Girl´s HOLIC!

22.知らぬ者たち

新しく紅茶を入れ直して、今度は砂糖を適量。
程よい甘さに落ち着く。
メモの内容を反芻しながら、冷蔵庫の中を覗き込む。
リゼの買って来た見慣れないお菓子が見えるぐらいで、後は私が予想した通りだ。

うーん、と少しだけ考えて、材料だけ準備してホットサンドにする。

起きた人に自分で作ってもらおう。

色々と用意してから、バスタブにどぼどぼとお湯を注いで、更に水を注ぐ。
イギリスの水は硬水で石灰も入っているからあまり人の肌には良くないのだけれど、最近はろ過装置が優秀でお湯を沸かす仕組みも変わって来たからお湯を使うのも楽だという。
昔のことはよく知らないけれど、お湯を気持ちよく使えるのは良いことだと思う。

日本にいた頃はお風呂にゆったりとは入れなかったから、尚更かもしれない。

「おふろーおふろー」

入浴剤を入れると、お湯が緑色に染まる。
それを手でゆらりゆらりと混ぜてから、服を脱ぎにかかる。

こけないように注意して、バスタブの中に沈む。

「成長しないな…」

お湯越しに情けない大きさの胸を眺めながら、口元までお湯に沈めた。
ぶくぶくと口から泡を吐き出す。
いくつもの泡を吐き出して、息継ぎのために顔を上げる。
肌に髪が張り付いてしまったので、それを手で払って溜め息を吐いた。

溜め息が反響して、私の耳に届いた。

「………」

バスタブの淵に頭を預けながら、今日あったことを何回も頭の中で反芻する。

シエラさんとの会話を思い出す。
彼女は私にあんなことを教えて、自分は何をする気なんだろう。
あの時も思ったけれど、彼女の目的はなんなのだろうか。

利用されるんだろうなとは予測できるけれど、それを責めることは私には出来ない。
同じことをしてきたから、他人を責めることは無理だ。

こんな時に誰か…いてほしいと思うけれど、今は誰もいない。
リゼやおじさんはいる。でも、そうじゃなくて…そうじゃなくて……。
彼女たちのことは好きだけど、止めてくれるという確信がない。

「……注意だけはしておこう」

どっちにも。

「あ、手紙…書かなくちゃ」

なんて書こう。
何を書けばいいんだろう。
何を書いたら、心配させないで済むんだろう。

ぐるぐると頭の中でたくさんの言葉が巡る。
金や銀、青や赤、灰色や黒色をした言葉が頭の中にある。
どれを選んでも嘘になるような、だからって本当の言葉は選べない。

「どうしよう……」

堂々巡りにしかならない言葉を吐き出して、私は膝に顔を埋めた。
長い髪が水面でゆらゆらと揺らめく。



結局私が眠ってしまった後、誰も起きなかったらしく、朝食は用意した材料でホットサンド。
野菜の切れ端で作ったスープと一緒にもそもそと食べる。
私としては普通の速度なのだけれど、目の前のリゼは一つ目を食べ終えて、自分で次のホットサンドを作りに行った。

「それで昨日の夜、考えたんだけど……」

私は昨日のメモを取り出して、リゼに渡す。
彼女はぐいっと牛乳を飲み干すと、メモの内容を目で追った。

「……なるほど。まあ、納得は出来る。
出来るけど、あんまり信じたくないな。
もうちょっと調べてから、あいつに訊いてみよう」

「うん。ちゃんと勉強を教えてるのは確かだから、もっと確かめてから」

意見が一致したところで、とりあえずは今週の予定を確認する。
私はどうやっても自由に出来る時間は少ないので、ほとんどのことはリゼに任せることになる。

「土曜日はアリシアさんと出掛けるから、ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。前から聞いてたし。
楽しんでおいで」

「うん」

随分と早い言葉だけれど、素直に頷く。
リゼ一人だとLBXが操作出来ないから不安なところがあったけれど、最近は被害が全くない。
襲われたら…と、多少心配だけれど暗くならないと現れないし、リゼもそこは分かってるだろうから、大丈夫なはず。

「とにかく、大学の先輩とか友達とかに色々と訊いてみるよ。
食べ終わったから、もう行く。
ごちそうさま。
ヨル、遅刻しないように」

やっぱり食べるの速いなあと思いながら、こくりと頷く。
彼女は本当にそう思っているのか、冗談なのか、よく分からない表情をして私を見ている。

「しないよ、多分。
いってらっしゃい」

「いってきまーす」

いつも通りのやり取り。

少し前までは想像も出来なかった現実が目の前にある。
寝起きだからか、最近少し感傷的になっているせいか、そんなことを考える。

パンとハムとチーズをゆっくりと咀嚼する。
時計を見ながら、ゆっくり。
ひりつく胃に流し込むのではない食事。
美味しいなと思えることは幸せだ。
一人でも、食事を美味しく感じられることに気づいたのはつい最近のことで。

頭の中では昨日と同じような色とりどりの言葉が浮遊している。
組み替えて、崩して、また最初から。
どういう内容にしようかと考えながら、同時に出すべきかどうか、迷っていた。


■■■


座学の授業を終えて、大きく伸びをする。
最近は私のあの噂も全く耳にしなくなり、随分と大学にいるのが楽になった。
噂は生ものというのを実感する。
やっぱり、こういうのって被害者は本当に損だ。
私しか傷ついていない。

