Girl´s HOLIC!

43.孤独の海

寂しげな微笑みに、暗い感情が揺蕩う瞳。
その中にはどこか苦しそうな表情をした自分の姿が見えて、目を逸らしたくなった。

「………だから、僕をイギリスに呼んだのか?
アリシア・ホワイトを倒させるために……何より、君自身を止めるためにか?」

「うん。そうだね。
誰も他人にはなれない。それが分かっても、自分を止められなかったから。
それにアリシアさんが通り魔事件の犯人だったのは、私も予想外だったから……。
見限ったけれど、でも、どうしてもあの人を糾弾出来なくて……リゼを裏切ることも出来なくて、雁字搦めに動けなくなった。
だから、ジンを呼ぼうと思ったんだ。
ただ……あまり直接的に呼ぶわけにはいかなかったから……」

だから、「大丈夫」という言葉があの手紙の中にはあったのか。

僕はヨルのその言葉を信用していないかと知っているから、そう書いたのだろう。
僕はそれにまんまと乗せられ、ここにいるというわけだ。

「面倒なことさせて、ごめん。ジン」

水のように澄んだ声でヨルは謝った。

「……僕に謝るべきではないだろう」

「うん。そうだね。
リゼにも、アリシアさんにも、シエラさんにも、ソフィアさんにも、謝らなければいけないね。
どう説明したら、納得してくれるだろう……」

そう言って、ヨルは苦しげに空を仰ぐ。
呼吸の音はほんの少しだけ深くなり、どこか辛そうだ。
きっと酸素が薄くなったかのように、息苦しいに違いない。

柔らかな陽射しは見上げると多少なり眩しいはずなのに、彼女は目を細めようとはしない。
海の色をした青い瞳は木漏れ日を受け、万華鏡を覗くかのように輝く。
暗い感情が絶え間なく溢れてくる青色は、それでも美しかった。

その瞳を少しだけ動かして、彼女は僕を見上げる。

そして、ぎこちなく、やはり寂しげに僕に笑いかけた。

ヨルの寂しげな微笑みは今にも泣きそうにも見えたが、その瞳にあの透明な水の気配はない。

いっそ泣いてくれればいいのに、と僕は思ってしまう。
なりふり構わず、叫んでくれれば……と。

そうすれば、僕はヨルに正しいことを言えるかもしれない。
彼女が間違っていると言えるかもしれない。

言ってはいけないと分かっていながら、彼女の心の一番深く柔らかい場所に踏み込み、間違っている全てのことを、彼女が気づいていることも気づいていないことも、全て残らず言えれば……。

そうすれば、それが出来てしまえれば、ヨルはもう家族のことでこんなふうになることはないのだろうか。

家族はヨルの全てだった。

その全てを簡単に手放すことは出来ないと分かっていても、そう思わずにはいられない。

「ヨル。君は……」

「ん?」

不気味なほどに幼い動作でヨルは首を傾げる。

ぞくりと背筋に悪寒が走るのを感じながらも、僕は渇いた喉に引っ掛かった言葉をどうにかして吐き出す。

「君はこんなことをするべきじゃなかったんだ……。
理解しようとすることは悪いことではない。
でも、君は母親の……家族のことを、あれ以上理解するべきではなかった。
あれ以上知ったところで、ただ君が不幸になるだけだ。
それに、君が言ったように君の家族は、もう亡くなっているんだから……」

理解したところで、それを伝えるべき人はいない。
いや、本来理解するべきなのはヨルではなく、彼女の両親や姉の方であるべきではなかったのか。

もうどうしようもない考えが頭の中を駆け巡る。

何をしても、どう考えても、ヨルの行動はほとんど無意味でその先には何もない。
彼女が見つけなければいけない答えはまだあるというのに、それはとても残酷なことのように思えてならない。

答えは自分で見つけなければいけないと言ったのは、僕だ。

でもその先に何の答えもなかったら、ヨルは……その時はどうなってしまうのだろうか。

「………そうだね。
お母さんもお父さんも、お姉ちゃんも、私を残して死んじゃった。
理解しても、この先はない。
私の自己満足で、でも本物の家族に答えを訊きたいと思ってる。
…………それは、もうどうやっても出来ないことだけれど」

ヨルは暗い声でそう言うと、ぐっと伸びをする。
そして、全てを振り払うように立ち上がる。

長い亜麻色の髪は揺れ、木漏れ日を受けて金色に輝く。

白い手で日除けを作りながら、彼女は青い瞳で太陽を眩しそうに見上げた。
その動作はどこか偽物染みていて、眩しいふりをしているだけのように見える。

小さな、心許ない背中を目で追う。

その背中に手を伸ばしかけて、大した距離ではないのに限りなく遠いような錯覚に陥る。
伸ばしかけた手を僕は静かに元に戻した。

「………先に死んだ人は、ずるいね」

硝子の鈴を転がしたかのような声は、どんなに聞きたくなくても僕の内側へと入り込む。

ヨルは少しだけ僕の方を振り向き、笑ってみせた。

「一度死んで生き返った私はもっとずるいのかもしれないけれど、でも、憎くて仕方がないよ。私は」

薄く微笑みながら、ヨルはそう呟いた。
やっとと言うように呼吸をし、どろりと濁った色をした深い青色の瞳を揺らす。

「ずっとずっと大好きで、愛してて、大嫌いで憎んでて、どうしようもなくなっていくのに、そんなことは死んでしまえば考えなくて済むんだよね。
それって、すごくずるいなあ」

