04.安らかな檻
「ねー、何をしましょうか?
何か案はある? 聞いてあげるわ! ユイ」

ブロンドの髪を櫛で梳きながら、私はそれに「うん」と曖昧に返事をした。
橙色の光で妖しく光る髪は、私が梳かさなくてもサラサラと指をすり抜けていく。
彼女の受動的な態度から、自分で手入れした…という訳ではない気がする。

「何かないの?」

「うーん…探索?」

「えー!
こんな狭い部屋で!?」

「うん。だって、外に出たいから」

「だ・か・ら! もう出れないの!
ずっとここにいるのよ!」

梳いたばかりの髪を右に左に振り回しながら、彼女は拗ねたように頬を膨らませた。
私の手はばたばたと動かされた彼女の腕に振り払わられて、その拍子に持っていた櫛を落としてしまう。

それに「あっ…」と一瞬怯んだものの、彼女はすぐに拗ねたように私から顔を背けた。

私は落とした櫛を拾い上げて、また髪を梳かそうとするけれど、ぺしんと手を軽く払われる。
ぺしん、ぺしんと。
何度か髪を梳かそうとしたけれど、手を払われた。

完全に拗ねてしまったようなので、私は髪を梳くのは諦めて、きょろきょろと部屋を見てから、彼女に了承を求めた。

「………部屋の中、見て回ってもいい?」

「好きにすれば」

「うん。ありがとう」

了承は取れたので、櫛を横に置いてから、私は立ち上がった。

段差を下りて、まずはガラクタの山の方を観察する。
ガラクタのほとんどは玩具ばかりで、新品の物もあれば、基盤が剥き出しになっているものもあった。
試しに、手をガラクタの山に入れて、適当な玩具を取って引き抜いてみる。

「………」

出て来たのはとぼけた顔をしたピエロのぬいぐるみ。
あんまり可愛いとは言いづらい顔をしている。

ぬいぐるみを山の一番上に戻して、次に山の左のキッチンみたいな場所を見てみる。
中は本当にキッチンのようで、簡素な流し台に冷蔵庫、小さな食器棚とお菓子の入った瓶が数個、それから紅茶の茶葉の缶がずらりと並んでいる。
換気扇はあるけれど、窓はない。
茶葉を一つ、手に取ってみた。
有名なメーカーのもので、それなりに値段の張る物だったような気がする。

「冷蔵庫、見てもいい?」

紅茶缶を置いてから、未だに拗ねている彼女に声を掛ける。

「好きにすれば!」

怒ったような声だけれど、了承をもらったので、私と同じぐらいの背の冷蔵庫を開ける。
中身は瓶のジュースや水がほとんどだった。
それを確認してから、冷蔵庫の扉を閉める。

「………」

キッチンから出て、次に右の方の扉を開ける。
扉の先には綺麗に掃除されたバスルームだった。
一段下がった所に、猫足の豪奢なバスタブがある。
奥の方にまた扉があって、その奥はトイレだった。
ここにも換気扇はあっても、窓は一つもなかった。

バスルームから出ると、拗ねていたはずの彼女がじいっと私を睨んでいる。
いや、睨んでいるというよりも、観察している。監視ともいうか。

そのチョコレート色の視線を受けつつ、私はもう一度、改めて室内を見回す。

少し寒い。
換気口の数や部屋に合うように塗装された除湿システムから判断して、ここはやっぱり地下室なのだろう。

視線を天井へ。
換気口は見えるけれど、それ以外に外と繋がっていそうな場所はない。

「LBXとCCMがあれば…」

あそこから外へLBXを出せるのに。
そうすれば、助けも呼べるかもしれないけれど…。

私が持っていたLBXとCCMは誘拐された時に没収されたらしく、そんなことは出来ない。

「貴女の大事な機械のお人形はここにはないわよ。
あの人が取り上げちゃったんでしょうね」

「………そう」

私の呟きが聞こえたのか、彼女が律儀にも答えてくれる。

どちらかあればと思って、出口と一緒に探してはいたのだけれど、意味はなかったらしい。

私は彼女に聞こえないように注意して溜め息を吐きながら、視界の端に映った小さな長方形の箱に歩み寄る。
木で出来たそれに手を掛けようとすると、横から不意にフリルとレースでまみれた手が伸びて来た。
無造作に箱を開けると、中を見せてくれる。

