03.ウサギの穴に落っこちた
ヨルは私の手からするりと彼女の手には大きすぎる本を二冊奪うと、それを持ったままCCMを開く。
大学寮を検索したようで、そのまま方向転換。
学内に入ることなく、CCM片手に先に進んでしまう。
本の重さにバランスが取れず、ふらふらとしながら。
「ちょっ、ちょっと待って!
待ってください! お願いします!」
「?」
いや、そんなどうして? みたいな顔をされても困るから。
私は大股で近づいて肩を掴むと、半回転させて私の方に向けさせる。
青い目が不思議そうに私を見上げている。
「ヨルが大学寮に行く必要はないと思う。
あのアパートはこの大学から近いし、寮なんてお金が掛かるだけで良いことないから!」
「集団生活では学ぶことはたくさんあるって、おじさん言ってたよ。
それに『淫乱』はあんまりいい言葉じゃないよね?
リゼがそんなこと言われてるのを黙っていることは、私には出来ない」
「と、友達でもないじゃない!」
勢いで言ってしまって、しまったと思った。
本当はそんなこと思ってないし、実は年下の友達なんじゃないかと思ってて、色々と隠していることを知られたくないとか…そんなことがぐるぐると頭を巡っていく。
何か言い訳を…いや、それだって手遅れかもしれないと思うけれど、ヨルはその言葉には無反応で、逆に笑顔でこう答えた。
「じゃあ、家族。
あの家にいる限りは、家族。
私は家族を守らなくちゃいけない。
理由はそれで十分だよね。
行こうよ。リゼ。
この大学寮、結構近いよ」
そして、私の手をやんわりと外して、大学寮の方向に歩いていく。
「十分って……え、と…あんな言葉、ヨルは知らなくてもいいから、行かなくてもいい!」
私が彼女の背中を追いながらそう言うけれど、ヨルは聞く耳を持たないのか、それとも聞いてはいるのに無視しているのか、立ち止まってはくれない。
歩幅は私の方があるのに、小さな体でするすると人の間を抜けていくので追いつくので精いっぱいだ。
「ヨル!
私の話、聞いてる!?」
「聞いてるよ。大丈夫。
それとも、リゼはこのまま噂が消えるまで、その私の知らなくていい言葉、言われ続けるの?
本当のことを知ってから聞く方が、よっぽど堪えられるんじゃないかな?」
「まだ一緒に過ごして、一週間!
そこまで関わって欲しくない。それに、私がそういうふうに言われる人間かもしれないっていう考えはないわけ?」
「おじさんの人を見る目は信用してる。
それに私と一緒に買い物に出た時に恋人同士のキスとか抱擁とか見て、顔が赤くなってたから、さっき言うようなことをリゼが出来るとは思わない。
夜遅くまで机で本とか論文読んでたり解析してたりするから、研究の方が大事なんだろうなって思う。
それから、これ」
ヨルは重そうに二冊の方の一冊を持ち上げる。
それは私がムカついていて考えなしで借りたLBXの本。
彼女はその表紙を撫でると、嬉しそうに言った。
「この本、家の本の中には無い本だけど、LBXの本だよね。
興味のないリゼが借りる必要はない。
それに夜中にこっそりLBXの本読んでるでしょ。リゼ」
「……し、知ってたの?」
「うん」
恥ずかしさで頭を抱えたくなった。
確かに私はLBXの本を密かに読んでいた。
一緒の家にいる以上、ヨルのことをもっと知りたかったし、寮みたいな軋轢は生みたくなかった。
いつもLBXのパーツをいじくっていたのは知っていたから、私は欲しいとは思わないけれど、基本的なことぐらいは知っておけば、話のタネにもなるしもっと親しくなれるかもしれない。
そんな考えが見透かされたみたいで、すごく恥ずかしくなった。
「よく見てらっしゃる……」
「家族だからね」
「へえ〜…」
その考えは結構危ないものに見えるのだけれど。
私は大きなため息を吐いてから、漸くヨルに追いついた。
重そうなので本を無理矢理奪って、鞄の中に突っ込む。
「大学寮、一緒に行く?」
「ここまで来て、行かないとは言えない。
……話すよ。私の知る限りのことはね。
さっきみたいに、調べられているみたいなのは癪だから」
下手をするとその年には見合わない知識を溜め込みかねない。
教育上よろしくない。
誠士郎さんからヨルのことを頼まれている訳だし。
……聞かれている時点でどうかと思うけど。
「私が停学してたのは知ってるよね?」
「もちろん」
「私が停学したのって、寮でちょっとした騒ぎを起こしたのが原因なんだ。
その騒ぎっていうのが、……まあ、簡単に言うと寮に男を連れ込んだっていう話」
「? 男の子は寮に入れちゃいけないの?」
「寮の談話室までなら問題なし。ここの大学の生徒に限るけど。
問題は寮の部屋に入れたってこと。
私…とシエラっていう同室の奴の部屋に男が入って、具体的に言うとシエラのベッドにいたんだけど……それを私が見つけて、寮長呼びに行った」
