あまり聞いていて良い気はしないパトカーのサイレンが響き渡る。
警察官が屋敷を調べる姿や私たちが見つけたベアトリスを連れ出していく。
イレーナも事情を聴かれているし、私もそうされるのだろうかと思っていたら、意外にも地下室の中で何かされたのかを尋ねられただけだった。
「拍子抜けしたか?」
死体を見つけた時からずっと傍にいてくれているジンにそう訊かれて、私は頷くしかなかった。
「うん。
もっとたくさん何か訊かれると思ってた。
これで、いいのかな?」
「君は今回は閉じ込められて、巻き込まれた側の人間だ。
彼らもそこを配慮したんだろう。
……地下室から出る時は巻き込む方になっていたが」
「あ、あはは…。本当にご迷惑お掛けしました」
ジンの怒ったような空気を纏う言葉に、私は渇いた笑いと共に謝った。
冗談に聞こえたかもしれないけれど、本当は少しだけ吐き気がして、それを耐えるようにして頭を下げる。
私の曖昧な笑顔を見られるのが、今は辛い。
ジンは……分かってくれるだろうかと思うけれど、ランやジェシカには見せたくなかった。
彼女たちは今は私たちとは少し離れて、事の成り行きを見守っている。
死体のことがショックだったと思ってくれているのか、私に必要以上の言葉を掛けずにいてくれる。
それはとても有り難いことで、彼女たちは本当に良い子だなと思う。
ベアトリスに会った時ショックなんて受けなくて、彼女への親しみが滲み出てきた。
彼女の亡くなった原因はこれから詳しく判明するとして、私が見た限りでは最後に苦しみはしなかったらしい。
私もあの時飛び降りられたのなら、あんな表情をしていたのだろうか。
隣にいるジンには悪いなと思いながら、私は彼女と会って、そんな想像をずっとしていた。
「ヨル?」
ジンの心配したような声が頭上から降ってくる。
顔を覗き込んでくるようなことはしなかったけれど、その声に罪悪感を覚えてしまうのは私の感覚が過去に戻り過ぎているせいかもしれない。
「なんでもないよ。
ちょっとリハビリの必要性について、考えていただけだから」
「………そうか」
彼は私の言葉をどう受け取ったのだろう。
それ以外は何も言わないでいてくれた。
お互いに黙ったままでいると、警察に連れて行かれるミーナさんの姿が目に入る。
彼女は項垂れたまま、虚ろだけれど、どこか安堵した目をして歩いてた。
ずっと抱え続けた秘密をもう抱えなくても良くなったからか。
何年も、何十年も辛くて仕方がなかったのだろう。
今は安堵していて、でも、その後にはきっと秘密を晒した後悔や罪悪感が襲ってくるはずだ。
それに裁かれていると助けられるのかもしれないし、ずっと幻覚として付いて来るのかもしれない。
彼女が本当に心安らかになれる日は来るのだろうか。
来なかったら、それは……。
私は彼女が連れて行かれるのを、まるで自分のことのように感じながら見送った。
「………」
しばらく視線を動かしていると、ちょこちょこと前方からイレーナが歩いて来るのが見えた。
彼女は憮然とした表情で私に近づいてくる。
「どうかした?」
「これから警察署の方に移動するから、お別れを言いに来たのよ。
十分にお世話したし、されたからね」
彼女の地下室の時からあまり変わらないような態度と言葉に、私は「ああ」となんとなく頷く。
今の彼女は地下室にいた時のドレスを脱ぎ去り、かなりラフな格好になっていて、威厳よりも親しみが持てる。
うねるように長い髪を後ろで結んでいるのも新鮮だった。
「やっぱり、髪長いね」
「さっさと切りたいわ。
まあ、それは良いとして、私を脅してくれてまで出してくれて、ありがとう。
感謝してるわ。
お父さんやお母さんに会うのは、ちょっと怖いけど」
「それは…私にはどうしようもないかな。
自分で頑張るしかないよ」
私が本当に返答に困ってそう言うと、イレーナは盛大に溜め息を吐いたけれど、その顔は地下室を出た時よりも晴れやかで大丈夫だろうなと思う。
彼女は溜め息を吐き終えてから、私に言った。
「ねえ、ヨル。
連れ出してくれたお礼よ。
何かお願いはないかしら?」
「え、あー…そうだ。
イレーナはいくつなの?」
それなりに気になっていたことを訊く。
なんでもというなら、失礼は承知でこれが良いかなと思ったのだ。
「…………」
「いくつなの?」
すごく気まずそうな顔をしながら固まるイレーナにもう一度訊いてみる。
同じ目線の、私と似通った部分が多すぎる彼女は何度もきょろきょろと目を泳がせ、徐々に私から遠さがる。
私は「どうなの?」と言うように首を傾げた。
隣にいるジンもどこか興味ありそうに、私たちを見下げていた。
彼女は「うー…」とか「あー…」とか何度か声を上げてから、私を責めるようにきつく睨んだ。
そのまま数歩分あった私との距離を詰めて、彼女は本当に不本意といった様子で私の耳元に口を寄せると、小さな声で教えてくれた。
そんなに恥ずかしいことかなと思うけど、本人は真剣そのものだった。
「秘密よ! 秘密だからね!