「ただのクローゼットよ」

「…そうみたいだね」

中身は彼女が今来ている服と同じようなフリルとレースが付いた服ばかりだった。
着るの大変そうだなと思ったけれど、また機嫌を損ねそうなので言わないでおく。

最後に一番大きな扉を見やる。
私が扉に向かって歩くと、とことこと軽い足音が付いて来た。

扉の前に立って、大人ぐらいの背の高さがあるそれに手を這わせる前に、その横の壁に手を伸ばす。

電波を遮断するような素材ではなさそうだけれど、CCMがなければ意味はないか。

それを確かめてから、次に扉へ。

素材は多分木製…のはず。
少しだけ感触がおかしいような気がするけれど、なんだろう。
金色のドアノブを回してみるけれど、鍵が掛かっていて開かない。

「蹴ってみてもいい?」

「……好きにすれば。
壊せなんかしないわ」

「分かってる」

少し距離を取って、身体をほぐすために準備運動をしてから深呼吸。
回し蹴りかなと判断し、頭の中でその動きを再生する。

私ではあまり威力は出ないけれど、少しでも傷つけば、それでいい。

「せー、のっ!」

下段から上段に、体を捻って、扉を蹴った。

「……あれ?」

ある程度の衝撃は覚悟していたのだけれど、それがない。
扉を叩いた音もない。
木製の扉に傷一つ付いていないのも予想していたけど、塗装の一つも落ちていないのは、変ではなかろうか。

足を退け、今度は力を込めて、拳で扉を叩く。
強く叩いたはずなのに、扉を叩いた感触がほとんどしない。
拳が痛くない代わりに、扉にも何も変化はない。

この感覚には覚えがある。
硬いというよりは、衝撃を吸収されているという感覚。
これは……

「……強化ダンボール」

木製に見えるように加工された強化ダンボール。

LBXのジオラマにも使われるそれは、申し分ない強度と衝撃緩和能力を持っている。
LBXでも壊すには骨が折れるのに、私の力程度では壊せるはずもない。

私はそのことに落胆して、どうしようかと考えて、それから少し安心した。
ここから出られないということは、この部屋にいられるということだから。

背後から盛大な溜め息を吐かれた。

それは呆れたような、漸く諦められたというような不思議な溜め息だった。

「ね? 無理でしょう。
だから、早く遊びましょう!
貴女、本が好きそうね!
特別よ! どれでも好きなものを読んでいいわ!」

それ以上私が扉をどうにかする前に、ずるずると引きずられ、本棚まで連れて来られる。
半円状の本棚には隙間のないぐらい、たくさんの本が並んでいた。
私が手を伸ばして、ギリギリ届くぐらいの場所までは児童書や絵本が並んでいるけれど、それより上は重厚な装丁の本や難しそうな文学作品が並んでいる。

思わず、ほう…と溜め息を零してしまう。
読んだことのない本が目の前にたくさん…。
お母さんの読んでくれた、正確には読んでいたのを横から盗み聞きしていた本もある。

「さあさあ」

そう言って、傍らの彼女が嬉しそうに急かす。
本当はこんなことをしている場合ではないのに、その言葉に一冊手に取ってしまう。

それは随分と古い物で、お母さんが読んでいた本。

ページを捲る度に、綺麗なお母さんの声が降ってくる。
私のなぞる文は英語だけれど、全部憶えているから、問題ない。

《Day before yesterday I saw a rabbit, and yesterday a deer, and today, you》

私が指でその一文をなぞると、きらきらと黄金色に輝くような気がした。
愛おしそうに文字をなぞる指。
どこか羨ましそうにしている青みがかった黒い瞳。
視線は本と鳥海ユイを交互に移動する。

