41.終わりの、その続き
前にジンと来た公園に、またジンと二人で歩いている。
あの時と違って、私はジンの手を握ってはいないし、彼も呆然とはしていない。
しっかりとした足取りで、どちらも公園に敷かれたレンガ道を歩く。
事件の後、何日か首に残った痕が消えなくて外に出られなかったから、柔らかな木漏れ日や爽やかなそよ風がなんだか懐かしい。
深呼吸をすると、肺が若い木や花の香りで満たされる。
首に付いた痕がないおかげか、息を吸うのがとても楽だった。
「……首の痕は、消えたんだな」
背後からジンがそう呟いた。
私はそれに大きく頷いて、彼の方に振り向く。
陽射しを受けて、ゆるりと光る紅い瞳と目が合った。
「うん。思ったよりも長く残ってたから、少し心配した。
消えて良かったよ」
「……ああ。そうだな」
私の言葉にジンは優しげな瞳をする。
出掛けないか、と誘ってくれたのはジンだった。
彼の方からそう誘われるのはとても珍しいことで、思わず目を丸くしてしまったことを思い出す。
もしかしたら、彼なりの気遣いで、快気祝いというものなのかもしれない。
私はそっと自分の首に手を伸ばす。
痕があった場所をなぞっても痛くない。
滑らかな肌の感触がするだけで、他には何もなかった。
私は特に当てもなくジンの先を歩きながら、事の顛末を思い出す。
通り魔事件はアリシアさんが逮捕されたことで終わりを告げた。
寮生から何人もドラッグの使用や所持で逮捕者が出て、入院していたシエラさんも脅迫罪やその他の罪で逮捕されてしまった。
寮の方は閉鎖ということになり、今後については大学と警察で話し合っている最中だという。
元寮生であるリゼはアリシアさんを殴った手の骨に少しひびが入った以外は、思ったよりも元気そうだ。
この前は研究室の先輩に飲み会に誘われて楽しそうに帰って来たし、LBXの雑誌を開いて、私にオリジナルのLBXを作りたい! と言ってきた。
さすがに初心者にオリジナルは難しいと思うから、「初めは既存のLBXの方が良いと思う」とは言ったけれど、彼女には彼女なりのこだわりがあるようで、本当にLBXで遊べる日は遠そうだなと思ってしまう。
そこまで思い出して、首から手を離す。
目の前のジンは私の動作をどこか悲しげな目をして追っていた。
「えっと……この先のベンチで休もうか?
それとも、もう少し歩く?」
「いや、少し休もう。
それに、君と少し……ゆっくり話がしたい」
ジンは俯きがちにそう言った。
別に歩いていても話せるとは思ったけれど、彼の声や瞳は真剣で、私はこくりと小さく頷く。
私の方が少しだけ彼の前を歩き、先にベンチの方に辿り着いた。
ベンチは等間隔でいくつか並んでいて、左右のベンチに人はいない。
その代わりではないけれど、公園に敷かれた芝生の上では子供たちが楽しそうに遊んでいる。
小さな手でLBXを触る姿はとても微笑ましい。
その中に姉妹らしき二人がいて、上の子がめそめそ泣いている子を引っ張って走る姿に胸の奥を針で突かれるような懐かしさが込み上げてくる。
羨ましいという気持ちと息苦しさも。
でも、体が言うことを聞かなくなるようなぐらりとした感覚は無くて、多少は慣れたのかなと思った。
それを寂しく思う私も確かにいるのだけれど、その姿がどんどんと薄くなっていく気がしてならない。
それが心細くて仕方がない。
心細さが消えるように、頭を振って芝生の上を歩く。
木で出来たベンチには柔らかな木漏れ日が降り注いでいて、座ると陽の当たった部分がじんわりと温かくなる。
私の右隣に少し間を空けて、ジンが腰掛けた。
木漏れ日を受けて、紅い瞳が光り、肌は白く透けるように見える。
見上げていると、胸が締め上げられるような不思議な感覚が微かに込み上げてきた。
「明日……」
ジンがぽつりと呟く。
私はその低いしっかりとした声に耳を傾けた。
「明日、A国に戻ろうと思う」
「………そう」
ジンの言葉に私は小さく頷いた。
突然だったけれど、彼が戻ると決めたのなら、私が何か言えるはずもない。
「そっか。
ちょっと寂しいね」
私はそう言って、苦笑する。
ジンは私を見つめて、何故か視線を俯かせた。
そして、意を決したように口を開く。
「戻る前に、君に訊きたいことがあるんだ」
「え、と…うん。何かな?」
私が少し首を傾げながら訊くと、彼は苦しそうに私を見ていた。
辛そうに紅い瞳が揺れている。
揺れる瞳の奥には私とは違う種類の暗い感情が潜んでいて、彼は何を考えているのだろうかと思う。
私に対しての感情なのか、自分に対しての感情なのか。
私に対してなのだとしたら、そんな必要はないんだよと言ってしまいそうになって、それをどうにか抑えた。
その言葉を言えば、彼が余計に悲しんでしまうかもしれない。
「通り魔事件のあのLBXだが、ヨル、君ならば僕よりも先に倒せたはずだ。
どうして僕に倒させたんだ。ヨル」
苦しげな表情で、絞り出すようにジンは言った。
「アリシア・ホワイトは確かに強かった。
しかし、あの強さでは精々『アルテミス』で一回か二回勝てる程度だろう。
被害が大きくなったのは、相手の警戒心の無さと暗がりからの不意打ちがあったからだ。
アリシア・ホワイトがそのことを考えていたかはともかく、LBXが人を傷つけられるものだと分かっていても、多くの人がその力のことを忘れている。
そこを上手く突いたがゆえに被害は拡大した」
淀みない声でジンは言う。
風が吹き、さらさらと彼の髪が靡く。
木漏れ日も揺れて、輝きが少しだけ眩しい。
「何故、君は彼女を倒せなかったんだ?
