Girl´s HOLIC!

30.蠢動

イノベーター事件が終わった後、僕とヨルは随分とたくさんのことを話し合った。

彼女がイオであった時や一緒に戦っていた時よりもずっと拙く、ぎこちないものだったけれども、お互いのことを本当にたくさん話し合った。

彼女は暗い瞳をさせながら、家族への愛憎を叫ぶことも口にすることもなく、ただ自分のことを吐き出すように話した。
今まで置かれてきた状況を、どのようなことをしてきたのかを、その暗い感情の一端を。

柔らかな蜂蜜色に染まる室内で、味わうというよりも場を持たせるように紅茶を飲む彼女に僕は問いかけたことがある。

「ヨル。君はこれからどうなりたいんだ?」

「…………」

僕の質問にヨルは無言だった。
微かに指を震わせ、吐息を漏らし、青色の瞳を紅茶から僕へと向け、それから視線を下に戻す。

ヨルの吐息の音が空気に溶けることなく沈殿していくのを肌で感じながら、ただひたすらに彼女の答えを待った。

蜂蜜色が濃くなり、段々と暗さを帯びていく中、彼女は漸く顔を上げる。
カップを慎重にソーサーに戻し、僕を見据える。
暗く濁った色ばかり湛えていた青い瞳はそれでもその奥に透明な光が宿り、妙に引き付けられる。

「私は……」

重く暗い声が零れる。
それは自らを咎めるような声だった。

その声に僕が訝しんだのが分かったのだろうか。
開きかけていた口を閉じ、ゆっくりと深呼吸をしてから、彼女は再び口を開く。

今度の声は涼やかな普段通りの声であり、その変化に驚くしかない。
何度も目の前でその変化を見ているが、どうにも慣れることが出来ず、違和感が付きまとう。
背筋にぞくりと悪寒が走る。

「私は『自分』になりたい」

本当にそれだけが願いだと言うように、今までよりも遥かに透明な声で彼女は言う。

ぎゅっと手が白くなるほどに強く拳を握りながら、言葉を続ける。

「そうすれば、きっと……欲しいものが手に入らなくても、大丈夫になるから。
なれるから…」

彼女が望んでいるものは僕も知っている。
それに焦がれ、焦がれ続けて、雨宮ヨルという人間がこうなるしかなかったことも。

そして、後に姉からの言葉で自分の望んでいたものが否定され、涙を流し、「愛してる」と呟いたことも。

「………本当に、そう思っているのか?」

それが唯一の願いだと分かっていたけれど……。

僕が最後の確認だと言うように訊くと、ヨルはしっかりと頷いた。
そして、再び紅茶のカップへと手を伸ばす。

海の色をした瞳は感情が複雑に絡み合い、僕には読み取れない。
しかし、その複雑な色が蜂蜜色の光を反射し、揺らめく様はとても美しい。


その奥底に眠るものが、どんなに醜くとも。

死者の身勝手な行動や言葉、もう和解することの出来ない関係や忘れることの出来ないであろう別れを彼女はどう思っているのだろう。

憐れんでいるのだろうか、悲しんでいるのだろうか、憎んでいるのだろうか。
愛しているのだろうか。
それとも、自分を責めているのだろうか。

そう考えていたところで、不意にヨルが視線を僕へと向ける。

「何を考えているの?」

澄んだ、全てを見透かすような、奇妙な気持ち悪さを孕む声だった。

砂を噛むような違和感を抱くことはもうないけれど、ふとした瞬間に生温かい手で心臓を掴まれるような、そうかと思えば信じられないほどに冷たい感覚が走るような……そんな気持ち悪さを持ってしまうことはある。

それはどうしてなのだろう。

僕を見つめ続ける深く青い瞳。
その口から零れる小さな呼吸の音。
膝の上で白磁のカップ握る白く細い指。

それらに含まれる感情を考え、僕は恐れているのかもしれない。

特に、まっすぐとした純粋さに歪む瞳に。

「いや、なんでもない」

僕がそう言うと、ヨルは「そう…」と呟いて、冷め始めているであろう紅茶を飲み干した。
飲み終わり、置かれたカップの底には溶けきらなかった砂糖が固まっている。
光を反射し、どろりと妖しく輝いた。

ヨルはその輝きに目を細めながら、僕を見上げるようにして、それから静かに微笑んだ。

微笑みの意味が分からず困惑する僕に、彼女はくすくすと鈴を転がすように笑う。

「どうかしたのか?」

僕がそう訊くと、彼女は首を横に振り、もう一度だけくすくすと笑った。
そして、呟く。

「ううん。
ジンと同じ。なんでもないよ」


■■■


ジンが買い物をしている間、さすがに下着類を買うのに付いて行く訳にはいかないので、私の方は近くの店の硝子細工の色や丁寧な作りのテディベアなどを見て回る。

異国の輝きを放つグラスを陽の光に透かしてみると、いつもの景色がまったく別の物のように映る。
私の目と同じような色をしているのに、こっちの方がずっと綺麗だ。
一応値段を見てから、グラスを元の位置に戻す。
まあ、こういうのは見ているのが一番楽しい…はずだから、買う必要は全くない。

