Girl´s HOLIC!

20.みえない


煙った茶色の瞳が段々と丸みを帯びていく。
露骨な鋭さが消え、その代わりに黒々とした思いが滲んでいくのが分かる。

話せる秘密がないのだから、ここにいたところで意味はない。
どう切り上げようかと考えていると、シエラさんがにこりと獲物を見つけた獣のように笑った。
彼女の指が艶めかしい動きをして白いカップの淵をなぞる。

「いいわ。貴女は察しが良いみたいだから、特別にヒントをあげる」

まるでイオだった時の私のような言い方。

この人は、やっぱり何か隠しているんだなと思わずにはいられない。
彼女は私を上から下まで嘗め回すように見てから、口を開く。

「ヨルは何回も寮に来てるわよね?」

「はい。……アリシアさんに会いに行くためがほとんどですけど…」

正直に、本当に正直にそう言った。
私は別にアリシアさんがいれば、寮だろうとなんだろうと構わない。

初めて会った時に彼女なら、とそう決めたから。

………ジンに話したら、怒るかもしれないけれど。

「ねえ、寮生のことで不思議に思ったことはない?
私はあるのだけれど、まずは貴女の意見が訊きたいの」

ぐいっと私に顔を近づけて、彼女が問いかける。
茶色の瞳の奥に、私の目の色である青色が鈍く映し出される。

「閉鎖的だなとは思いましたけど、学生寮なら多少は仕方がないかなと……」

「そうねえ。閉鎖的なのは分かるわ。
だから、寮は都合が良いのだけれど、ふふっ」

小鳥が鳴くようにシエラさんが笑う。
茶色の瞳がころころと楽しそうに揺れる。

私は空のグラスを指で小さく鳴らしながら、その笑い声を聞く。
同時にポケットのCCMが小さく震えた。
きっとリゼからだ。
そう思ったけれど服の上からCCMに手を添え、電話に出ることはしない。

少しだけ、本当に少しだけ、椅子に深く腰掛けるように体勢を変える。
元々遠かった床と足の距離が余計に遠くなる。
その分シエラさんとの距離は遠くなって、そのことに安堵して溜め息を零しそうになった。

それをこくんと、音を立てないように飲み込む。
どうして都合が良いんだろうか、という疑問も一緒に。

少しだけ、体が重くなったような気がした。

「それはいいとして、寮のことだけれど、寮生の何人か変だと思ったことはないかしらあ。
例えば、妙に痩せている子がいるとか」

それはほぼ答えだろうと思ったものの、口には出さずに考える。

そういえば、いつだったか、とても不健康そうな痩せ方をした人を見た気がする。
思い出せば、寮に行く度にちらほらとそんな人たちを見ていた。

私はシエラさんの言葉に慎重に頷く。

「でしょう?」

にこりと彼女は私とは対照的に笑う。
嬲るような、あまり良い印象を受けない笑顔に体温を奪われていくような気さえする。

薄ら寒い?
不快なの?

