Girl´s HOLIC!

19.秘密


最初にリゼを見た時に思ったのは、この子は私にとって利益になるかどうかで。
仲良くしようとか、面倒をみようとかそんなことは一つも思わなかったわ。

弱点も分からないし、文句ばかり言うし、本当に役に立たない子。

まあ、追い出せたから良かったわあ。

これでやっと一人部屋。
何をするにしても、便利でいいわ。
そうそう。何をするにしてもね。

惜しむことがあるならば、疑わなくてもいい相手を一人失ったことぐらいかしら。
まあまあ、どうでもいいわね。


■■■


「『絶対に』って…大きく出たな、それ」

リゼがノートPCで今日の新聞記事を漁りながら、私の話に呆れたようにそう言った。
私はバスの窓から見える街並みを目で追うのを止めて、首を傾げる。

「そうかな?」

「まあ、うん。
ヨルが出来るなら、それでいいけど……本当に勝てる?」

「それはやってみないと…。
ここ最近は事件らしい事件はないし、このまま何もない方がいいんだから」

自分で言ったように、ここ何日かは数週間単位から数日単位になり、最近は毎日のようにあった事件が全く起こっていない。
それはそれで良いことで、私は戦う必要がないならそれでいいと思っている。

困ることはあるけれど、それも些末なことだから。

「無い方がいいのは賛成だけど、一体どうしたんだか。
なーんか、不穏かな。個人的には」

リゼはバスの中での話をそう締め括る。
目的地はもうすぐそこで、プシューという音を立ててバスが止まった。

バスから降りて、リゼと一緒に事件があった場所を一つずつ回る。
この前から続けているところだけど、私もリゼも学校があるからなかなか進まなくて、漸く最後の一桁になったところだ。
さっきまでは数少ない郊外の場所に行ってきたところで、帰り道だからこっちにも寄ってみようという話になったのだ。

「休日だから人通りが多いね。
離れないように」

「はーい」

返事をしても、人波の中に埋もれそうになる。
私は本当に全然身長が伸びなくて、こういう人の多い所ではすぐに見えなくなってしまう。
ここは家からは歩いて来れなくはない距離だけれど、特に用事がないのであまり来たことがない。
だから、迷子になる可能性がないわけではない。
一応ここら辺の地図はCCMに入っているし、いざとなれば、現地集合というのもあるのだけれど、出来れば迷子になりたくはない。

幸い、リゼはそれなりに身長があり、こういう場所では目印になる。
そう思って、リゼの背中に張り付いて歩く。

その服の端を掴みながら、お店から漂う香辛料の香りや擦れ違う人の少しきつめの香水の匂いに反射的に鼻を引くつかせる。

「何か気になる物でもあった?」

私の様子を変に思ったのか、リゼが少しだけ首を傾げて訊いてくる。
私はそれに首を縦に振った。

「うん。香水の匂いが気になるなって」

「ああ。そういえば、シエラの香水の匂いも気にしてたっけ。
何? ああいうのがいいの?
同じような匂い、あった?」

「自分では付けたくない。
付けたくないけど、ちょっと気になって……。
憶えてるはずなのに、なかなか出会わないな。
連絡先を交換したからシエラさんにもあれ以来、会ってないよ」

「あの根性の曲がり方は害悪だから、会わないでいい」

間髪入れずに、彼女は随分と強い言葉でそう言い切る。

リゼのこともあるから積極的に会いたいとは思わないけれど、少し話はしてみたいなと思っていたら、即座に却下されてしまった。
その反応は予想通りと言えば予想通りで、私は少し困ったような表情を見せるしかない。

私の顔を見て、リゼは「会うなよ」ともう一度だけ私に釘をさすと歩幅を微妙に小さくした。
彼女はスルスルと人の波を魚みたいにすり抜けていく。

自分勝手に歩くならいいのだけれど、人を見失わず、同じような速さで歩くのは難しい。
くいくいと服を引っ張る。
ぐいぐいと腕が引っ張られる。

これは腕を攣るかもしれない。
明日、腕が上手く動かなかったらどうしようか。

そんなことを考えながら歩いていると、腕がどんどんと引き攣っていき、さすがに痛いと思ってリゼに声を掛けようとする。

「あの、リゼ!」

もう少し歩幅を詰めてくれないかと頼もうとしたところで、前から歩いて来た人に肩をぶつけてしまう。

「あっ…すみません」

すぐに謝るけれど、相手の人はこちらを見向きもせずに歩いて行ってしまう。
ぶつかった方の肩が少しだけ痛い。
右手で肩を擦っていると、私はその右手が何も握っていないことに気づいた。