手触りの良いテディベアはなかなかに可愛らしそうな顔をしていて、左に右に傾けてみたり、上下に振ったりしてみる。
特に文句も何もなさそうな顔を一撫でしてから、それも元の場所に戻した。

その後はあまり遠くに行かないようにしながら、気の向くような物を探してみたり、名前のよく分からない飾りを揺らしてみたりする。
シャランと透明な音をさせるそれを揺らすのは楽しいような気がするけれど、特別思い入れもないので通り過ぎる。

CCMを開いて連絡がないことを確認しつつ、ふらふらと見て回る。
移動する範囲は限られるけど、普段は見ないようなものを……適当に選んだ赤いサテン生地を広げ観察する。
感触が良いなと思いつつ、光に透かしていると、少しだけ上の位置から声が降ってくる。

「……何をしているんだ?」

「ん?」

見上げると、少しだけ高い位置にジンの顔があった。
私の手の中にあるサテン生地よりもずっと綺麗な、光沢のある赤い瞳が不思議そうに私を見つめている。

「暇つぶし、だけど」

「………そうか」

私が質問に答えると、彼は呆れたようにそう呟いた。
私はサテン生地を元に戻し、ジンに向き直る。
その手にはロイヤルブルーの紙袋を二つ提げていて、無事買い物は終わったんだなということが分かる。

「他に必要なものはない?」

「いや、もう十分だ」

「……そう。
予想よりも早かったね。もっと掛かるかと思った」

素直な感想を述べると、ジンは苦笑して「そうだな」と何とも言えない返しをしてくれる。
CCMの画面で時間を見れば、家を出てから二時間も経っていない。
どうしようかとジンに視線を送ると、彼も同じようなことを考えたのだろう、困ったような顔をされてしまう。

私とジンではウィンドウショッピングという訳にはいかないだろう。
そうなれば…。

私は鞄の中を探ると、内ポケットにDキューブがあるのを見つけた。
何のフィールドだったかなと思い出しつつ、それを指の腹で触りながら取り出す。

「LBXは持って来てるよね?」

「……ああ。もちろんだ」

私がそう訊くと、ジンは嬉しそうでもあり、苦しそうでもある複雑な表情をする。
瞳の中には微かな痛みが広がり、苦しみに耐えるような色をさせた。

その瞳は何を思っているのだろう。

「ジ――……」

彼の名前を呼ぼうとして、呼べなかった。

痛みがじわりと広がる紅色に蹴落とされたわけでも、その原因が何かであることに考えついたわけでもなく、その背後にソフィアさんの姿が見えたからだ。

彼女は切羽詰ったような顔をして、路地に向かって何か話している。
こちらに気づいていないのは明らかで、その濃い紅茶色の瞳は焦りと怒りが滲んでいて、少し怖い。
私はその視線の先にいるであろう人物を想像して、心が冷めていくような感覚に襲われる。
どちらだろう、と思った。
そして、どちらがソフィアさんにあんな目をさせたのか。

考えると、どろどろとしたものがお腹の中で蠢き始める。
知らず指を小さく動かしていて、その動きは何か縋れるものを探しているようで……。
今はジンの腕を掴むことが出来ないことに、少しばかり後悔した。

暗い感情がじわりとせり上がってくるような気がした時。

「ヨル?」

ジンに先に名前を呼ばれた。
見上げると、その瞳にはまだ痛みがあって、でも私を心配してくれているのも感じられて、罪悪感が込み上げてくる。
私は無理矢理笑顔を作って、彼に笑いかけた。

「行こう。こっちだよ」

そう言って、私は彼の緩んだ指の間からロイヤルブルーの紙袋を奪って、彼の手を握る。
私の方から握るのはほとんど初めてだなと頭の片隅で思いながら、どこか冷たい、私よりも幾分か大きな手を引く。

私は彼の手を握る手に力を込める。
その感触に温い血が手を伝い落ち、私が引っ張っているのに彼に引っ張られているような奇妙な感覚が付きまとう記憶が蘇る。
でも、今私が抱える感覚はそれとは違って、私が今度は引っ張っているような気がした。

私はその瞬間、ほんの少しだけ、やっと……本当にやっと、私が心の中で感じていた果てしない、私の弱さゆえの距離が、ジンのその背中が見えたような錯覚に陥った。

それと同時に違う感覚が指の末端まで駆け抜ける。

どろどろとしたものが、お腹の奥底で蠢いて、腐ってゆくのが、気持ち悪い。



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