Girl´s HOLIC!

32.望んだもの


ヨルが自分の醜さを吐露した日から、気持ち悪さと違和感が僕の中に同居する。
彼女は鳥海ユイであった時、こんなものを抱えていたのか。
それとも、今も抱えているのか。
それを考えると、言いようのない眩暈が襲ってきて、余計に気持ち悪くなった。


■■■


「本当は休みたいんだけど…」

「特別理由もないのに、休むわけにはいかないだろう」

「あはは、そうだよね」

僕の言葉にヨルは苦笑する。

当然だが、彼女にはこちらで通っている学校があり、授業がある以上は行くべきだ。
とは言っても、一刻も早く事件を解決しなければいけない。
警察の方で捕まれば問題ないが、ヨルの言うことが本当ならば誤認逮捕も有り得る。
その前に犯人を捕まえる必要があるのだが…。

「明日からは少し休めるから、ごめんね。ジン」

「……謝るぐらいなら、早く行った方が良いんじゃないか?」

僕がそう言うと、ヨルはCCMで時間を確認してから、ドアノブに手を掛ける。
「あんなに休まなければ良かったな……」と呟きながら扉を開け、僕に気遣わしげな視線を向けた。

「えっと、今日は誠士郎さんがいてくれるし、勝手に出掛けても大丈夫だから。
じゃあ、いってきます」

「ああ」

暗い気持ちが表に出ないように注意しながら、彼女を見送る。
彼女は僕に小さく手を振り、長い亜麻色の髪がするりと扉の間をすり抜け、扉が閉まった。

それと同時に僕は溜め息を吐く。

溜め息を零したところで、重苦しい気分が晴れる訳ではない。
気持ち悪さが這い寄ってくる中、僕は端に本が積まれた古ぼけた階段を見上げる。

今日はリゼも早くに出掛けて、ヨルも先程学校に向かった。
誠士郎さんは書斎に籠っているという。

………確かめるなら、今だ。

僕はゆっくりと階段に足を掛ける。
音をさせないように注意しながら、階段を上り、三階には行かずに二階のリゼとヨルの二人の部屋に向かう。

呼吸が深いものになり、僕は鳥海ユイの家に侵入した時のことを思い出した。
この家はあれほど寒くはなく、過ごしやすいはずなのに、何故か吐く息が白く感じられる。

慎重に扉を開き、リゼの部屋はそのまま無視して、ヨルの部屋へと進む。

「……………」

僕の使わせてもらっている部屋とそれほど変わらない、無機質な部屋だった。

日本で見た彼女の……鳥海ユイの部屋とどこか似た、生活感のなさ。
机の上にはティンカー・ベルの物らしきパーツと工具が箱に入れられて出されているが、それ以外は不気味なほどに整理整頓されている。

クローゼットとベッドは素通りして、机の方に歩み寄る。
簡素な机の横には何段か重なった書類整理用のボックスがあり、更に小さな本棚がある。
ボックスの中には僕との手紙が見えた。

………リリアさんから言われたことは、ヨルが通り魔事件に関わっていること以外にもあった。

ヨルがリリアさんが預かっていたヨルの母親の遺品を引き取ったこと。
数か月前、ヨルは十日間ほど日本に帰国していた可能性があること。

この二つから想像できることは何か。
また、何か企んでいるのではないかとリリアさんは心配していた。

僕もその二つのことは気になる。
遺品は良いとしても、日本に帰国していたことは、本当ならおかしい。
最悪の事態を考え、冷たい手で心臓を握られたようにぞわりと不気味な感覚が体中を走る。

もうそんなことはしないだろうと信じている。
しかし、絶対にしないという保証はどこにもない。

「…………」

静かに、深く呼吸を繰り返しながら、心の中でヨルに謝ってから、僕は机の引き出しを開ける。
引き出しは施錠されておらず、中には文房具やノートが入っており、その奥から平たい青色のお菓子の箱が出て来る。
手に取って揺らすと微かに音がした。

少し躊躇してから、箱の蓋に手を掛ける。

「これは……」

まず目に入って来たのは、ヨルのパスポート。

中を見ると、出入国のスタンプで確かにヨルが十日間、日本に帰国していることが分かる。
十日間といえば、ヨルが体調不良で休んでいた時と重なる。
彼女はあの時に日本に行っていたのか。

次に目に入って来たのは、女性が好きそうな花柄や空色の封筒。
中に便箋が入っていて、封はされていない。

その下には、色褪せた古い写真。
若い頃のヨルの両親の写真ばかりで、最近の写真はない。
一番上には赤ん坊のヨルと鳥海ユイを抱いた両親の写真が置かれている。

手紙の中から一通を手に取り、中を確認する。
何回も読んだのか、所々文字が掠れ、指で作った皺が出来ている。

「………っ」

数行読んで、腹の底から言いようのない感情が溢れてきて、顔をしかめる。

それは、ヨルの母親が父親に当てた手紙だった。
僕が知っている彼女の父親はこんなものは破り捨てでもするように思えるが、これは失敗した手紙だろうか。
それとも、送れなかった手紙なのだろうか。

すっきりとした文字で書かれた言葉からは、諦めきれない、やり直したいという思いが溢れている。
愛が…その喜びが、隠れた憎悪が、失った悲しみが、隣にいられない寂しさが、たった一人への想いが綴られている。

