04.砂糖菓子の色は何色?
門を潜ればすぐに寮というわけじゃなくて、少し歩く必要がある。
同じ敷地内にそれなりに離れて女子寮と男子寮があるので、仕方がないといえば仕方がない。
「周りは壁で囲まれてるの?」
「背の高い生垣があるにはあるけど、やる気があれな侵入できなくはない…と思う」
そういう意味で訊いてるんだろうなと思って、訊かれるより先に答えた。
「なるほど…。
門にも防犯カメラがあったし、ここに来る前にもいくつかあったから、さすがに正面からじゃ無理だよね」
「ひい、ふう、み…」と訳の分からない言葉と一緒に指を折りながら、軽やかな足取りで女子寮への道を進んでいく。
遠くからでも男子寮を見ておくかと訊いてみるけれど、それはいいと却下された。
まあ、あんまり男子寮の奴らには会いたくないので、提案してみたものの却下してくれたのは有り難い。
「すごい防犯カメラの数。
しかも最新式だ。あれ、すごく高いんだよね」
「……よく知ってるね。
確かに高いよ、あれ。やっと予算が下りたらしくて、最近付けたみたい。
男子寮も同じ型」
二人して防犯カメラを見上げながら、寮への道を進んでいく。
寮のみんなと擦れ違わないか心配だったけど、誰にも会わないな。
私はあまり昼間に寮にいたことがないので、これは普通なのだろうか。
ヨルはふらふらと林を見たり、背伸びして向こう側の男子寮への道を見ようとしたり、意外と忙しない。
「あ、見えてきた」
ヨルが指を指した先には、見慣れた寮の姿。
そして、ここに来て見知った顔がそこにはいた。
「げっ! アリシア…」
「知り合い?」
「……この寮の寮長。
なんで、今出て来るかな…」
「嫌いなの?」
「嫌いじゃないけど、気まずい。
お世話になったけど……私、一応退寮したわけだから」
ヨルは大学寮を見たいと言ってはいたけれど、これは外装だけでも無理かもしれない。
本当ならここでヨルに帰ろうと言いたいところだけど、本人は嬉しそうな足取りで進んでいくので止めるに止められない。
どうしたものかと思っているうちに距離は縮んでいき、気づけばもう目の前だ。
アリシアは困ったような顔で溜め息を吐く。
今日は眼鏡を掛けていないのかと、どうでもいいことに目が行った。
「リーゼリッテ。
確か、貴女は退寮処分になったんじゃなかったかしら。
この寮で貴方がどんなふうに言われているか、わからないわけじゃないでしょう?」
説教するような口調のアリシアに対して、私はなるべく普段通りに対応することにする。
「わからないわけじゃないけど、今日はただの付き添い。
そこの小さいのが大学寮を見てみたいって」
「……小学生が?」
ヨルを見て、訝しげに首を傾げるアリシアに思わず笑いそうになり、どうにか堪える。
本人はと言えば、小学生と言われてすごく微妙な顔をしている。
「違う違う。一応、高校生。飛び級だけどね。
私の下宿先の娘さん。
元寮生としては行きたいと言われれば、案内しないわけにはいかないでしょ」
「だからと言って、退学処分者をこの寮に入れるわけにはいきません。
まったく。
マーガレットさんから防犯カメラに貴女が映ったなんて言うから、寮生をここから出ないようにしたのに……。
その態度はどうなのかしら?」
「は? どうして?」
というか、お前の仕業か。有り難いけども。
正直、誰とも会いたくなかったから。
「退学処分者を寮の敷地内に入れてるなんて、寮長として面目が立たないからです。
寮の雰囲気にも関わるし、やっとあの事件でギスギスした空気が和らいできたところなんだから……。
少なくともリーゼリッテは寮の門まで帰りなさい。
その子は私が案内します」
「ああ。そういうことなら、任せる。
ヨル。大丈夫?」
私が寮内を案内するのはどうかと思っていたので、アリシアに任せられるならそうする。
私よりも説明するのは上手いし、彼女の方が適任だろう。
「あ、うん。大丈夫。
雨宮ヨルです。よろしくお願いします」
「アリシア・ホワイトよ。よろしく。
アマミヤ…となると、日本人かしら? それにしては髪や瞳の色が違うわね」
顎に指を当て、しげしげとアリシアがヨルを観察する。
灰色の目で見つめられて緊張したのか、ヨルが気まずそうに視線を逸らしたのを見て、私が間に入って簡単に説明した。
「ロシア人の血が入ってるんだよ」
「ああ、なるほどね。
さて、リーゼリッテは敷地から出なさい。敷地の外にいる分には、咎めはしないわ。
ヨルは私に付いて来て。案内するわ」