開いたり、閉じたり。

………地図があるから、迷子ではない、はず。

道の真ん中でCCMを開くわけにはいかないので、端に避けて地図を確認してから歩き出す。
基本的に人通りの少ない場所であのLBXは現れるから、人がどんどんと少なくなっていく。
それでも二人の時よりも容易に人の波をすり抜けて行き、何十メートルか進んだところで、不意にふわりと何かが香った。

乱雑に絡み合った、嫌な匂い。

嗅いだことがあるというか、さっきまでなんとなく思い出していた匂いだ。

それに気づいて、思わずその匂いの元を探してしまう。
鼻をひくつかせ、なんとなく上を見上げてみると、意味の解らない単語が書かれた看板が目に入った。

「…………」

なんとなく。本当になんとなく、その看板の矢印に沿って、看板が掲げられた安っぽい建物に足を踏み入れる。
白い壁は汚れていて、何故か建物の造りに似合わない防犯カメラが設置されている。
防犯カメラが動いて、私の方を向いたような気がした。

「………」

カメラを睨んでみるけれど、何がある訳でもない。

そのすぐ下に建物と同じように安っぽい扉。
看板と同じように意味の解らない単語が書いてあり、近づいてみると複数の香水の匂いが混ざり合ったような強烈な匂いがする。

改めて嗅いでみると、同じ匂いのようなそうではないような…自信がなくなってくる。

「……どうする?」

そう自分に問いかけながらも、ドアノブに手を掛けようとしている。
CCMがあればリゼとも連絡が取れるし、少し中を見てみたら目的地に向かえばいい。
「…よし」と呟いて、鈍い色をするドアノブに手を伸ばす。
人によっては触りたくないかもしれない手垢の付いたそのドアノブにもう少しで触れようとした時、嗅覚を刺激する劇薬のような匂いが強くなった時だった。

「ヨルちゃ〜ん。どうしたのかしら? こんな所で」

誰かを誘うように、お酒に酔ったみたいな蕩けた声で名前を呼ばれた。
声のした方向を見ると、大学寮に何回行っても会えなかったシエラさんがそこにいた。
酔ったような声だけれど、目はどこか焦ったような色をしていて、酔ってはいないんだろうなと思った。
仮に酔っているとして、昼間からお酒を飲むのはどうかと思うけれど…。

「少し気になることがあったのと……なんとなく、シエラさんがいるような気がしたので」

「あら。私を捜してくれていたの?
連絡してくれればいいのに」

「いえ、出来れば…偶然が良いなって」

「あらら。意外とロマンチックなのね。
でも、こんな場所じゃあ、ロマンチックも何もないわねえ。
相変わらず汚いわ。ここ」

そう言って、彼女は安っぽい扉を適当に蹴った。
ある程度は配慮したのか、扉は軽い音を立てただけで壊れはしなかった。

「はあ……」

なんとも的外れな言葉に、思わず曖昧な返事をしてしまう。
彼女はそんな私ににやりと人が悪そうな笑顔を浮かべてから、私の背後に回って、ぐいぐいと私の背中を押し始めた。
予想以上に強い力に足がもつれそうになる。
背中からは、ふわりと今日は石鹸の香りがした。

「ここじゃなくて、どこか違う場所に行きましょう?
そこのカフェなんてどう? 今日は特別に奢ってあげるわ。
リゼににも奢ったことないのよお、私」

「そのリゼと約束があるので、今日のところは遠慮しま――」

「紅茶もいいけど、カフェオレは好きかしら?
美味しいわよ。私のおすすめなのよ。
お喋りのお供にはぴったり」

言葉は遮られて、頭上から強制的な響きを含んだ声が聞こえてくる。
見上げると威圧的な笑顔があって、リゼが嫌いなのも解る気がした。

私は今日は香水がきついわけでもなく、リゼを裏切ったかもしれないけれど、だからと言ってこの場では好きも嫌いも解らない。
大学寮で初めて会った時は、なんとなく嫌だったけれど、今はそうでもない気がする。

明るい甘えるような目が焦っているからかもしれない。
彼女はどうして焦っているのだろう。
扉から遠ざけられているように感じるのは気のせいだろうか。

私が考えている間に扉は遠ざかっていく。
ぐいぐいと押されて、気づけば足は建物から外に出ていて、鼻のすぐ先を人が通り過ぎて行った。

「さあ、こっちよ。こっち!」

ポケットの中でCCMが鳴っているというのに取る間もなく、手を引かれて人波を掻き分ける。
リゼに比べて歩幅の合わせ方が上手いので、歩き易い。
慣れているというか、そのうち腕とか組んできそうだなと思ってしまう気軽さがある。