「………っ」

ヨルの言葉に冷たい水を頭から浴びせられたように、全身が冷たくなっていく。
同時に腹の底から、黒々とした烈しい感情がせり上がってくるのを感じた。

「まだ、死にたいのか…」

自分でも驚く程に冷たい声が出た。

そこにはヨルに対する怒りや悲しみが混ざり合い、自分でもどんな感情を彼女に向けているのか分からない。
自分で醜いと分かっていながら、その感情が声に出るのを止められなかった。

脳裏に彼女が死のうとするのを無理矢理止めた時、必死で縋る小さな手や零れ落ちた赤い雫が鮮明に蘇る。
腕の痛みも、生温い血の温かさも、錯覚だけれど本物だ。

正しいと信じて、僕は彼女を助けた。
あの時、僕がしたことは間違っていたのだろうか。

「ううん。死にたくない」

ヨルはきっぱりと僕の言葉を否定し、僕の行動を肯定した。

それは確かな意志の籠った言葉であり、久しく聞いていなかった凛とした涼やかな声だった。
その裏にどんな感情があったとしても、その言葉だけは確かだ。

「辛いけど、苦しいけど、死にたくはないよ。
……それに、死ぬんだったら、」

そこで、ヨルは言葉を止める。

僕は続く言葉を待ったけれど、彼女は静かに呼吸の音を繰り返すだけで、その後に言葉を続けようとはしなかった。

「ごめんなさい。
この先の言葉は言いたくない、かな」

「……そうか」

苦しそうにそう言われてしまえば、僕は何も言うことが出来ない。

ヨルは「ありがとう」と小さく呟いて、しっかりと僕の方を向いた。
翻る亜麻色の髪は未だ不揃いで、そのことに気づいて、心が何か言いようのないもので満ちていく。
それは決して心地良い感覚などではなく、不安や焦りが鬱々とその上に積み重なっていくのが分かる嫌な感覚だった。

「ジン。
私を止めてくれて、ありがとう。
それから、面倒事に巻き込んで、本当にごめんなさい。
嫌な思いをさせたね」

柔らかな木漏れ日を受けながら、ヨルは同じように柔らかな笑みをして言った。
そして、静かに頭を下げる。

嘘を言っているかのような作り物めいた言葉は、重く僕にのしかかる。
その中に、僕の名前を呼ぶ声だけは涼やかで優しさが溶けているのが分かって、少しだけ心が軽くなったような気がした。

僕が彼女に声を掛けられずにいると、ヨル自身も僕の言葉を求めてなどいなかったのだろう。

寂しげな瞳の色はそのままに、顔を上げる。

その瞳で見つめられるのが、どうしようもなく苦しかった。

「もう一つだけ、訊かせてくれ」

僕は視線を少しだけ俯かせながら、そうヨルに言った。

風で木々が揺れ、ヨルの髪や瞳に差していた木漏れ日も揺れる。
ゆらゆらと光と影が入れ替わり、彼女の持っている色たちが光を変える。

淡く揺れるそれは美しかったけれど、木漏れ日を受ける彼女はとても寂しく孤独なように見えて、何故か胸を締め付けられた。

その姿に思わず手を伸ばして彼女に触れたいような衝動に襲われる。

しかし、僕とヨルには絶望的なまでの距離があり、手を伸ばすよりも先にそのことを思い知る。

「うん。いいよ。
何かな?」

「君が今回やったことは、これで全てなのか?」

僕の問い掛けに、ヨルは少しだけ目を丸くしてから、ふっとどこか不敵に笑う。
それは僕よりも年上の姉のような、母親のような不思議な笑みだった。

「うん。
これで全てだよ。
ジンは言わなかったけれど、気づいているかな?
一度風邪ってことにして日本に帰って、お父さんの遺品を集めたんだ、私。
そのことも含めて、これ以上のことを私はしていないし、する気もない」

最後の言葉は酷く冷淡で、悲しみに溢れている。

僕はその真意を問いただすべきかと思ったが、ヨルの言葉に嘘も偽りもないことは分かる。

「それに嘘はないな?」

それでも、確認せずにはいられなかった。

「ないよ。
もう『こんなこと』も、しない。
もしもするんだとしたら、今度は……そういうことを止められるようになっていると、いいな」

「…………」

その言葉にも嘘はないと、僕は思った。

いや、そもそも「こんなこと」とヨルが言ったということは、少なくとも今回のようなことを彼女がもうする必要はもうないのだろう。
する必要性がない。

彼女のしたことに対する答えは、もう得たはずだからだ。

彼女は僕に深く青い、孤独な深海の色をした眼差しを向ける。
それは僕の心の奥底を見透かされているような眼差しだった。

僕もヨルも決して独りではないはずなのに、何故こんなにも孤独なんだろうか。

絶望的なまでに遠い距離があるのだろうか。

僕はヨルの幸せを願ったはずなのに、そうなるべき人が目の前にいるというのに、どうしてそれが手に入らないのか。

自然と視線が下がる。

気持ちが沈んでいるからか、視界は仄暗くなり、僕の見つめるヨルの色がくすんで見える。

金に輝くように見える亜麻色も、陽に透かした硝子細工のような青色の瞳も、透明な白い肌も、全てが影の中にあるように錯覚する。

僕はその時、初めてヨルの見ているものを同じように見たような気がした。

あまりにも鈍く仄暗い視界は理解するには辛すぎる。


そして、その視界の先でヨルが当たり前のように微笑んでいられることが、何よりも苦しかった。



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