「お、お願いします。
リゼ、案内してもらったら連絡するから」
「わかった。楽しんでおいで」
寮に入っていくアリシアの後を付いて行くヨルを手を振って見送る。
楽しめるかはともかくとして、アリシアになら安心して任せられる。
私を糾弾したのもアリシアだけれど、庇ったのもまた彼女だ。
こうやって敷地内に入ったところで、それほど厳しく叱られたわけでもない。
彼女が私のことをそれほど憎く思っていないのははっきりしてるから、まあ、大丈夫か。
「さてと。私はどうするかな」
敷地内から出るとはいえ、ただ出るだけじゃ癪に障る。
寮に背を向けて歩き出しつつ、さっき見て来た防犯カメラの位置を思い出す。
映像が見られないので確認は出来ないけど、出来るだけカメラに映らない位置を探しながら戻ってみよう。
■■■
「一階にはお風呂や食堂、洗濯室に談話室、それから娯楽室…基本的には共同スペースが主になるわ。
二階からが個人部屋…とは言っても、三年生までは二人部屋。四年生からが一人部屋になるのよ」
「へえ〜」
うんうんと頷きながら、アリシアさんの後ろを付いて行く。
歩幅が違うから、最初は追い付くのが大変だったけれど、彼女の方が合わせてくれたので今は楽だ。
窓の向こうに見える中庭や壁に付いた傷を見ながら、彼女の説明に耳を傾ける。
寮生の人に会うと、楽しげに少しだけ話をする。
押しに弱いのか、あんまり会話が得意ではないのか、聞き手側に回ってしまうことがほとんどで長くなる時もあるけど、その時は謝ってくれるのでそれほど気にならなかった。
「お風呂と食堂は見たわね。
娯楽室はLBXのために強化ダンボールもあるのよ。
それは後回しでもいいかしら。次は談話室に案内するわ。暖炉もあって、冬はとても暖かいのよ」
「暖炉ですか…。珍しいですね」
おじさんの家も古いけど、暖炉はなかった。
でも紙類が溢れ返っている家なので、あればあったで注意しなければいけないから、なくて良かったとは思う。
「趣があって良いわよ。
灰の処理とかは大変だけど、大抵は一人ぐらい人がいるから、話し相手には困らないわ。
今日も誰かしらいると思うけれど……」
そう言いながら、アリシアさんが談話室を覗き込むと、何故か溜め息を吐いた。
背が違い過ぎるので、私が覗き込もうとしても覗き込めない。
「まったく…」
呆れたように彼女はそう呟いてから、部屋の中に入っていく。
少しだけ色素の薄い黒色の髪を眺めながら、私も後に続く。
暖色系の居心地の良さそうな部屋には、アリシアさんの話通り暖炉があり、ソファや椅子がいくつもある。
小さなガラステーブルもあって、ここにお茶やお菓子を置くんだろうなと思った。
猫足のガラステーブルはよくよく見ると、硝子のカットの仕方や装飾が可愛らしい。
女子寮と男子寮は造りはほとんど同じだと聞いたけれど、こういうところに女の子らしさを感じる。
それと……どこからか寝息が……。
「はあ…。ソフィアったら、みっともないわね」
呆れたような目をして、アリシアさんが溜め息を吐きながら、寝息のする方へと近づいていく。
私もその後ろを付いて行くと、大きなソファにだらしなく寝ている人が一人。
失敗した紅茶みたいな色の癖のある髪をした人。
「誰ですか?」
「この寮の副寮長よ。部屋で寝ればいいのに、いつもここで寝るのよ」
「副寮長ですか…」
呆れたらしいアリシアさんが違うソファからブランケットを取ってくると副寮長さんに掛けてあげる。
ふっくらとした指で優しく。
彼女を見る目も優しいようであり……。
私は、この人のこと好きだなと思った。
「本当のお母さんみたいですね」
「ええっ!?」
思わず呟くと、アリシアさんが驚いた声を上げる。
「ダメでしたか?」
「ダメじゃないけど、お母さんは…ちょっと……。
そこまで年じゃないわ」
「いやいや。
お母さんみたいじゃない。ねえ、アリシア?」
顔を引きつらせているアリシアさんの後ろから、副寮長さんが顔を出す。
髪の色と同じ紅茶色の瞳が、面白そうに私を見る。
彼女は人懐っこい笑みで私にひらひらと手を振った。
「起きたのね」
「起きるよー。あれだけ大きな声出されれば。
おはよう。アリシア」
「おはよう…。挨拶の前に、彼女に自己紹介してください。副寮長」
「あー。はいはい。
ソフィア・アッシュよ。えーっと……」
「雨宮ヨルです。よろしくお願いします」
「ヨルね。日本人かな。よろしく。
寮の見学? それともアリシアの妹か何か?