「まあ、気にせずに行きますか…」

鞄からノートパソコンとCCMを取り出す。
今まで何度となく編集し直している通り魔事件のファイルを開いて、次にCCMを開く。

メールボックスには十数件のメールが届いている。
昨日のうちに、私の友人たちに通り魔事件の被害者のリストを送っておいたやつの返信だ。
相手の交友関係を考えて、かなり絞り込んで送ってみたのだけれど、どうやら成果はあったらしい。

メールの内容をパソコンに転送して、情報を入力していく。
何人かは過去のゴシップ記事や新聞記事から拾える人たちもいるのでその人たちは抜かして、どんどんと埋まっていく。
大体半分ぐらいか。
後は地道に人伝に訊いて行って、辿り着くしかないかもしれないな。

「さてさて…」

手をわきわきと動かしながら、画面をスクロールする。

被害者に地方出身者が多いのは大学生ぐらいなら予想の範囲内。
ふむふむと頷いてスクロールしていくと、とあることに気づく。

地方出身者が多いのは分かる。
分かるけれど、同じ地方の出身者が多すぎる気がする。

「うーん…。とりあえず、研究室行ってみるか」

もう半分を埋めないことにはなんとも言えない。
私の知り合いの中で一番交友関係の広い彼に直接訊いてみることにする。
というか、そのために先輩には研究室に行きますという旨のメールを送っておいた。
今日は教授は出張、私の方にもう他に講義はないし、そっちに向かうとしよう。

私はノートパソコンの画面を右に移動させて立ち上がる。
通り魔事件のファイルは仕舞って、最近ヨルがくれた成績データを取り出す。
それから、今まで勉強を見ていてまとめた苦手な問題の傾向。

次の講義が始まって人通りの少なくなった廊下を歩く。

「まあ、じわじわと上がっては来ている…か」

人に教えた経験が少ないのでなんとも言えないけど、成果は出て来てはいる。
ヨル自身も最近は通り魔事件で忙しいのに頑張っている。
……忙しくしてるのは、他でもない私だけれど。

「数学と生物は多少……いや、最近は生物は頑張ってるから成績が頭一つ飛びぬけてるな」

それでも平均よりも上、という感じだけれど。
言語が英語ということを考慮すれば、十分なはず。
それにヨルは十三歳だ。本来なら中学生だし、十分。

とりあえず、私がよく使っていた問題集からヨルの苦手な問題を取り出して、そこに得意な問題を混ぜていく。
分からない問題で躓いて、飽きない程度に。
これを今日の宿題ということにしよう。

相変わらず陽の光が眩しい研究棟の階段を上る。
今日は研究室に本を置き忘れていないし、心配することは何もない。
あの混沌とした空間が広がっていないことを祈るのみ。

扉をノックする前にノートパソコンを閉じる。
中が若干騒がしいので、力を込めてノックする。

「失礼しまーす」

ドアノブを捻って扉を開けたのはいいが、何かに突っかかって扉が開かない。
本や家具に当たって開かないというよりも、柔らかい物に当たって開かないという感じ。

「この…っ!」

精いっぱい扉を押してから、腹を引っ込めて体を滑り込ませる。
何が挟まってるんだと見てみると、例の先輩が目を回していた。

この目の回し方……二日酔いか。

「こんにちはー。リゼ。
そこのそいつはそのまま捨てといて。
産業廃棄物だから」

「……のしたんですか?」

教授用の椅子に座って、ノートパソコンの画面を覗き込んでいる先輩に思わず尋ねる。
本気の目をしているから空恐ろしい。
あの人は将来ものすごい女帝になる気がする。

「勝手に伸びたのよ」

「ああ。それなら良かったです」

良くはないが。

私はついでにともう一人の先輩にリストを送ってから、屈んでぶっ倒れてる先輩の頬を軽く叩く。
先輩の微かな唸り声とどこかに電話する凛々しい声が響く。

「リゼ。
何人か分かったわ。
記入して送ったから。
後の何人かはさっき連絡したから、多分分かるわ。
飲み仲間の飲み仲間が訊いてくれるって」

予想外の人物の方が早かった。
私は立ち上がって、先輩に近づく。
ノートパソコンを開くと、メールボックスに届いている。

「ありがとうございます!
それにしても、さすがですね…。尊敬します」

「飲み仲間が多いことを褒められても困るわ。
大酒飲みだってばらしてるような気がするのよ」

「いやあ、そんなことは…」

ある。
少し前に飲み会をした時に、一番早くビールジョッキを空にして、一番多く飲んでいた。
なかなかの酒豪だ。

とりあえず曖昧に笑っていると、次のメールも届く。
さっきのと合わせて、ファイルの中に取り込む。

「それで? それ、何に使うのかしら?
出身地くらいならって教えてくれたけど、悪用しないでしょうね?」

「悪用はしませんって。
出身地くらいではどうにも出来ませんよ」

「………それもそうね」

先輩は案外簡単に納得してくれた。

私は先輩からは見えないように画面を加工して、改めてファイルを開く。
すごいというか何というか、友人関係というのは本当にすごいもので、大体埋まっている。
画面をスクロールして、私は改めて納得することになる。
空白の部分をネットから拾った情報で埋めると、余計に解りやすくなる。

「……やっぱりか」

犯罪者を除けば、同じ地方の出身者が半分。
そして、その全員がとある地域に集中している。
半分なら十分だ。

それから、私はこの地域の名前を大学寮で聞いたことがある。


そうだ、ソフィア・アッシュに聞いたことがあるんだ。


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