Girl´s HOLIC!

05.始まりは、ここにする。


茶色のふわふわとした髪を揺らして現れたその人は独特の甘い匂いをさせて、私を不思議そうに見つめていた。
匂いがきつくて少し後退すると、アリシアさんが溜め息を吐いて、私を紹介した。

「見学者の雨宮ヨルさんよ。
ヨル。その子はリーゼリッテの元同室者のシエラ・ガーネットよ」

同室者…ということは、リゼを冤罪にしたかもしれない人か。
そうと分かればと、その人を上から下までよく観察する。
全体的にふわふわとした印象を受ける。
髪も声も目も。

……男の人って、こういう人が良いのかな。
リゼの方がずっと良いと思うのに。

よくわからない。

「よろしくね〜。ヨルちゃん。
『リーゼリッテの』って説明するってことは、リゼの知り合いね〜。
……うんうん。なら、ちょうどいいわ。
私とも連絡先、交換してくれる?」

「……いいですよ」

本当はそれほど気乗りしなかったけれど、彼女とも連絡先を交換する。
近寄ると余計に匂いがきつい。
多分香水を付けてるんだろうけど、色々と混ざり合って訳の分からないことになってる。
遠くで嗅ぐ分には丁度良さそうだけど。

「じゃあ、失礼します。また、絶対来ます」

「ええ。いつでもいらっしゃい」

「リゼによろしくね〜」

二人に一礼してから、門までの道を歩いていく。
後ろを少し振り返って二人の姿がないことを確認して、CCMを開いてリゼに連絡する。

「もしもし?」

《もしもし。ヨル。無事?》

「……とりあえずは。
会ったよ。シエラさん。
それは今はいいから、門まで迎えに来てくれる?
そっちまで戻るから」

《会ったか……。まあ、寮生だし、会うよね。
わかった。迎えに行く》

「うん。よろしく。
…リゼの話はそんなに聞いてないよ」

余計かなと思ったけれどそう言うと、リゼは少しだけ沈黙してから安心したように言った。

《お気遣いどうも》

その短い言葉で通話は切れる。
シエラさんが来たことを伝えて来たってことは、それほど遠い所にはいないんだろうなと思い、ゆっくりと考え事をしながら道を歩く。

分かれ道からまっすぐに門へ。
そこにはこの二週間で見慣れた金髪が見えて、私は駆け寄った。

「リゼ」

私が声を掛けると、彼女が振り返る。
驚いたような顔をした彼女は私を見るとほっとしたように肩を下した。

「無事で何より。
寮はどうだった?」

「面白かった。リゼは何してたの?」

私がそう訊くと、リゼは門の上、ちょうど防犯カメラを指差しながら言った。

「周囲のあれの位置を確認してた。
そうしたら、シエラが帰ってくるのを見てね。
メールした訳だよ」

「顔知らないから、《行った!》だけじゃあ、分からないよ。
でも、あれがシエラさんか……。
香水の匂いがきついね。あの人」

くんくんと服に匂いが付いていないか、思わず確認してしまう。
付いてはいないみたいだけど、あの匂いはしばらく忘れられそうにない。

「そんなにきつかった?
今日はそれほどではなかったと思うけど…」

「いつも、ああいう匂いさせてるの?」

「……ヨルの言う匂いがどういうのかはわからないけど、それほど香水を持ってる訳じゃないから、いつもじゃないとは思う。
まあ、時々変に匂う時はあったけど、すぐに服を洗濯に出してたから、どこかで付けてきたんじゃないの?」

あんな匂いがする空間ってどんな場所なんだろう。
時々でも遠慮したい匂いなのに、あの人は平気なのだろうか。

私はしばらく香水はいらないなと思いながら、リゼと一緒にもう一度寮を生垣沿いに歩く。

「生垣の防犯カメラは確かに数はあるけど、ここはそれなりに広いから、死角はあるよ。
入るのは結構簡単。
で、調べてみたら、あったんだな。これが」

少し歩いて、寮の裏側に当たる位置に回る。
表に比べれば人通りが少なくて、夜になれば余計に人は少ないだろうなと思う。
防犯カメラからも死角だ。都合の良い場所だな、ここ。

