Girl´s HOLIC!

34.Drop Nightmare


吐く息が白い。

視界のほとんどは灰色で、普段の倍は視界が悪い。

肌に張り付く髪を鬱陶しく思いながらも、それを払いのける時間も惜しくて、路地の一つ一つに目を通して、そこにシエラさんがいないかを確認する。

直感でここに来たけれど、いるだろうか。
不安に思っても、捜すしかない。
通話口の向こうからは雨の音がした。
走っていた……多分逃げていただろうから、寮の方ではないと考えられる。
寮の近くなら、寮に逃げ込めばいいんだから。

追いかけているのは、どっちだろう。

でも、あの人ではない気がする。

そう思って、何本目かの路地を覗いた時にそこから微かに赤色をした水が流れてくるのが見えた。
排水溝に飲み込まれていくそれは少しずつ、でも継続的に流れて来ている。

「…………」

白い息を吐き、肩を上下させ、目を凝らしながら、私はその路地を進んで行く。
灰色というよりも黒く染まった路地を進み、聴こえてくる音に耳を澄ませる。

前の音が消えるよりも先に聞こえてくる雨音、怒り狂ったようにうねって排水溝に飲み込まれる水の音、パシャンという自分の軽い足音。

それに私の呼吸の音が重なって、違う生き物がそこにいるみたいだ。

「…………」

赤い水は私の足元で揺れ、後方に流れていく。
その先、路地の行き止まりに目を凝らすと、雨に濡れた綺麗な足が見えた。

次に胴体が、腕が、首が、頭が、雨水に揺れる茶色の髪が。
そして、その体に向けられた銀色の輝きが。

倒れたその人は服が破けて、曝け出された腕から、真っ赤な血をぽたり、ぽたりと流している。

その姿には見覚えがある。
シエラさんだ。

私は彼女に駆け寄って、片膝を付いた。

か細い呼吸を繰り返し、小さく胸を上下させている。
腕は怪我をしているけれど、少し深く切っただけで命に関わるようなものではなさそうに見える。
驚いて、気絶したのかもしれない。

私はすうっと目を細めて、私たちの目の前で銀色のナイフを持った、ソフィア・アッシュを見据える。

「………っ!」

彼女は私を見ると、びくりと肩を大きく震わせた。
ナイフを持っていた手も震え、紅茶色の目を恐怖に歪めて、酷く弱々しい。

でも、その手に持っているものは、とても凶悪だ。

今はティンカー・ベルもCCMも持ってはいるけれど、この距離だと私が刺される方が早い。

気絶したままのシエラさんを片手で庇うようにしながら、彼女を見上げる。

「…………何よ…」

いつもの強気な声はどうしたのか、震えた、怯えているような声だった。
そして、その中にどうしようもない怒りがあるように思える。
肩が大きく上下し、荒い息を吐きながら、彼女は言い訳のように呟き始める。

「……最初に、脅してきたのはそっちなんだから」

「………だからと言って、追いつめて、傷つけていい理由にはならないと思います」

なるべく静かに私は言った。
私の言っていることは、ソフィアさんにとっては詭弁だろう。
分かっているけれど、この場で言うべきことはそういうものだと思ったから。

心が急激に冷めていくような気がする。

冷静になっていくのではなくて、ひたすらに冷めていく。

「………じゃあ、やってもいないことで脅されて、ずっとそいつの餌になり続けろって?
それって、ただの地獄じゃない!」

雨音を切り裂くように、彼女が叫ぶ。
銀色のナイフを揺らしていた震えは段々と消えて、ナイフが握り直される。

「私は! クスリなんて売ってないし……、通り魔事件も! 最後の以外は私じゃない!」

「………やはり、貴女が私たちを襲ったんですか」

ソフィアさんが今度は怒りで震え出す。
ナイフの柄を握っている手は圧迫しすぎて白くなり、頬を伝う雨は涙を流しているように見える。

彼女は私の言葉に一瞬だけ怯んだけれど、次の瞬間には激しい憎悪を私に向けていた。

それを冷めた心で見つめている私がいる。

「最初にけしかけたのはヨルの方だったじゃない!
なんで、通り魔事件を解決しようとしたの!!
そんなこと、しなくても良かったのに……っ!
あの犯人は、私の代わりに、悪い奴を平等に裁いてた!
正義の行いをしたのに、どうして捕まえられなくちゃいけないんだっ!!」

「…………」

通り魔事件の犯人に熱っぽい感情を向けていたのは、そういうことか。

私は漸く理解する。
この人は警察のような一般的な物ではなくて、少し自尊心の強い、子供の想像にも似た正義感を持った人なんだな、と。
いや、正義感のふりをした何かと考えるべきなのか。
それもこんなことをしなければ、些末な違いでどうにか出来ただろうに。

