目の前で倒れ込んだままの人の肩に手を置き、私は彼女に立ち上がるように促す。
彼女は掻きむしってモズの巣のようになってしまった髪の間から、私を睨んでくる。
私はそれに対して微笑んでみせた。
それが正しい行動ではなかったらしく、余計に睨み返されてしまう。
でも、まあ、こういう時の正しい行動を考えるのも今は面倒なので、置いておくことにする。
さすがに死体を探し始めれば、嫌でも立ち上がるだろうから、私はバン達の後ろにある階段に向かおうとする。
「待つんだ。ヨル。
死体を探すといっても、もしも見つからなかったら……」
ジンの手が私の腕を掴む。
余裕がないのだろう。
掴まれたところが少し痛い。
「それは大丈夫じゃないかな。
だって、ほとんどその人があるって言ったようなものだし。
死体以外にも他にあっただろうに、あえてそれを出したのは、それが余程印象にあるってことじゃないかな」
それに死体を処理するのは骨が折れる。
私だって長い間放置しておくことしか出来なかった。
見つからないような場所に隠しておくのが、とりあえずは安全なはずだ。
だからと言って、確実にあるとは言えないけれど…。
私の言葉に何かを察してくれたのか、そこまで言うとジンは掴んでいた手をゆっくりと離してくれる。
バンとジンは良いとして、他の五人は状況を飲み込めていないみたいだけど…。
「あ! あの…ヨルさん、これ…」
ヒロがそう言って、差し出してくれたのは私のLBXだ。
少し確かめてみるけれど、変な所はない。
壊されてもいないから、少し安心した。
「それから、これも。
別の部屋で見つけたんだ」
バンが私のCCMを差し出してくれる。
CCMの方も変な所はない。
電源は切られていたけど、それ以外に問題はなさそうだ。
「三人とも、ありがとう。
今回は、本当に迷惑を掛けました」
「迷惑だなんて思ってないよ。
それよりも本当に見つかるのか?
その……死体なんて…」
言いたいことは、なんとなく解る。
あまり見つけて良いものではないし、それがあるということは恐ろしいことで、簡単に暴いていいことじゃな。
それでも、偽物がいたのだから本物を見つけないといけないと私は思う。
閉じ込められていた月日がそれでは返ってこないと分かっていても。
「大丈夫。
だって、この屋敷の中で調べられていない場所、あるよね。
多分、そこだよ」
私はそう言いながら、ぎしりと軋む階段を上る。
その後に続いてみんなが上ってくるというのは、随分とおかしな光景だ。
いつもは私は付いて行く方だったから、こういう時だけは私が先になる。
それは決して良いことではないことを私は分かっている。
階段を上ったところで、早々に疲れ果てたらしいイレーナを背負う。
イレーナが背中に乗るのと床に伏していた彼女が付いて来ようとしているのを確認してから、私はまた歩き出した。
「弱っ!」
ランがイレーナに言った言葉は、実に的確だ。
「しょうがないじゃない!
こっちは二年も地下室暮らしよ。
足腰弱いのよ。陽の光が大敵なのよー!
やばい…。本当に溶けるわ…」
「人間は溶けないから、大丈夫。
嫌なら、中まで戻るよ?」
「あんな所に一人は嫌よ!」
背中で暴れるイレーナの拳がポカポカと私に当たる。
大して痛くはないので放っておくけど、この子はこのまま大人になったら大変だなと少し思ってしまった。
視界の端にふらふらと後ろを付いて来るミーナさんを捉え、その後ろには逃げないようにしてくれているジンとユウヤがいた。
背負った彼女は予想通り軽かった。
羽を持ちあげているみたいとまではいかないけど、それなりに簡単に背負うことが出来る。
そのままジェシカから聞いていた道順で庭の方に出て、途中で拓也さんと合流すると、昔食糧庫だったという塔が見えてくる。
入り口は板で固定され、南京錠で鍵を締められている。
「はい。下りて」
「ええ〜…」
「『ええ〜…』じゃなくて。
調べて来るから、ランたちと外で待ってて」
「え! あたしは付いてくよ。
それに入り口は壊さなきゃだしさ!」
私がCCMを構えようとしていると、ずいっとランが身を乗り出してくる。
その気持ちはとても有り難い。
有り難いけれど、付いて来てもらうというのは気が引ける。
私は良いけれど、ランもジェシカもここにいる誰だって死体慣れしている訳がない。
………私はいつだって見ることが出来たから、そんなことはないんだけど。
「入り口を壊してくれるだけでいいから。
中は私が見るよ。
そこにいるミーナさんが逃げないように見張ってて」
「でも…」
「大丈夫だから」
私は多分嘘つきだろうなという笑顔を浮かべて、ランにもう一回そう繰り返す。
その後ろにいたみんなにも、解るように。
ジンは私を疑うような目で見ていたけれど、彼は付いて来るんだろうな。
不安げな瞳をさせるミーナさんが私の目に映る。