でも、その気軽さよりも今はリゼの所に行きたいのだけれど……。

そう考えている間にカフェに連れてかれ、瞬く間に私の手にはラテ・マッキャートが収まった。
………カフェオレが美味しいんじゃなかったのかな。

「…………」

「ミルクたっぷりの方が良いかと思ったのよ。
背は伸びた方がいいもの。
さあ、お話しましょう」

「…リゼが待っているので手短にお願いします」

「別に大丈夫よお。リゼなんて、待たせておけばいいの。
お互いのことをよく知るための会話の方が有意義なんだから」

「まあ、そうかもしれません」

というか、そうだろう。
今がそうかと言われれば、素直に頷けないけれど。

「何を話せば良いんでしょうか?」

「なんでも〜。
趣味とか好きな食べ物とか、そんなことでいいわよ。
最後には貴女の気になったこともちゃんと教えてね。
答えてあげるから」

「………分かりました」

きっとシエラさんが自分のことを話す気はないんだろうなと思ったので、私の方も無難な話を心掛けることにする。

「趣味は読書とLBX…だと思います。
食べ物は食べられればなんでも好きです」

「あら。意外と淡白ねえ〜。
そういえば、最近は大学寮に来るけど、そんなにアリシアのことが好きなの?
今度、二人で遊びに行くそうじゃない。
良く懐くわねえ」

そう言った彼女の瞳は妖しい色をしている。
疑っているような、馬鹿にしているような目。
その視線をどう見るべきかと悩む。
慣れてはいるけれど、あまりその視線を受け止めていて良い気分はしない。

彼女の目を見ていると、この人はきっとアリシアさんも私も大して好きではないんだろうなと思ってしまう。
そのことが私の中で、私の醜い想いに様々なことを決定づける。

少しだけ目を閉じる。
傍目からは味わって飲んでいるように見えるかもしれないけれど、コーヒーの味もミルクの味も全く感じられなかった。

私はしばらく考えてから、こくんと一つ頷く。

「優しいですし、一緒にいて嫌な気持ちにはならないので、会っていて楽しいです。
お母さんみたいですし……」

「確かに母親みたいにうるさいけれど、ふーん。そう。
大したことはなかったわね。
じゃあ、もういいわ。
ヨルの方は何が気になったの?」

三つぐらいしか質問に答えてないのに、そう言われてしまった。
グラスの中身はまだ残っている。
視線をあまり上げないようにしながら、何を質問しようかと考える。

彼女に気づかれないように、さりげなく鼻をひくつかせる。
コーヒーの香りと、それから石鹸の香りしかしない。

「………どうして、リゼを大学寮から追い出したんですか?」

結局は当初から思っていたことを訊く。

彼女はにこにこと笑っていたけれど、質問をした途端、その笑顔が固まったのが分かった。
私はグラスの中身を飲み干して、それをテーブルに置く。
ことりと、小さな音がした。

グラスの底でコーヒーとミルクのマーブル模様が混ざり合うのを見つめてから、顔を上げてシエラさんの視線を受け止める。

「あれはリゼのしたことだから、私は当然のことをしただけなのだけれど、なあに?
私の方が悪いと思ってるの?
リゼの味方だから?」

絡み付くようなねっとりとした声。
その声に表情を変えないように注意しながら、私は小さく頷く。

「………はい。
リゼの味方だから、本当のことを知った方が良いと思って。
それとも、どうしてさっき『相変わらず』という言葉を使ったのかを訊いた方がいいですか?
あの建物には何度も行っているんですか?
何をするために行っているんですか?」

直感的に思ったことを口にする。

この人がリゼのことを貶めたのなら、どんな理由があったのだろう。
別にリゼのことが疎ましくても放っておけば良かったのに、と私は思ってしまう。
「疎ましい」ということだけで理由は十分なのかもしれないけれど、本当にそれだけなのか。

その他に理不尽ではない理由が、あるのではないの?

目の前のシエラさんは笑顔のまま、私を凝視する。
ゆらゆらと綺麗な茶色の瞳が揺れる。
さっきまでは優雅な仕草をしていたその手の中の白いカップが今にも落ちそうだった。

「特に理由はないわあ。
あの建物にいたのは偶然よ。ぐ・う・ぜ・ん。
それに、小さい子があんな人気のない所にいるのは良くないわ。
襲われちゃうわよ」

カップを持ち直し、再びにこりと笑いながら彼女は言う。

「……なるほど。言えるような秘密は何もないんですね」

私は自分でも嫌味だなと思いながら、私は呟く。
私の呟きにぴくりとシエラさんの眉が動いた。

疎ましげに私を見る目。
原因が分かっているから、怖くはない。
すうっと細められた茶色の瞳の奥には、背後の喫煙席の煙草の煙が映る。

ゆらり、ゆらりと変幻自在に。
瞳に映った私の姿もゆらりと揺れた。



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