君ならば、アリシア・ホワイトを倒せたはずだ」
「……それは買い被りすぎだよ。
私は強くないし……子供の方がLBXの才能があるとはいうけど、私は弱いから」
「いいや、君は十分強い。
君は……君本来の力で十分に強いんだ。ヨル」
ジンは真剣な瞳でそう言ってくれる。
それは嬉しいけれど、今この状況で言われては素直に喜ぶことは出来ない。
ぐっと身構え、私は彼をまっすぐに見つめ返す。
「『アルテミス』で僕と互角に戦った。
電脳空間とはいえ、オーディーンとフェンリルと互角以上の戦いをしたと聞いている。
『アキハバラキングダム』で君が最後に自分の武器で貫かれなければ、僕は負けていただろう。
背後からとはいえ、神谷コウスケに一撃を加えていた。
何より……君はゼノンをまるで僕がするかのように扱っていた。
あれは急ごしらえで出来るものでもなければ、並みの努力では到底無理だ。
相手の動きを行うよりも先に自分の動きが出てしまう。
………本来はそれが正しいのだろうけれど……」
ジンは寂しげに瞳を揺らし、その瞳で私を見つめた。
感情が揺蕩う瞳が、その眼差しが胸を抉られるように痛い。
心の奥底に清らかな水を注がれ、澄んでいくのが分かる。
澄んでいくけれど、しんとして穏やかに澄んでいくのではなく、無理矢理黒いものを吐き出され、その代わりに澄んでいくのだ。
望んでいないのに、望んでしまう言葉が口から出掛ける。
出すなと言い聞かせ、吐き気と一緒に飲み込んだ。
彼の言いたいことは、分かる。
だって、私のしていることは本来もっと粗が出るものなのだから。
彼の言うように、完璧に出来てはいけないのだ。
私にはそれしか出来ない。
それすら才能ではなくて、必死に相手を思い出し、観察した……その結果でしかない。
「でも、電脳空間では不正行為をしたし、神谷コウスケは不意打ち……。
彼だって油断してたんだから、私だって油断ぐらいするよ。
そもそも、倒さない理由なんて、」
「理由ならある」
私の言葉を遮って、ジンは重く言葉を吐き出す。
声を荒げているわけではないのに、責められていると錯覚してしまう。
「君は自分から話していたじゃないか。
アリシア・ホワイトの目は君の母親に似ていると。
そして、こうも言ったな。
『お父さんの気持ちが分かる』と。
ヨル。
君にとって、この言葉は何を意味している?
……君がこれまでやって来たことを鑑みれば、その答えには……容易ではないが、辿り着くことは出来る」
ジンは私から目を逸らさない。
紅い瞳の中に私の青い瞳が見えた。
「君がやってきたことは、ユイを蘇らせることだ。
それを君は人工知能として蘇らせようとした。
………結局、彼女は本物の鳥海ユイには成り得なかったが。
僕はそこで君は誰かを蘇らせることは諦めたんだと、ずっと思っていた」
「………諦めたよ。
あの時、私はユイとお別れをした。
人工知能では、その人物を本物としてこの世に蘇らせることは出来ない」
「……そうだな。
そして、誰かがその人物を真似するだけでは、本物には成り得ない。
それは君自身が一番解っていることだ」
そうだ。私が一番解っている。
だから……
「ヨル」
私の…たった一つの私の名前を呼ばれる。
「雨宮ヨル」が私の持っている全てだ。
私はそれ以外にはなれない。
でも、もしも、それが私だから出来ないのだとしたら……だったら、やってみる価値があると思った。
だって、他の誰も、こんな馬鹿げたことを試したことなどないのだろうから。
「君は……君がされてきたことと同じことをしたんだな。雨宮ヨル」
酷く寂しげな声で、ジンは銀色に輝く針を、私の心臓に突き刺した。
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