Girl´s HOLIC!

39.沈む

私の手の中にあるCCMが奪われて、床に叩きつけられて、踏みつぶされ、再生不可能なんじゃないかと思えるほどに砕けたのが見えた。
白い破片が、カーペットの上に広がるのも見える。

それから、息が出来なくなる。

私の首に私とは違う熱を感じて、気づいた時には視界は涙で滲んでいた。
悲しいのではなくて、生理的な涙で。

でも、私は首を掴んでいる手を外そうとは思わなかった。

首が絞められるのが好きではなかったけれど、苦しかったけど、仕方がないかなって。


■■■


ヨルの目の縁からぽろぽろと涙が零れ落ちる。
ヒゥーヒューというか細い呼吸の音がして、首を絞める手に力を込めると、その音が詰まって、段々と弱くなっていく。

自分の手の中で、命が失われていくのはこんな感じなのねと、他人事のように思った。

親しいからという躊躇は段々と無くなっていって、むしろそれが私の背中を押してくれるような気がした。
手から伝わる熱が生々しい。
指が喰い込む肉の感触は思った以上にすべすべとしていて、若いっていいな思ってしまう。

生々しさに引きずられるようにして、感情の波が押し寄せて来て、ふっと冷静になる瞬間があるのが不思議だった。

腕は最初からだらりと垂れ下がっていて、その表情は驚くほど冷めている。
首を絞められることに対して興味もないのか、むしろ諦めたように私を見ている。

青い瞳は純粋な色をしていて、渇いていて、とても…そう、とても怖い。

会話が録音されているのを予想していなかった私が今の状況を作り出したのだけれど、首を締めながら、短絡的過ぎたと密かに反省する。

だって、仕方がないじゃない。

平気なふりはしていたつもりだけど、私のLBXが倒されてからいっぱいいっぱいだったんだから。
「一人ぐらい殺しておけば良かった」って自分で言ったんだし、良いかもしれない。
それに、もう手を緩めることが出来ない。
緊張からなのか、固まって、首を絞めた体勢のままで動けない。

ヨルが残り少なくなった肺の中の空気を吐き出すように、咳き込み始める。
口の端から透明な唾液が零れて、それが私の手の甲を伝う。
生温かくて、少し粘着質なそれは他人の物だからか、とても気持ちの悪いものに思えた。
後で洗わなくちゃいけないわね。

もうそろそろかなともっと強く力を込めて、首を絞める。
冷静だけど、ソフィアへの終わらない憎悪とか苛立ちとか、自分への怒りとか、そういうものを混ぜこぜにすると案外簡単に力を込めることが出来た。

なんだ、人を殺すのって、思ったよりも簡単だわ。

こんなことなら、あの辛い時期にソフィアを殺しておくべきだったかしら。

時間を掛ければ、人間って殺せるんだ。
創作の世界は案外嘘つきではないらしい。
ただやっぱり時間が掛かるから、今度があったら、この方法は取らないようにしましょう。

私に殺される憐れなヨルは苦しげな表情をしながら、こちらを見上げている。

私が出会ったことのない空っぽの青い瞳。

私はこんな目をしたことない。
いつか見た鏡の中の自分の虚ろな目が子供みたいで、なんだか馬鹿にされているような気がしてくる。

最後だと思って、更に首を絞めると微かな呻き声がして、それから……

ごしゃりと耳に悪い肉と骨から歪な音が聞こえてきた。


■■■


「痛ったあ!?」

人を殴ると痛いということを私はこの時、初めて知った。
殴った罪悪感よりも先に痛いという感覚の方が来て、思わず顔をしかめてしまう。

骨までやったんじゃないかという程に痛い。
これなら普通に肩を掴んで、引き剥がした方が被害が少なかったかもしれない。

「ヨル! 大丈夫!?」

首を絞められて、大丈夫も何もないだろうとは思ったけれど、そう確認するしかない。
ヨルはげほっと何回も咳き込んで、細く長く深呼吸をしてから、カーペットから体を起こす。

「……うん。生きてる」

静かな声で彼女はそう言った。

その白い首には赤く手の痕がしっかりと付いていて、痛々しい。

でも、生きているなら良かった。
正直ヨルが首を絞められるのをCCMで見た時は、心臓が止まるかと思った。
急いで来たけど、間に合わないかと思った。

アリシアを殴った拳がひりひりと痛むのを抑えつつ、彼女を見据える。

彼女は殴られた頬を押さえて、私を睨み付けていた。

「………リゼっ!!」

「どうも。アリシア。
ヨルがお世話になったね。ついでに私も世話になったようで。
さすがに驚いてるよ」

私がそう言うと、アリシアがギリッと奥歯を噛む音が聞こえてきた。
私が殴った彼女の頬は赤く腫れてはいたけれど、今日ばかりは罪悪感は湧いてこない。

ヨルがふらふらと立ち上がろうとするのを横目で確認しつつ、アリシアを睨み付ける。

「……どうしてっ」

「どうして、入って来れたかだったら、シエラが使った抜け道を通って来た。
あれなら非常階段を使っても、防犯カメラにも映らないから。
そう驚くことでもないはずだけどね、アリシア。
ヨルが一人でここに来るって言った時はさすがに焦ったけど……」