「ここ。上手く隠してあるけど…」

そう言いながら、リゼが生垣を探る。
一見すると他の生垣と同じように、それなりに分厚くてしっかりしているけれど、少し探ると小さな穴が出て来る。
私が屈んで確認すると一人ぐらいなら余裕で通れそうな穴で、中の枝も丁寧に切ってある。
目の前は木ばっかりで、おそらくは男子寮と女子寮を分ける林の外縁。

私はきょろきょろと人がいないことを確認すると、地面に手を付いた。

「ちょっと確認してくる」

「いや、そこまではいいでしょ。見つかるって!」

「だから、見張ってて」

それだけ言うと、四つん這いになって穴を潜る。
枝が当たって少し痛いけど、大きい枝はないし、地面は踏み固められている。
私の身長なら頭もつかない。外から見るより結構大きい。

「女子寮、見える?」

「え、と…ちょっと待って」

穴から少しだけ顔を出して、周囲を確認する。
予想通りの林の中で、男子寮の方は見えないけれど、女子寮の方は近い。

「うん。見える。
木で陰になってるから寮からは見えないはず。やっぱりここから出入りしてるんだろうね」

そう言ってから、そのままの体勢で後退して穴から出る。
穴から出ると、リゼが私の姿を見て呆れたように声を上げた。

「あーあ。汚れてる」

這い出て来た私の服の汚れをリゼが叩いて落としてくれる。

「はい。落ちた」

「……うん。ありがとう。リゼ」

私がお礼を言った後も、リゼは乱れた髪やスカートを直してくれる。
姿も性格も全然違うけれど、お姉ちゃんみたいだ。
少し懐かしくて、思わず目を細める。

彼女がいれば、私の視界は明るくなるだろうか。

そんな無駄で、どうしようもないことも考えてしまった。

「ここから敷地内に入れるとなると、後はどうやって寮に入ったか…か」

そのままでも問題ないだろうけれど、リゼが律儀に穴を元に戻しながら言った。

「それについては私が説明するよ」

私がそう言うとリゼが驚いた顔をする。
私は「どうして男の人が寮に入れたのか」を調べようと思って寮に行こうと言ったんだから、解っても不思議はないのに。

「解ったの?」

「……多分」

「本当に?」

「ある程度は納得出来ると、思う」

ある程度は。そう。ある程度は。

「えっと…説明、します。説明する」

「いや、……場所を移動しよう。
寮の奴らに聞かれるとさすがにまずいから」

そう言って、リゼが私の腕を引っ張って行く。
身長が違い過ぎて、足がもつれてしまうけれど、どうにか付いて行く。

場所を移すって家かなと思うけれど、どう考えても方向が違う。

連れて来られたのは大学からそれなりに離れた所にあるカフェ。
そこに入って適当に注文してから、席に着く。
そして、リゼが神妙な顔つきで私に促した。

「ここなら、うちの大学の奴は少ないと思うんだよね。
さて、話して。ヨル」

その言葉に頼られたような気がした。
嬉しい。嬉しい。
頼られて、嬉しい。
単純なことで、日常の中にそんなことは溢れているのに、どうしようもなく嬉しくて、私は勢いよく頷いた。


■■■


私の持っていたノートの切れ端にヨルが寮の間取りを描いていく。

「生垣の穴で寮の『敷地内』に入ることが出来るのは、解ったよね。
あとは、どうやって寮の『中』に入るかだけど…」

生垣の穴の位置にペンで丸を描く。
次に、身長が足りなくて床に着かない足をぷらぷらと揺らしながら、ヨルは切れ端の上の寮の中にバツ印を付けていく。

「これは?」

「防犯カメラの位置。
一階の廊下と非常階段。あとは寮への道に等間隔に設置されている。
それで寮に入る場合、玄関からだと廊下のカメラと直前のカメラに姿が映る」

その防犯カメラを指差し、私に視線を向けてヨルが訊いてくる。
私もそれに頷いた。
だから、玄関からという考えは最初に捨てている。
それを確認するための問いだと思ったので、私も自分の持っていたペンで玄関にバツを付けた。