彼女は私の笑顔を見て、震えていた。
私は彼女よりも彼女の背後に視線を向ける。
そこには彼女にしか見えない幻覚がいるのかもしれない。
「ヨルが言うなら、信じるけど…」
ランは不満そうにしながらも、CCMを構えてミネルバを出す。
扉の破壊だけは彼女に任せる。
ジェシカやヒロも付いて来たそうだったけれど、無理に来るようなことはしないだろう。
こっちはそのままにしておいてもいい。
あんまり派手に破壊しないでとお願いすると、「分かった」と言ってランは了承してくれる。
「必殺ファンクション」は使わずに、ミネルバが南京錠を壊して、板を固定していた釘の部分を攻撃する。
南京錠の壊れる歪な音と、バキっという木の割れる音。
ランにお礼を言ってから、私はゆっくりと扉を開けた。
視界の端にミーナさんを留めておくことには注意する。
「これは……」
扉を開けると、まず目に入ったのは大量の木箱だった。
子供一人ぐらいなら入れられそうな大きさの木箱が大量に、全部に丁寧に釘が打たれていて、簡単には開けられないようになっている。
少し近くの箱を揺らすと、カタカタと何かが入っている音がする。
その音に目を細める。
この中には灰と骨でも入っているのだろうかと想像して、扉の外に視線をやる。
未だ震えたままのミーナさんは目だけが笑っているような気がした。
私はすぐに視線を逸らして、奥に進もうとすると唐突に私以外の声が反響した。
「……手伝おう」
逸らした視線を元に戻すと、そこにはジンと拓也さんが立っていた。
彼は手近な箱に手を掛けながら、私を見つめる。
「何か当てはあるのか?
正直、骨や灰では見分けがつかないぞ」
「あ、はい。あります。
えっと……死蝋化って知ってますか?」
拓也さんの質問に私は質問で返した。
彼がその質問に答えるよりも先に、ジンが口を開く。
「死体が蝋状になることか?」
「うん。名前の通りだね。
ミイラと違って、湿ってて低温の状態でなる可能性があるんだけど、前にお父さんの死体をどうしようかって考えて調べたことがあるんだ。
結局、知識だけなんとなく拾って、使わなかったけど……。
あの地下室への道は条件的にはぴったりだと思う。
死蝋化してるとしたら、判別は出来る。
勘だけど、まずはそれを探す。
灰と骨になってたら、どうしようもないけど…」
私がそう言うと、ジンが辛そうな表情をする。
彼はお父さんを見ているから、余計に辛いのかもしれない。
「しかし、それをこの中から探すのか?」
そう、この状態は少し予想外だった。
どうしようかと考えて、私はまた扉の外を見る。
どうなっているんだろうと仲間たちが覗く中、震える視線の先を考える。
霊感が欲しい訳ではないけれど、彼女の見ている幻覚が少しぐらい見えればいいのに。
私はそう思いながら、奥へと進んでいく。
震える視線を背中に感じながら、右に動いたり左に動いたりしてみる。
「ヨル?」
ジンの疑問が滲む声も背中に受けながら、視線を頼りに進む方向を決める。
カラカラと音がする木箱はとりあえず無視して、奥へ奥へと進んでいく。
木箱に触れて、触れながら、「ベアトリス・ターナー」のことを少しだけ考える。
本当の「ベアトリス・ターナー」。
彼女はどんな子で、どんな顔をしているのだろう。
やっぱり、イレーナと容姿は似ているんだろうか。
木箱をなるべく一つ一つ触りながら、視線を常に注意する。
そうしていると、不意に背中に受けていた視線に違和感を感じた。
私の手は木箱に触れている。
その木箱をよく観察すると、底の方に赤いバツ印が付いていることに気づく。
「ああ。これか…」
思わず、声が零れた。
木箱を軽く揺らすと、音も何もしない。
しっかりと打たれた釘に手を掛けようとすると、私の横から手が伸びて来て、ジンが私の手を無言のままそっと退けた。
「開けるから、ヨルは下がっているんだ」
拓也さんもそれに加わって、静かに箱が開けられていく。
私は軽い衝撃なら大丈夫かなとLBXで開けることも考えていたけれど、その必要はないらしい。
ゆっくりと、本当にゆっくりと木箱が開く。
何か恐ろしいものが溢れてくる訳もなく、それどころか静謐な空気がそこにはある気がする。
私は恐ろしくもなく、ただ親しみを持って、本当に初めて「ベアトリス・ターナー」に対面する。
亡くなった時のまま、安らかとは言えないかもしれない顔をした彼女は、イレーナには似ていない。
そのことに安堵した。
彼女はこれで「ベアトリス・ターナー」ではなくなることが出来る。
外からは呻くような、嘆くような獣じみた慟哭の声が聞こえてくる。
自分ではなく、自分の背後にいる亡霊を責める言葉がいくつも聞こえてきた。
その声を自分勝手に憐れみながら、私は眠るベアトリスに微笑んだ。
「はじめまして」、と。
「やっと会えたね。
随分と捜したよ。ベアトリス」