「それだけならの話なら、リゼは悪くないよね?」
「そうだね。でも、そうはいかなかった。
私が寮の部屋に寮長と戻ったら、何故か私が男を連れ込んでシエラを襲ったってことになってた。
シエラが半狂乱で私が呼び込んだって寮中に響く声で言うし、男も私に連れ込まれたって言うし、ほとんど私のせいってことになった。
私はその日の朝まで研究室に籠って、レポート仕上げてたから、出来るはずはないのに」
そう。私にはそんなことは出来ない。
でも、私は研究室で一人だったから証拠がなかった。
寮の裏口の防犯カメラにも私が連れ込んだっていう映像が映っていたと、寮長と寮母さんも証言した。
私はよく寮の門限は破るし、語気が強くなって時々寮生と喧嘩になったこともあり、それほど真面目な部類じゃなかった。
それが祟ったのか、元々鬱陶しがられていたのかもしれないけれど、私が悪いということになって退寮処分になった。
男の方は私が無理矢理連れ込んだということになって、それほど厳重な処罰は受けず。
シエラは寮生から同情されて守られた。
言ってしまえば、強姦未遂なわけで私は本来なら退学処分にもなったけれど、研究室の先輩や教授、……それから寮長のアリシアや副寮長が学校側に掛け合ってくれて停学処分で済んだのだ。
警察にも届けられずに済んだのだから、彼女たちには頭が上がらない。
「なるほど……。
それが本当なら、尚更リゼは男の子なんて連れ込まないよね」
「どうしてよ?」
「友達と一緒にいる部屋で…よくわからないけど、そういうことはしないと思う。
リゼは私の部屋に照明の明かりが入らないように、なるべく工夫してるのも知ってる。
自分の専門外のことも学ぼうとしてる。
友達思いって言っていいと思う。
そんなリゼが友達に迷惑になるような場所で、そんなことしないと私は思うな」
ヨルは笑顔でなんでもないことのように言った。
本当にこの子は人のことをよく見ている。
見過ぎているってぐらいに観察している。
シエラが友達かどうかというのは今となっては疑問が残るけれど、照明のことやLBXのことは恥ずかしいけど本当のことだから。
「……照明のことはヨルが開きっぱなしにしておくのが悪い」
「勝手に閉めればいいのに。
リゼ、了承取らないと私の部屋の扉、閉じないよね」
「………」
あ、これは勝てないかもしれない。
全部見透かされているようだ。
「…ちなみに、どうして部屋の扉を開けっ放しに? ヨルさん」
どうせだから、訊くタイミングがなかったことを今訊いておこう。
ヨルは私の質問に少し考え込んでから、これまた笑顔で答える。
「人の気配がするとなんとなく安心するんだよ。
昔、お母さんの寝息を聴きながら寝てたせいかな。その時の癖。
こっちに来て、どうしてか思い出した」
懐かしそうに、青い瞳を細めながら言った。
ヨルの口から家族の話が出るのは珍しい。
誠士郎さんもだけれど、二人はあまり自分自身の本当の家族の話はしない。
私もしないけれども、それは必要ないものだからで、大して面白くもない普通の親だからだ。
ちょっとお節介で、たまに叱られて、それでも私のことを信じてくれる両親。
何の変哲もない、そこらへんの家を覗けば普通にありそうな家族。
……事実がわかったら、両親にも本当のことを教えた方がいいんだろうか。
「たまには実家に帰るか…」
研究に打ち込み過ぎて、連絡もしてないけど。
「……リゼの家はここから遠いの?」
「遠いよ。結構田舎の方。リニアも地下鉄もなし。
店の数も少なくて、家の土地ばっかり馬鹿でかい。
少し遠出すれば、それなりに大きな街には出るけどね。
遊び場探しと追いかけっこには困らなかったけど」
「そっか。
良いな。懐かしそうに話せて。
私は自分の家のことを話そうと思うと、ちょっと切なくなるから」
「どういうこと?」
「どうでもいいことだよ。
実家、帰った方がいいよね」
自分の家が日本にあるからか、彼女は「いいなあ」と言いながら歩き続ける。
何かを隠していることは明白で、それが家族のことのような気がするのは気のせいじゃないと私は思った。
私は彼女に一方的に探りを入れられているような気がするから、本当なら私だってどうにか聞いてみたい気持ちがないわけじゃない。
ないわけじゃないけれど、家族の話じゃなくても問題ないか。
日本の友達のこととかこの前の手紙の相手とか、そういうものにしておこう。
あまり時間が経たないうちに、寮への門が姿を現す。
年季の入ったその門を潜るのは一週間ぶりで、もう潜ることはないと思っていたのに。
「あーあ。来ちゃったよ…」
必然的に陰鬱な気持ちになりつつも、私はヨルに続いてその門を潜った。
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