「こうなる…で、いいよね?」

「うん。
それでね、リゼ。訊きたいことがあるんだけど、寮母さんってお金遣いは荒い方?」

「……は?」

「どう、なのかな?」

何故、それを今訊くのだろう。
関係ないんじゃないかと思ったけれど、ヨルの目は真剣で私も必死にマーガレットのことを思い出す。
お金、お金……。
彼女とは結構話をした仲だけれど、内容は他愛のない物ばかりで憶えていない部分も多い。
そこから必死に思い出す。

話した時の状況を、どういう流れで話をしたのか、どちらから話し掛けたのか。
最初から話の過程を全て思い出していく。

「たまに……カードの支払いが滞ってるっていう話は聞いたかもしれない。
寮監室の奥のマーガレットの個人部屋は見た?」

私の質問にヨルが首を振る。
マーガレットは気さくな性格だけど、そこまではさすがにしないか。

「寮監室自体は質素なもんだけど、あそこにある物は結構な値段がするはず。
コーヒーカップや椅子、コーヒー、毛布、砂糖にお菓子……意外と値段の張る物ばっかりだった気がするんだよね。
使ってる物とかブランド品が多かったかな。
クローゼットの中もブランド品が大量にあったのを見せてもらったことがある。
興味はなかったけど、言われてみれば金遣い荒いね。マーガレット」

「そっか。
じゃあ、多分、彼女だと思う。
寮に寮生以外の人を入れるには、方法は……何個かあるのかもしれないけど、私が考えたのは一つ」

ヨルは一階の非常口を指差す。
そこは非常口であり、寮ではそこが裏口にも当たる。
寮は古い建物で火災や何かが起これば、そこから出ることになっている。
鍵は当然掛かっているけれど、肝心の鍵がぼろいので実はちょっとした工夫で開けられるのだ。
だから私はいつもここから出入りしていて、ここの防犯カメラに引っ掛かった。

「ここから入るんだよ」

他でもないそこを指差して、彼女はきっぱりと言った。

「…………冗談でしょ?」

防犯カメラの話はどうした。

「真面目に言ってるんだけど……」

「いや、防犯カメラがあるじゃない」

「防犯カメラは私も見た。
でも、あれ、外側だけ本物の張りぼてだよ。
防犯カメラは日本にいた時に調べたことがあるから、なんとなく分かる。
中身はないんだと思う。
寮監室で見たモニターには防犯カメラの映像が流れてたけど、一階のここの映像はなかった。
設置した後に寮母さんが中身だけ取り出したんじゃないかな。
中身だけでも、売ればお金になるもの。
リゼの話が本当だったとして、だけど。

リゼ。寮母さんはいつもモニターの映像は隠すようにしてなかった?」

ヨルにそう言われて、よくよく思い出してみる。
防犯カメラの映像なんて、自分の冤罪があるまで興味もなかった。
見ていたはずだけど、記憶に残っていない。

でも、そうだ。
モニターは寮監室を覗いただけでは見られない位置にあって、マーガレットは私を椅子に座らせる時はいつもモニターの反対側に座らせていた。

「裏口は寮の構造上、廊下側の防犯カメラには映らない。
多分、男の人を連れ込んだのかもしれないシエラさんはこれを知っていて、使ったんじゃないかな。

問題はどうしてリゼが連れ込んだことになったのか。

シエラさんが……寮母さんのしたことを知って、リゼの方を寮から追い出すようにしたのかもしれない。
そもそも寮までの道も防犯カメラで撮られてるはずだから、確認すればそんな訳ないって分かるはずなんだけど……。
もしかしたら、防犯カメラを確認したっていうアリシアさんも同じようにシエラさんに何か言われたのかもしれない」

「それが本当だったら、あいつの根性どうなってるんだか……」

しかしそういう現場を見たことがあるのも事実で、否定が出来ない。
ヨルは私の話だけでシエラのことを話しているし、本当は違うのかもしれないけれど、ヨルの話は私が納得する分には十分だった。
なんて、単純な話だったのか。

