかったって!?」
息を切らしながら叫んだのはバン君だった。
彼に「ああ」と頷き返し、彼女のCCMを解析しているところだと説明する。
ジェシカとランは僕の説明が聞き終わるより先に、発信元を解析しているCCMに駆け寄る。
さすがに掴めはしないので、コンソールに大きな音を立てて掌を叩きつけると、ずいっと顔を近づけた。
「ヨルっ! 良かった〜!
無事で本当に良かったー!」
「変なこと、されてないでしょうね!?
こう体を触られたりとか、触られたりとか!」
《あ、えっと…大丈夫だから、声が大きいよ。
静かに。彼女が起きるから。お願い。
それに非常識なのは私の方だけど、今深夜だから。ね?》
興奮した二人に反して、ヨルは声を潜めてそう言った。
慌てて口を押さえるランとジェシカ。
カメラがないからお互いの顔は見えないが、それが分かったのか、ヨルは小さく笑った。
その間に拓也さんが調節して、CCMでの会話が室内全体に聞こえるようにする。
ただし、その際にも「静かに」と言うのをヨルは欠かさなかった。
それにしても、その彼女というのは一体誰なのか。
誘拐犯ではないのか?
「では、CCMの電波を解析している間に、状況を説明してくれ」
《状況と言われても……私の方で分かっているのは、誘拐されたこと。
ここが地下であること。
同じ部屋に女の子がいることぐらいしか…》
「地下ですか?
窓も何もない、監禁用の部屋っていう可能性は……」
《うーん…可能性は捨てきれないけど、多分違うと思う。
閉じ込められた私が言うのもどうかと思うけど、違う……はず。
換気口が妙に多いから、そうだとは思うんだけど…》
ヒロに言われ、ヨルも自信が無いのだろう、最後は少しだけ弱々しくなる。
しかし、換気口が多いとなれば、場所さえ判明すればLBXで侵入出来る可能性は高い。
問題はその場所だ。
これが解らないと、動きようがない。
「傍にいる女の子っていうのは誰なんだい?
同じように誘拐された子?」
《いや、一応…私を攫えって命令したらしいけど…どうだろう。
上手くは言えないけど、同類? みたいな感じは…する》
「同類?」
妙に歯切れの悪いその言葉が引っ掛かる。
それを訊こうかとも思ったが、尋ねる前にランが割って入った。
「じゃあ、誘拐犯じゃん!
そいつも捕まえようよ!」
「そういう訳にもいかないよ。ラン。
ヨル。特徴とか、相手の名前は分からないのか?」
《私ぐらいの身長で、髪はブロンドで茶色の目をしてる。
名前は『ベアトリス・ターナー』》
相手の名前が分かれば話は早い。
その家で「ベアトリス・ターナー」という人物がいるかどうか、確認を取ればいい。
本来は個人情報を調べられればいいのだが、今回はブレインジャックが起こっている訳ではなく、「NICS」は協力はしてくれているが正式な命令が出せない。
個人情報にまで手を伸ばすのは、「NICS」にとって立場を悪くしかねない。
そのことに不満を覚えながら、解析中の画面を見つめて、僕はヨルに訊いていた。
「『同類』とはどういう意味だ?」
《そのままの意味。
私が勘違いをしていなければ、多分、私を誘拐した理由もそこにあると思う》
静かな、水のように澄んだ声だった。
全て解り切っているというようでもあり、誘拐されているというのに嫌に冷静だ。
危機感がないとも言うが…。
「解析終了しました。
CCMの発信場所、確認出来ました」
その声と共に、画面に赤い光点で場所が示される。
他よりも少しばかり広い土地の中央にあり、弱々しく点滅する。
この場所のどこかにヨルがいる。
助けなければ…。
そう思い、強く拳を握った。