お、同じ年みたいなものなんだから!」
「あー…うん。秘密だね」
私が曖昧に言うと、彼女は何度も何度も秘密だと確認してくる。
何度目かの後に、彼女は大袈裟な咳払いをしてから、私にまた向き直った。
「とりあえず、ありがとう。さようなら。雨宮ヨル。
貴女に一目惚れして、地下室に連れて来て後悔したりしなかったりだけど、今は感謝してる。
私は貴女にならないように、頑張るわ」
「うん。そうしてくれると、とても嬉しいよ」
素直にそう思う。
私にはならないように、私は心から願っている。
「ありがとうって言える。
頑張るのも約束できるわ。
でも、もう二度と、ヨルとは会いたくないわ。
二度目はないようにしましょう。
お互いに」
彼女のその言葉は冗談めいていたけれど、本心だったと思う。
助けたけど、助けられたけど、それは私たちの状況があまりにも似すぎているからで、地下室から抜け出してみればその異常さに漸く気づく。
あの関係は本来ならない方が良かったんだ、と。
私たちはお互いに似すぎて、違いすぎて、きっと理解者にはなれても友達にはなれない。
次に会えば、どちらか…彼女の方からかもしれないけれど、拒絶してしまうと思う。
ジンたちは私とは違い過ぎて、でもそれに憧れて、理解したくて、隣にいたくて、だから友達になれた。
でも、彼女は理解出来過ぎてしまうから、一緒にいない方が良い。
だから、会わないで。
このままで、別れるべきだと思う。
「私も二度目はいいかな。
イレーナ、私の知らないところで元気で」
「ヨルもね。
貴女、性格悪いから直した方がいいわよ」
最後に握手して、彼女とは別れる。
手が離れる時、そこにはぎこちなさも後悔もない、実に簡潔な別れ。
生き物のようにうねるブロンドの髪。
チョコレート色の甘い瞳。
私の同類が私よりもずっと凛とした背中をして、去っていく。
その姿を羨ましく思いながら、……妬ましく思いながら、私は彼女の背中を見つめ続ける。
「…あれで、良かったのか?」
隣でずっと黙ってくれていた彼がそう尋ねてくる。
「どうしてだ?」と言うように。
それは当然の疑問で、私たちが異常だということの裏付けだった。
私はくすりと小さく笑ってから、彼に対して頷いてみせる。
「あれが最良だよ。
もう一度はない。
会えても、会わない。
お互いにそれが一番良いって分かってるから、それが何よりも会わない方が良い証明だから。
あ、でも、文句を言うのを忘れちゃったな。
『所有物』なんて、酷い言い方だよね」
くすくす。
私は自分の言ったことに笑ってしまう。
ジンは私の様子に不思議そうに、切なそうに目を細めた。
彼の手がすっと伸びて来て、私の頭をぽんぽんと軽く撫でる。
それにも、私はくすくすと笑ってしまった。
寂しくないのに寂しくなって、言いようのない感情が込み上げてくる。
私はそれから目を逸らすように、顔を上げる。
ちょうど遠ざかっていくイレーナの背中が見えて、私は苦し紛れに彼女に声を掛ける。
仕返しの意味も込めて。
「イレーナ!」
名前を呼ぶと、彼女が不思議そうに振り返る。
私は彼女に微笑んで、お腹の底から大きな声を出した。
「貴女もその性格直した方がいいですよ!
お姉さん!」
私の最後の言葉にイレーナの足がもつれ、倒れかける。
周囲にいた仲間たちの視線が彼女に集まるのがよく分かる。
「……なるほど。そういうことか」
隣でジンが呟く声がした。
呼ばれた本人はわたわたと慌てて、私を睨み付けてくる。
実に自然な動作。
本当の彼女も地下室の時とそんなに変わらなかったのかもしれないと、不意に思った。
「このっ! 憶えてなさいよー!!」
彼女の叫び声にひらひらと手を振ると、イレーナは余計に怒ったような声を上げて、それでも最後には諦めたような声を出した。
「今回だけは! 最後だから! 許してあげるわ!!
感謝しなさい!」
彼女はそう言ってもやっぱり怒りは収まらなかったのか、一歩一歩を力強く歩いて行く。
その背中は怒っていたけれど、本気ではなくて。
私への小さな親しみが籠められている。
それが理解出来る。出来てしまう。
凛とした佇まいの、背中。
それが羨ましくて、遠すぎて、嬉しくて、妬ましくて、私は精一杯微笑むことしか出来なかった。
そして、呟く。
「さようなら。偽物さん」