自問自答する。
それから、このぐらいで? と思ってしまった。

もっと美しくて、熱っぽくて、大好きで、心から憎くて仕方がない笑顔を知っているんだよ、私は。

そう思ったら、薄ら寒さは消えたようで、代わりに体が重い。
今度は本当に、そう…感じた。

私の思考が、どこか深い深い場所に沈んでいると、呼び戻すようにかさりと紙が擦れるような音がした。

無意識に下げていた視線を元に戻すと、テーブルの上には色鮮やかなメモが並んでいる。
それはひどく、見覚えのあるものだった。

とん、とんとゆっくりと細い指がメモの中の一枚を叩く。
紫色の綺麗な紙だった。

「その子たちね、このメモを書いた子たちなのよ。
面白いと思わない?
みーんな気分悪そうで、目が魚みたいにぎょろぎょろしてるのよ」

「それは面白いのではなく、気持ちが悪いと言った方が合っていると思います」

「そうかしら?
優越感とか、湧かないの?」

「……状況が見えないので、分かりません。
何が言いたいんですか?」

素直に私は彼女に問いかけた。

にこにこと笑い続ける彼女は私の問い掛けに首を傾げる。
知っているのに、知らないと言うように。

私も少し前にはこんな表情をたくさんしていた。

ジンは私の笑顔をどんなふうに見ていたのだろう。
……今更、そんなことを考えてしまう。
彼は元気にしているかな。

「それは秘密。
あとは自分で考えなさい。
ヒントはここまでよお。おチビちゃん」

そう言って、私の鼻をシエラさんの指がちょんと突く。
避けたかったけれど、避けられなかった。

「どうして、ヒントをくれるんですか?」

自分でも笑ってしまうような質問をする。
目の前の彼女じゃなくて、私自身に。
今になって、あの時の自分が心の奥で嘲っている。

くすくすという、笑い声が溢れてくる。

大丈夫、大丈夫。
慣れ親しんだ錯覚だ。

揺れる死体も、それを見つめる人も、お姉ちゃんもどこにもいない。
どんなに願っても、もういない。

それが解っているから、私は同じところで何度も何度も迷ってしまう。

私がこれを考えるのは、何度目?

「別に。ただの気紛れ」

「……本当ですか?」

「ええ。本当に。
この目が信じられないというの?」

シエラさんが茶色の丸い目を指差して言う。
私はそれに首を横に振る。
どう見ても、獲物を影から狙う蛇だ。

「見えません。残念ながら」

「あら〜、それは本当に残念。
でも、ほら。
気紛れだけど、どうしようもない時って、あるのよ。
ヨルは私がしていること、なんとなく見当が着いているんじゃないの?」

「私は……何も解ってなんて、いません」

それは事実だけれど、少し違うような気もする。

違うような気もするけど、なんだろう。
知ってはいけないような気がする。
知らなくてもいいと、誰かに目や耳を塞がれるかもしれない。
今はそれをしてくれる人たちがいてくれるから。

私がしてきたこととは違う、それよりももっとちゃんとした、分かりやすい形で彼女はねじ曲がっているんじゃないのかな。

すぐには無理だけど、治りそうな。
何回も迷わなくてもいいような、そんな曲がり方。

「ふうん。
でも、何も気にせずに思う存分やっていいのよ?
そうね。もう一つ、ヒントをあげる。
特別よお」

ふふっと彼女が笑いながら、私の前で人差し指を揺らす。
ふくよかな唇が面白いぐらいに、言葉を紡ぐ。

「通り魔事件を調べているんでしょう?
だったら、被害に会った人の出身地を調べてみるといいわ。
きっと面白いことになるわよお。
それから、これ、あげるわ。
私よりも有効活用出来そうだものねえ」

彼女の言葉に私が疑問に思う前に、ついっと指で紫色のメモを私の方に寄越す。

『金曜日の八時に電子工学を教えてください。 お願いします。 リコ』

ミミズが這い回ったような字でそう書いてある。
人によっては読めないだろうなと感じる、酩酊しているような文字だった。

ああ、まるでお父さんの文字だ。

私は膝の上に置いていた手を持ち上げ、紙を手に取る。
紙は軽いはずなのに、鉛のように重い。
ありもしない重みに手が小さく震えそうになってしまう。

「それじゃあ、ばいばい。おチビちゃん。
頑張ってね〜」

ひらひらと手を振り、スカートの裾を翻しながらシエラさんは去っていく。
心底嬉しそうな、強かな笑顔がよく映える。
私には、そんな笑顔は出来ない。
今は……出来ない。

私の手には紫色の紙が一枚、残された。
さらさらとした感触が指に馴染む。
私が持っている、お父さんのメモとは違うというのに、似たようなものに見えてしまうのはどうしてなのだろう。