気づけなかった自分の方が情けない。

シエラを責めたいけれど、正論をかざし続けただけの私も悪い。

「あくまで、もしもだけど…どうかな?」

「私としては文句なし。納得した。シエラの根性、叩き直したい気分でもある」

「……この話をすれば、もしかしたら何かがどうにかなるかもしれないけど、どうする?」

リゼが決めればいいよ、と彼女は言う。

彼女には私たちの関係に何か言う気はないのだろう。
いや、権利がないと言う方がこの場合は正しいんじゃないんだろうか。

ヨルは私にとっては……友達、だと思うけれど、私の前の友人関係に口を出せるわけじゃない。

シエラは友達だったはずで、裏切られたはずで、腹の底から怒りが湧いてくる。

でも、これを何にぶつける?
そんなことをして、誰が喜ぶの?

私はシエラが男を連れ込んだ方法が解ればいいと、自分で決めた。
それで良い。
退寮を言い渡された時、私だけが正論をかざして、納得しようとしなかった。
だから、納得したかった。

それがあれば、全部許すとそう決めた。
全部諦める代わりに知りたいと思った。

だから、もういいか。

「……いいよ。方法が解っただけで十分。
何もしない。
言ったら言ったで、アリシアや他の寮生に迷惑がかかるし、シエラの策に乗るようで癪。
まあ、いつかはどうにかなるでしょ。
それは私の知らないことで、私は私。あの子はあの子でどうにか割り切る。

もう終わった話に変わりはないからね。

私は…何もしない。

ヨルもそれでいいよね?」

本当は今すぐに汚い言葉を吐いて、シエラに文句を言って、責任を取って欲しいけれど、それは私がそうしたいだけで、私以外に誰も得をしない。
私が退寮したということで、全部…とはいかないけれど、程よく治まってはいる。

それなら、この形でいいじゃないか。

そう自分を納得させる。
言い訳をたくさん浮かべて、それで私は納得する。

「リゼがいいなら、それで良いよ」

私の決めたことにヨルは笑顔で頷いて、私が頼んだアイスカフェオレをちびちびと飲み出した。
床に届かない足をぷらぷらと揺らす。
私も頼んだコーヒーを飲み下した。

紅茶でも良かったけど、飲み始めるとそれなりに時間が掛かるので、コーヒー。

案の定コーヒーは独特の苦みがして、こういうのは深夜の眠い時にぐだぐだと飲むのが良いなと思う。
今日は余計に苦く感じるのはきっと気のせいだ。

「………私たち、友達になれた?」

コーヒーの苦さにうんざりしていると、上目遣いでヨルが私に訊いてくる。

私は……友達だと思うけど、ヨルは私を助けたから友達になれたと思ってるのかもしれない。

「ヨルは友達になりたくて、こんなことをしたの?」

「ううん。家族だから、助けたんだよ。
でも、友達にもなりたくて…。
二週間ぐらいで、友達になっていいのかな?
迷惑じゃない?
もう、友達を作るのは、嫌…?」

澄んだ青い目をして、ヨルが私に問いかける。

友達って、そんなに難しい問題なのだろうか。
ヨルの中の友達はとても複雑怪奇で、こんがらがっていて、でも今の私の心の中をよく解っている気がする。

正直、友達はしばらく勘弁したい。
軽く人間不信になりかけている。

でも、それが怖くなったら、こっちの負けだとも思う。

研究室のみんなに不信感を抱くなんて、嫌だ。
友人たちに助けられたのも事実だから。
いなければ、今頃はどうなっていたかなんて、想像もしたくない。

だから、うん。悩む必要なんてあんまりない。

そういうのは、後から付いてくるしかない。

「馬鹿者。私とヨルは誰がなんと言おうと、友達なんだから。
そんなこと、訊かなくても分かりなさい」

私はヨルに自信を持って、そう言った。

私の言葉にヨルは目を丸くしてから、嬉しそうに、恥ずかしそうに呟いた。

「そっか…。良かった。
嫌われなくて、本当に良かった」

どこか寂しそうでもあったけれど。



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