だからと言って、シエラさんを傷つけて良い理由には到底ならないはずなのだけど。

ソフィアさんはあの時と同じような熱を含んだ目をして、喋り続ける。
饒舌に、感情のタガが外れたみたいに。

「それにあれ以来、事件が全く起きなくて……!
もう、待ってるだけじゃダメだって……気づいた…。
私がやるしかないんだって!!
それなのに……ヨルがジョーカーを倒して……、その後でシエラが私が全部やったんだって、私まで脅してきた!!
私は正しいことをやろうとしただけ!」

「それは……」

それこそ、本当に詭弁だろう。

「私まで」といことは、シエラさんはこれまでも同じようなことをして来たのか。
だったら、その時に止めていれば良かったのに…。

そうは思うけれど、今はそれが問題じゃない。

雨音が激しく、静かに狭い路地に響き渡る。

「だから、全部食べ尽くされる前に、私が裁くんだ……。
そこに転がってるシエラを。
そいつはお金が欲しくて、あんな店で働いて、男に色目使って……死んだって、誰も悲しまない!」

「彼女の家族は悲しみます」

感情が籠る一歩手前の、吐き気が込み上げてくるような、嘘を言っている時特有のねっとりとした声。

本当じゃなかったら、どうしよう。
最初はそう思って、次にそうだったらいいなと思ってしまった。

そうすれば……そうすれば?

そうすれば………何だというのだろう。

「……っ!」

「シエラさんはいつも、家族の話は自慢そうにしているって、リゼが言っていました。
それを奪ってしまうのは、悪ではないのですか?
お金も家族に心配を掛けないように、自分で工面しているのではないのですか?」

言葉が喉に張り付いて、つっかえそうになるけれど、もう何年もやっていることだから、問題ないように話すことが出来た。

これは嘘なのかな? 本当なのかな?

彼女は私の言葉に怯んだようで、視線を彷徨わせる。

「……そんなこと、私は知らない!」

ぎゅっと目を閉じて、彼女はそう叫んだ。

その声音は私よりもシエラさんのことを知っていて、それでも耐えているというようで、それに私は密かに、身勝手に落胆した。

私は動揺する彼女の瞳を見つめ続ける。

鈍く輝く銀色はまた小刻みに震えていたけれど、それでも、私には彼女の手にそれがある限り、どうすることも出来ない。
私に力がない訳ではないけれど、どうやったって体格の差が出る。

「関係ない! 関係ない! 関係ない!!
そいつが私を脅したことに変わりはない!
私は正しいことをしたんだから!
そいつがヨルに教えなければ……! 証拠があるなんて、言わなければ……! 私にあんなもの、見せなければ…!
通り魔事件が終わりさえしなければ……!!」

駄々をこねる子供のように、彼女は言葉を吐き出す。

ソフィアさんの言葉の中には、彼女が気づいていない嘘や罠がたくさん見えた。

全部とは言わないけれど、きっと半分ぐらいは貴女の為の嘘と罠だったんですよ。
貴女と、睡眠薬で死のうとした彼女の為だったんです。

「そこを退きなさい……。ヨル」

彼女はまだまだ恐怖や憎悪の足りない、震えた声と一緒にナイフを強く握り直す。

「退きません」

「…………殺されたくなければ、退きなさい!」

「………退きません」

私はゆっくりと立ち上がる。
服のポケットの中のCCMやティンカー・ベルはそのまま。
CCMは小さく震え、ティンカー・ベルは私に待てと言うように奇妙な熱を持っているような気がしたけれど、そんなことはどうでもいいかと思った。

立ち上がると、彼女が持つナイフが丁度私の胸の位置にくる。

空から降ってくる銀糸が視界を遮る。
視界が仄暗いのは、きっとそのせいだ。

「……殺されたいの?」

「……………貴女には、殺されたくないです。
だから、それを下ろしてください。お願いします」

私の言葉に、彼女は今度は怯まなかった。

ぐっと唇を噛み、ナイフを私の胸に向け、彼女が私との距離を縮めようとする。

銀色に煌めくナイフ。
白くなる手を伝う雨。
私を睨み付ける紅茶色の瞳。

その全てがゆったりとしていて、雨音も足音も聴こえなくなり、私は自分が死にそうになってもこういうふうになるんだなと冷静に考えた。

私があの時、飛び降りていたら、こんなふうに全部がゆっくりだったのかと思って…。

でも、やっぱりこの人に殺されるのは嫌だと思った時。

音がたった一つだけ蘇り、低くしっかりとした声が、路地に向かって響く。


「《必殺ファンクション》!!」

《アタックファンクション ブレイクゲイザー》


目の前で青色の閃光が私とソフィアさんを分断し、銀色の欠片が鈍く雨を反射して、地面に落ちた。

カラン、という音が聞こえてくると、音が次々に蘇る。

小雨になった雨の音、私の呼吸の音、水の跳ねる音、突然のことに私が足から崩れる音。

そして、仄暗い視界の中、私の前に悠然と立ち、武器を構えるゼノンと……ジンの背中が見えた。


prev | next
back


- ナノ -