悲痛なほどに、子供染みた……ヨルを連想させる盲目さ。

気持ちが悪い。

別の手紙を読めば違うのかとも思ったが、二通目を読むことは出来なかった。

手紙を仕舞い、パスポートを手紙の上に置き、元の位置に箱を戻す。

「…………」

意識して呼吸を繰り返し、反対側の引き出しを開く。
そこには黄ばんだノートが数冊、型の古いCCM、それから見覚えがある大量のメモが入っていた。

ノートは遺伝子工学や人工知能に関するものだった。
開いてみると、ミミズがのた打ち回るような文字が書かれている。
……これは父親の物か。
CCMも型の古さから父親の物と予想出来る。
メモも…そうだ。

でも、これは日本にあるはずの物で、ヨルはこれを回収するために日本に帰国したのか。

何のために?

ノートは見ることが出来たが、メモは…エアコンの風で揺れる父親の死体が思い出されて、とても手に取ることは出来なかった。
地下室の凍えるような寒さと、底なしの闇が蘇る。

何がしたい。
ヨルは一体何がしたいんだ。

「はっ……」

呼吸が出来ない。
脳の底にこびりついた記憶が蘇り、息をすることもままならない。

それでも、なんとか平静を保ち、ノートやCCMを引き出しに仕舞う。

本棚に視線を移し、その中で日本でも見た遺伝子工学の本を取り出す。
父親の物だと一目で分かる歪な文字が余白に書かれている。
いくらかページを捲ると、その中から折り畳まれた紙が出て来た。

「………?」

開いて見てみると、ロシア語の文字と何かの設計図、走り書きが見えた。
走り書きは歪な文字で《I109 I110》と書かれている。

何の設計図だと考え出した時、背後からドアをノックする音が聞こえてきて、僕は本から顔を上げる。

「人のものを勝手に見るのはどうかと思うけど? ジン」

「………分かっている」

そこに立っていたのは、リゼだった。

僕は彼女の言葉に持っていた本を閉じて、元の位置に戻す。
リゼはそんな僕の様子を扉に体を預けて、疑うような目で見つめる。

僕はそう見られて当然の行為をしたのであり、ヨルに言うというのならば、それでもいい。

そう思っていると、リゼは「はあ…」と重い溜め息を吐いた。
額に手を当て、陰鬱そうに僕を見やる。

「まあ、辛そうな顔してるし、望んでやったって訳でもないのか。
誰かに頼まれた? リリアさん?」

「…………」

「……言えないなら、それいいけどさ。
何か事情がありそうだね。
このこと、ヨルには告げ口しない方がいい?」

彼女の鋭い指摘に沈黙していると、リゼはそんなことを僕に聞いてくる。
その目は真剣で、冗談を言っているふうはない。
僕はしばらく考えてから、口を開く。

「そうしてくれると、助かる」

「そう。だったら、そういうことで」


リゼはそれだけ言うと、体を預けていた扉から体を離し、自分の部屋へと行ってしまう。
僕はちらりと横目でヨルの机を確認してから、リゼに話し掛ける。

「どうして、黙っていてくれるんだ?」

僕がそう訊くと、彼女は自分の机の引き出しから真新しいノートを取り出し、気怠げな様子で僕を見た。
ノートをパラパラと捲りながら、面倒そうに言う。

「ここ三日ぐらい見てただけだけど、ジンはヨルに変なことするとは思えないし、最近ヨルの様子が少しおかしいから。
アリシアと出掛けてからは余計に彼女にべったりのような気がするし……。
あれはこっちがちょっと何か隠れて調べないと、理由が分からん。
私じゃ距離感がよく分からないから、ジンの方が適任。
ということで、ジン。
ヨルをよろしく」

それはヨルへの心配と信頼で満たされた声だった。
彼女もまたヨルに異常な点があることに気づいているのかもしれない。
そう思い、彼女の言葉の中に良く聞き知った名前があることに気づいた。

「……アリシアという人をヨルはそんなに慕っているのか?」

その名前はヨルの手紙によく書いてあった。
優しい先輩だ、色々と教えてくれるのだと書いてあったが、実際に会ったことがない僕にはそれがどれほどの親しみなのかが分からなかった。

リゼは「んー…」と呻くような声を漏らしてから、苦々しそうな顔をして、僕に笑いかける。

「そんなに慕ってる。
私よりも懐いてそう。
あー…そういえば、アリシアに『お母さんみたいですね』とか言ったみたい。
アリシアは世話焼きだから、そういう所が好きなんじゃない?」

「『お母さん』…」

ヨルにとって、その言葉は特別だ。

彼女が「お母さん」と呼べる人物はたった一人しかいない。
その人はもうこの世にはいないけれど、今もヨルに大きな影響を与えている。

僕の幼い記憶の中にいる、黒髪に青みがかった瞳の女性を思い出す。
ヨルが必死に伸ばす手を払いのけた、氷のような目をした人。
どんなに母親らしくなくとも、あの人こそが、ただ一人のヨルの「お母さん」だ。

それを比喩だったとしても、あのヨルが使うだろうか。

僕にはそうは思えない。

ならば、ヨルは何を思って、「お母さん」という言葉を使ったのだろう。

気のせいだ…と言いたいが、言い知れない違和感が、砂を噛むような判然としない違和感が僕の中に広がっていく。

ヨルは、何を考えているんだ?


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