こんなに小さいと何かと大変でしょう?」
捲し立てるように言葉を続けられる。
リゼと同じものを感じなくはないけれど、彼女は人の話は最後まで聞く方だ。
この人は少し苦手かもしれない。
「ちょっとした知り合いです。気にしないで。
ヨル。次の所に行きましょう」
そう言って、アリシアさんは私を連れてここから出ようとする。
少し説教するような口調ではあるけれど、アリシアさんの言葉にはソフィアさんへの親しみが込められている。
ソフィアさんはそれほど嫌な顔をせず、仕方なさそうに笑った。
「いってらっしゃーい。
アリシア。終わったら勉強教えてよ」
「分かってるわよ」
また呆れたように言ってから、アリシアさんは談話室を出た。
性格を表すような明るい笑顔をして、私たちを見送ってくれる。
それに一礼してから私も談話室を出た。
「仲が良いんですね。副寮長さんと」
「中高大って一緒だからかしら。言葉は悪いけど、腐れ縁みたいなものね」
「勉強を教えて欲しいって言ってましたけど、同じ学部なんですか?」
階段を上りながら前を行くアリシアさんに訊く。
彼女は苦笑しながら答えてくれる。
「いいえ。違うわ。
私は法律。彼女は環境情報学…確か、都市のネットワーク回線とかだったかしら?
全然違うけど、必修とかはね。
文系は弱いから、ソフィアは」
「……大学生も大変なんですね」
「ええ。本当に。
寮は学校からも近いから、比較的楽と言えば楽だけど。
ええっと…二階からは寮生の部屋ね。基本的には上から下に、下級生から上級生っていう形になるわ。
寮長と副寮長の部屋、私とソフィアの部屋はこの階になるわね。
それから、各階には点呼の確認や連絡事項を伝達してくれるその階のリーダーみたいな人が一人ずつ配置されてるわ。
ああ、ここがソフィアの部屋ね。
ずっと向こうの反対の部屋が私の部屋」
質素な造りの扉の部屋。そして、それが何個も続いている。
その横には使い古したコルクボードに大量のメモが貼られていた。
少し見てみると、ほとんどが三ヶ月以上前の古い物だ。
「これは?」
「それは連絡用のボード。
ほとんどの部屋の横に付いてるわ。
相手が部屋にいない時はメモをそこに貼っておくのよ。
ソフィアはほとんど使ってないみたいだけど」
「あ、でも、このメモは新しい…」
三つ、新しいメモもある。
どちらも色が違う。ピンクと紫、それから他のメモに紛れるような白。
『火曜日の十九時に物理学を教えてください。 シャリオ』。
『金曜日の八時に電子工学を教えてください。 お願いします。 リコ』。
『次の会議について、後日また直接会いに来ます。』
「ソフィアは理系に強いから、そうやって教えてくれって人がいるのよ。
意外と人気者なのよ、彼女は。
気さくな性格でもあるしね。
もしかしたら、談話室で寝てたのも、その後なのかもしれないわ」
「へえ…」
ああいう人の方が頼りになるのかな。
それならば、アリシアさんが寮長なのが腑に落ちないけど。
そのことを訊いてみると、彼女は困ったような笑顔で答えてくれた。
「他でもないソフィアに推薦されたの。
私の方が向いてるって」
「……そうなんですか」
困ってはいるようだけど、頼りにされてそれなりに嬉しいのかな。
多分、そうだと思う。
まだこういうことに関して、私の精度は低いのでなんとも言えないけど。
防犯カメラの位置を確認しつつ、アリシアさんに寮の詳しい構造を訊く。
