23.夢見る劇薬
私の記憶によると、ソフィア・アッシュとは想像以上に接点がなかったことを思い知らされる。
豪快というか、シエラとはまた別の我儘な人というか、副寮長なのに寮長よりも偉そうにしている人だった。
寮ではよくアリシアとセットで考えられていて、腐れ縁だかなんだかで本当によく一緒にいる。
私が彼女と最後に会ったのは、退寮を言い渡された時だ。
色々と言われたけれど、「裏切り者」的なことを言われたのは、堪えた。
いや、もっと…彼女にしては濁していたけれど。
とにかく仲間意識が強かったように思う。
判断材料がまだまだ少ないけれど、シエラが私たちに知って欲しかったことはソフィア・アッシュが一連の事件の犯人かもしれないということに違いない。
それにヨルが戦ったLBXはジョーカーに似たタイプのストライダーフレーム。
ソフィアが操作するのも、私の記憶ではジョーカーだ。
その後のことは知らないので何とも言えないけれど、彼女の腕なら通り魔ぐらいできるだろうと思う。
その当時は分からなかったけれど、知識が付いた今ならそのことが分かる。
けれど、それが分かったとして、どうするべきか。
元々は私が始めたことで、犯人を見つけることが目的だった。
目的自体は果たした、と言える。
だから、ここで調べるのを止めてもいい。
幸い、犯人は何を思ったのか、事件を起こすことを止めている。
止めるにはちょうどいいかもしれない。
「………腑に落ちないんだよな」
直感だけれど。
そもそも、シエラが情報を寄越してきた時点で、ものすごく嫌な予感がした。
それが完全に消えるまでは、止めてはいけない気がしてならない。
経験上。そう、経験上。
あいつが情報を教えた後に何もしないなんてことはない。
元同室者としては、不審なやり取りを何回も見ている。
さすがに金銭のやりとりはなかったけれど、高級お茶菓子とかライブのチケットとかそういうものを請求していたのを思い出す。
……私はよくあいつと同室者でいたと思う。
研究室に寝泊まりしていて本当に良かった。
「ヨルはやる気みたいだし、まだ続けてみるか」
リストはヨルに送ったけれど、こちらの思いを読んだのか、《私はまだ調査を続けたい》と書かれたメールが送られてきた。
でも、その後に《でも、リゼの意志を尊重する》とある。
元は私が始めたことだから当然なのだけれど、読まれてるなというかなんというか……。
何か隠している気がするのは気のせいだと信じたい。
大学を出て、なんとなく大学寮の前を通る。
男子が数名出て来たけれど、私には目もくれずに通り過ぎていく。
防犯カメラに睨まれながら、門の奥を見ると、女子寮に帰っていく生徒が見える。
その後ろ姿に妙な違和感を持ってしまうのは、気のせいか。
人というのは恐ろしい。
物事に一瞬にしてフィルターを掛かけて見てしまう。
「なーにがあるのかな。あの寮に」
女子寮のある方向を向いて、そう呟く。
完璧に不審者だ。
寮母のマーガレットが来たら面倒だなと思ったので、そそくさとその場から離れる。
特に問題なく今の我が家に帰ってくると、玄関で鍵を開けるヨルの姿が見えた。
「ヨルー!」
大きな声を出して呼ぶと、ヨルが振り返る。
多少気持ちが悪いのか、額を押さえて小さく微笑んだ。
「大丈夫? また気持ち悪い?」
「うーん…立ちくらみ、みたいな。
よく食べて寝てるんだけど、なんでだろう。
土曜日は出掛けるから、それまでに治るといいなあ」
「健康かどうかよりも座り過ぎじゃない?