まあ、部屋に入って早々にアリシアを殴ったんだから、冷静なヨルが行ったのは正しかったのかもしれない。

アリシアは私を睨み付けながら、口を開く。

「最初からこうするつもりだったのね。誤算だわ。
褒めてあげるわよ、リゼ。
やっぱり、貴女は邪魔だったわ」

「それはどうも」

思ったよりも冷静な自分に感心しつつ、アリシアの方が嫌に冷静なのが気になる。
この状況は彼女にとって明らかに不利なはずだし、もっと言えばもうすっかりお馴染みになってしまった警察にも既に連絡済みだ。

無言のまま睨み合い、よくよくカーペットの上を観察すると、白い破片が無数に広がっているのが見えた。
バラバラになったCCMの基盤のような物も見える。
アリシアはそれを見つめて、にたりと笑っているのだから、不気味でしょうがない。

私が今まで会っていたアリシアはどこに行ったのか。
いや、これが素か。
今になって、彼女の仮面は剥がれ、その本当の性格ややって来たことが露呈しているだけなのだ。
油断しているとも言うのかもしれない。

ずっと前からの知り合いという訳ではないけれど、見抜けなかった自分が恥ずかしくなる。

そんな私の後ろで、ヨルが漸く立ち上がる。

「………余裕ですね」

首を絞められたのを気にしていないように、とても静かな…何もなかったかのような声でヨルはアリシアに向かって呟いた。

「ええ、余裕よ。
さっき言ったじゃない。
この部屋に証拠はないもの。
全部、アリシアの部屋にあったんだもの。
警察には白をきり通せるわ」

「…………」

アリシアが高笑いするようにそう言うと、何度も聞いたパトカーのサイレンの音が聞こえ始める。
優秀だか優秀じゃないんだか、よく分からない彼らに複雑な思いを抱きながら、私はアリシアはやっぱりこの状況に油断しているんだなと思った。

ヨルに言われるまで、私は気づけなかった。

ボロなんて碌に出さなかったのに、きっと細心の注意を払っていたはずなのに。

今はヨルを殺そうとしたせいでハイになっているのか、彼女は勝利を確信したようににやにやと笑っている。

そんなアリシアを見つめながら、ヨルが背後の廊下から響いてくる音に耳を澄ませて、それからポケットの中に手を伸ばす。

「アリシアさん」

本当に落ち着いた、冷たい声でアリシアの名前を呼び、彼女はその手の中のものを当初の予想通り、彼女に見せた。

そこにあったのは、白いCCM。
エメラルド色の装飾が輝き、セピア色の淡い光が当たり、随分古ぼけて見えてしまう。

「………CCM?」

アリシアが訝しげに言ってから、やっと事実に気づいたらしい。
ハイになっていると本当に何も気づかないのか、こちらとしては有り難かったけれど、傍から見ると実に間抜けだ。

ヨルはまっすぐに澄んだ瞳をアリシアに向けながら、微笑む。

「気づきませんでしたか?
さっきのは私のお父さんのCCMです。
こっちが本当の私のCCMです。
録音に予備がないなんて、一言も言ってませんよね?
最後まで、冷静さを忘れてはいけませんよ。アリシアさん」

不敵な笑みでヨルがそう言うと、アリシアは全てを悟ったらしい。
廊下からはたくさんの足音が聞こえ出し、この状況は諦めるしかないだろう。

今度こそ本当にアリシアが絶望したような顔をして、膝から崩れ落ちた。

それを確認してから、私は深く安堵の溜め息を吐く。
ヨルは自分の首に付いた赤い痕を指先でなぞりながら、崩れ落ちたアリシアを見つめていた。

静かな、本当に静かな深い海のような瞳は何を思っているのか、さっぱり分からない。

ヨルの考えたことは分からないけれど、とにかく終わったんだから、良いかと思ってしまう。

そうなると、一気に取り留めもないことが湧き出て来て、その中の一つは……

「私もLBX、やるか」

そんなどうでもいい、とても平和な考えだった。



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