もしも入った時に防犯とか災害の時のために確認しておきたいと訊くと、納得したように教えてくれる。
「非常階段は一番奥の扉。それが各階にあるわ。
非常階段の外に防犯カメラがあるのよ。
分かれ道から女子寮までと非常階段の映像は、全部寮母さんの部屋で録画されてる。
いざとなったら、大学の警備室や警察に見せるのよ。
寮内にはプライバシーの関係でカメラは一階の廊下だけ」
「はあ…寮母さん一人で、ですか?」
「信頼できる人だから。それに警備の人を雇うと、お金がその分掛かるから。
汚い話だけど」
「いえ、お金は大切ですから」
それがなければ、やりたいことも出来ないから。
ユイの一件でそのことについては痛感している。
私は大丈夫ですよ、と小さく笑う。
非常階段の防犯カメラも見せてもらった。
門から先と同じ、最新型の防犯カメラ。
最新型の高いカメラ。
「なるほど……」
それから、上の階も案内してもらって、一階に下りてくる。
さっき見られなかった娯楽室を覗くと、寮生が何人かLBXバトルをしていた。
「アリシアさんもLBXを持ってるんですか?」
「ええ。ウォーリア―をね。バトルしてみる?」
「あ、え…と、今日はリゼも待たせてるので、また後で。必ず」
「そう。残念ね。じゃあ、あとは…寮母さんに会っておきましょうか」
寮母さんに会いたいと思っていたのでアリシアさんが先に言ってくれて良かった。
玄関のすぐ横、寮母さんの部屋…寮監室の前に立つと、アリシアさんが扉を小さく叩いた。
中から「はーい」という明るい声がして、良い人そうな顔をした女の人が顔を出す。
入って来た時も挨拶をした人だ。
「失礼します。マーガレットさん。
見学者に寮監室を見せてもいいですか?」
「いいわよ。どうぞどうぞ」
「失礼します」
声に呼ばれて、私も中に入る。
寮監室には玄関を見られるように小窓が付いていて、椅子とテーブル、ロッカーや色々があり、部屋の奥にはもう一つ扉があって、私の部屋みたいになっている。
あそこが寮母さんの部屋になるのだろう。
寮母さんに了解を取ってから、部屋の中を観察する。
寮母さんであるマーガレットさんとアリシアさんが会話している。
世間話みたいなので、とりあえずそっちはあまり考えない。
テーブルの上にはゴシップ誌にコーヒー、色とりどりの飴が入った瓶。
コーヒーに紛れて、独特の甘い匂いがする。
監視カメラの映像もいくつかのモニターに映っている。
寮母さんの影になっているけど、見えなくはない。
「…………そういうことか」
何回かに分けて、映像を確認する。
うん。やっぱり、そうだ。
これが解れば十分だ。
寮母さんと話しているアリシアさんに一声掛けて、寮監室を出る。
「あの…連絡先、交換していただいてもいいですか?」
「ええ。喜んで。
好きな時に連絡して。寮にも、またいらっしゃい」
玄関から出ようとしたところで、CCMを取り出して連絡先を交換しようとするけれど、そこにリゼからメールが入った。
とりあえずアリシアさんと連絡先を交換してから、メールを開く。
《行った!》
「?」
一言だけの短いメールだった。
不思議に思っていると、背後から玄関の扉の開く音がする。
続いて軽やかな足音が、鼻につく甘い匂いが。
そして、最後に声が。
「あらら〜? アリシア。
その子、だれ?」
………ものすごく久々に、この人は嫌いだなと思えるような人が目の前にいた。
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