私は必死に頭を左右に振る。

見えない。見えない。見えない。

いつもの錯覚だ。

それに私はお父さんのメモを外に出したことなんてない。
今だって、私の部屋に全部保管してあるのだから。

私も席を立つ。

紫色のメモを折れないように注意してポケットに入れてから、カフェを出た。
CCMを開いて、リゼに連絡しようとしたところで、誰かに頭を掴まれた。
その手の感触には覚えがある。

「こ〜の〜、ちびっ子!
やっと見つけた!」

頭を大きく左右に、ぐらぐらと揺らされる。
足も体もそれに対して揺れた。

「ご、ごめんなさい…」

「ごめんなさい、じゃあない!
電話ぐらい出ないか!
この馬鹿者!」

「そ、その……シエラさんと会ってて、それで…」

シエラさんの名前を出した途端、リゼの手が止まる。
数秒固まった後、ぎこちない動きで私の頭を撫でた。

なでなで。なでなで。

見上げると、リゼはとても複雑そうな顔をしている。

「何かされた?」

心配そうな声が降ってくる。
胸の奥に沁みる声に、罪悪感で胸が締め上げられた。

「何も……。
飲み物奢ってもらって、ちょっと紙切れを貰ったぐらい…。
あ、通り魔事件の件、頑張ってって言われた。
言われたけど、よく考えれば、私、シエラさんにそのことを話してない。
リゼは話した?」

「まっさか。
寮の誰かから聞いたんじゃない?
ソフィアあたりだったら、話すでしょ。
別に他言してもどうってことないことだし、大して気にすることないって。
あいつはこういう話が大好きなの。
それよりも、紙切れって何?」

私はポケットから貰った紫色のメモをリゼに差し出す。
彼女はそれを裏返したり、陽の光に透かしたりしながら、興味深そうに観察した。
首を傾げたのは、字が読めなかったからもしれない。
そうなると、読めた私の方が変なのかな。

「私も時々ソフィアのボードで見たな、これ。
なんで、こんなものを?」

「ヒントって言ってたけど。
あとは被害者の出身地を調べてみてって」

「訳わかんないな。
……でも、そういうことには敏感だからな。シエラは。
全面的に信用は出来ないけど、調べるだけはしてみようか。
あいつの噂話と家族の話は信用度は高いから。
疑ってはかかるけどさ」

「家族の話?」

「ただの自慢話。
楽しそうに話すよ。あいつは家族は好きなんだね。
まあ、ヨルほどじゃないよ」

リゼはそう言いながら、CCMでメモの写真を撮ってから私にそれを返してくれる。
私はまた丁寧にメモをポケットに入れた。

「私は……シエラさんとは違うの?」

首を傾げて、何でもないことのように訊く。

リゼは「むう…」と唸ってから、何度か首を傾げて、私の頭に手を乗せる。
ぽんぽんと何度も軽く叩く。
くすぐったくて、少しだけ笑ってしまう。

私とは反対に彼女は困ったように笑っている。
言い淀むように、何度も口を開いては閉じ、閉じては開き。

それから、一回だけ深呼吸をする。

「シエラは楽しそうだけど、ヨルのは蕩けすぎてるかな。
私としてはちょっと心配になる。
普通なら、もっと嫌ったり照れくさかったりしながら言うんだけど、私もそうだしね。
なんか、少し……うん、あまり口は挟めないけど…私の主観だけど…」

ぽんぽんという手の動きが止む。
見上げて、リゼの少しだけ切なそうな青色が映る。
私よりも、少しだけ明るい色をした青。

頭上から零れてくる長い金色の髪が、私の顔に影を作った。

「………ちょっと、おかしいかもね」

その言葉に息が出来なくて、解っていたのことなのに、お腹の中に黒々とした泥が溜まっていく。
身体が一気に重くなる。

背中に言いようのない、冷たい感覚が這い上がって来た。

それをどうにか抑え込んで、私は気にしてないよというふうに笑うことしか、出来なかった。



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