鮮やかな記憶。
それがこの部屋で息をすると、より鮮明に蘇る。
鳥海ユイは体験しているから、何よりも鮮やかだ。
この視点が私は欲しいと、今でも願う時がある。

雨宮ヨルでは手に入らないものが、私は欲しい。

「楽しい? 楽しいでしょう?
この部屋にずっといれば、楽しいままよ。
だから、ずっとここにいましょう?」

妖しい目をして、彼女が言う。
誘うように、私を絡め取って離さないとばかりに。

孤独な瞳が訴えかけてくる。

理解して、と。
理解しろ、かもしれないけれど。

まるでもう一人の私がそこにいるみたいだ。

「独りは寂しいけれど、でも…知らない他人と二人は嫌よ。
ユイなら十分だわ。
私がここにいる限り、貴女もずっとここにいるの。
…だって、私の所有物なんだから!」

「………貴女は外には出たくないの?」

私の問い掛けに、彼女は少しだけ鬱陶しそうにする。
ブロンドの髪を指でくるくるといじりながら、拗ねたように答えた。

「ええ。出ないわ。
小さい頃からずっとここにいたもの。
今更、外には出たくないわ。
ここにいた方が幸せだもの。
それに外に出たら、怖いことしかないって、あの人が言っていたわ。
私が外に出る理由がない。
それにこの家の大事な大事な娘であるこの私が!
なんで、自分の家から出なくちゃいけないのかしら!」

「……そう。
自分の家なら、そうだよね」

長い髪をひ弱そうな手で優雅に払い、レースとフリルで埋もれた胸を張る。
ついでに足をぷるぷると震えさせながら、背伸びをしていた。

それを特に何の感慨もなく見ていたら、最後のページまで辿り着く。

出版社や発刊日を確認すると、やはり古い本で、お母さんの持っていた本も古くなっていたのを思い出した。
隅の方には「ベアトリス・ターナー」という名前が幼い文字で書いてある。
その隣にも何か書いてあったようだけれど、掠れて読めなくなっていた。
多分、これも名前だ。

誰の名前が書いてあるんだろう。

よく見てみようとした時、不意にちりんと鈴の鳴るような音がした。
なんだろうかと首を傾げると、隣にいた彼女が腰に手を当てて、目を輝かせた。

「むう。来たわね。セシリー!
さあ、ご飯よ!」

「……お昼?」

「馬鹿ね! 夕食に決まってるじゃない!
もうすぐ七時ぐらいじゃないかしら?」

確か私が誘拐されたのが二時ぐらいの出来事だったから……どれだけ寝ていたんだろう、私。

そんなことを考えていると、強化ダンボールの扉が開かれて、大きな銀色のトレーが先に顔を見せる。
更に砂色の髪をした女の人…セシリーさんが、後ろ手に扉を素早く締めて入って来た。

隣の彼女はそれを確認すると、また私をぐいぐいと引っ張って、ベッドの横のテーブルまで連れて来る。
その上に、セシリーさんが丁寧に料理を並べていく。
私の方に並べられた料理の量は普通だけど、目の前の彼女のものは幾分か少ないように思えた。

「ありがとう…ございます」

料理を並び終えたセシリーさんにお礼を言うと、彼女は義務的に頭を下げてくれる。
そして、テーブルの上に呼び出し用のベルを置いて出て行った。
がちゃりという、鍵の閉まる音がする。

「メイドさん…?」

「そうよ。名前はセシリー。
朝と昼と夜にご飯を持って来てくれるのよ!
あとは洗濯物とか持って行くわ。
それと、セシリーと会話しようとしても碌に喋られないわよ」

彼女はそう言って、小さく切られたお肉を頬張った。
私も同じようにお肉を口に入れる。

あ、美味しい。

場違いにそんなことを思って、はむはむと食べていく。

「私と量が違うね」

「ええ。私はこの後も食べるから。
いらないから、ちょっとあげる!」

彼女はどこか嫌そうに言ってから、私にお肉やパンを分けてくれた。

この後も食べるってどういう意味だろうなと考えながら、私はお肉をもう一切れ、美味しいなと思いながら飲み込んだ。



作中引用:ロバート・F・ヤング 「たんぽぽ娘」


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