水分摂って、後は運動かな」
最近のヨルはよく机に向かっているし、夜中は何か調べものをしているようだから特に。
「じゃあ、LBXバトルに行ってくるよ。
この辺でもやってるから」
「今から?」
「ううん。今日は手紙を書くから。
明日の放課後かな」
絶対に対処法としては違う気がしたけれど、本人がそうだと思うならいいか。
ドアノブを回して、ヨルに続いて私も家の中に入る。
二人して階段を上りながら、その小さな背中を眺めた。
とてとてと軽い足音。
小さい隙間から部屋の中に入ると、それぞれの部屋に分かれて着替えを始める。
「ヨル。通り魔事件のことだけど……」
「うん」
リボンを外して、髪を後ろで縛り直しながら、雰囲気が重くならない程度の声を出す。
隣の部屋からは滑るような衣擦れの音と紙の擦れる音が微かに聞こえてくる。
「一応、目的は果たしたとは思う」
「うん。なんとなく、分かったとは私も思うよ」
「そのことなんだけど……今は事件、起こってないけどさ、なんでかは分からないけど」
「………そうだね。
どうしてだろう?」
ヨルの声はいつも涼しげなのに、今日はそれが妙に強い気がする。
何か良いことがあったかなと思った。
あまり話してくれないので、彼女の学校でのことは大して知らないから何も言えない。
「起こってなくても、これから起こるかもしれないし、今のところはまだ続けたいと思う。
しばらく…一ヶ月ぐらいかな? それぐらい事件が起こらなかったら、止めるから。
それでいい?」
「いいよ。リゼがそう決めたのなら、私はそうするよ。
出身地は調べたし、次は何を調べようか。
あのメモの裏付け?」
三つ編みにした亜麻色の髪を揺らして、ヨルが私の部屋と彼女の部屋の入り口から顔を出す。
柔らかな笑顔なのに、楽しそうという印象は受けない。
「そうだな。とりあえずは、それで。
でも、これは私よりもヨルの方に調べてもらわないといけないんだけど……」
「私もそう思うよ。
私の方が寮に入れるものね。
土曜日にさり気なく訊いてみるよ」
「いや、本人に直接訊くのはどうかと思うんだけど」
「大丈夫!
変なことにはならないから」
どこからその自信が湧いてくるのか。
そもそも、ヨルがこんなに自信満々なのも珍しい。
ただ彼女は少し自分を過小評価しているような気がするので、そのぐらいが丁度いいと思う。
それならば、と私は頷く。
細かい打ち合わせは土曜日までにするとして、今日はお互いに自分のことをする。
「はい。今日の分の宿題。
ちゃんとやるように」
「はい。先生」
大学でプリントアウトした問題用紙を渡す。
小さくて白い指でそれを受け取ると、ヨルは顔をしかめた。
最初の問題で顔をしかめているのだとしたら、それはそれで問題だ。
「大丈夫。解けるって。
全部出来たら、下にいるから持っておいで」
「はい……」
若干項垂れつつ、ヨルがとぼとぼと自分の部屋に戻っていく。
問題を解いて、手紙を書いてから持って来るんだろうなと思ったので、私は下でお茶でも飲もう。
少しヨルの部屋を覗いてみると、いつか私が拾ったくたびれたメモを熱っぽいような、それでいて寂しげな眼をして見ていた。
私の視線に気づくと、にこりと笑う。
メモを裏返しにするような動作があったけれど、私は日本語はあまり読めないのでそんなことしなくても問題ない。
そのことを分かっているはずなのに隠すというのは、よっぽど重要なものなのか。
気になったけれど、あえて隠した物を詮索する権利は私にはない。
「気楽に頑張れー」
手を小さく振ってそう言うと、ヨルも笑って手を振り返す。
そして、どこか暗がりにいるかのような声で言った。
「うん。頑張るよ、私」
■■■
視界が暗くなったり、明るくなったりを繰り返す。
気持ち悪い。
吐き気がする。
今日は学校の廊下で立ち止まってしまった。
突然目の前が見えなくなって、息が出来ない。
呼吸の仕方を忘れてしまう。
肺をどう動かせばいい?
空気が毒になるように、苦しい。
イギリスに来る前に「変なところがあったら言え」とリリアさんに言われて、この症状を言った。
病院で初めて精密検査を受けたけれど、病気ではないとのことで。
全ては心の問題、らしい。
だから、全部錯覚だ。
全部、全部、嘘。
嘘だけれど、でも、消えない限りは本物なのだと、思ってしまう。
冷たい目をしたお父さんも、首を絞めるお母さんも、優しい瞳をしたお姉ちゃんも。
私の想像の産物だけれど、本物。
視界が暗いことや呼吸の仕方を忘れてしまうことがきっかけになって、足が沈んで抜け出せなくなる。
暗くて、重くて、鈍くなって、動けなくて、気持ち悪くて………そして、とても甘い。
苦しくて辛い。
何も聞きたくない。
何も見たくない。
ここから抜け出したい。
大丈夫だと思ったのに。
ジンが見つけてくれて、涙を流せて、ちゃんと笑えたのに。
青い幻覚に「生んでくれて、ありがとう」と言えたのに。
まだ足りないの?
まだ満たされないの?
どうやったら、満たされるの?
……答えが出ないから、答えが欲しい。
私が見つけるしかない、答えを。
このまま、胸の奥がずっと痛くて苦しいのは嫌だ。
だから、私は同じことをしようと決めた。
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