18.聖らかな罠
ぷかりとパイプから煙が漂う。
煙草とは違う、薄荷の甘い香り。
ちょっとスッキリする。
私は手元のLBXの資料を見ながら言った。
今日はヨルが出かけているので、私一人で資料のまとめをしている。
誠士郎さんがいるのも珍しいが。
「好きですね〜」
「煙草が吸えないからね」
ぷかり、ぷかり。
文庫本を恐るべきスピードで捲りながら、パイプを吹かしていく。
ブックカバーを掛けているから分からないけど、何を読んでいるんだろうか。
「吸ったらいいじゃないですか」
「禁煙中。
そのうち、これも止めるよ。
真似して吸ったら困る。
そういえば、ヨルは?」
「大学寮に友人に会いに行ってます。
アリシアのこと、すっごく気に入ってるみたいで…」
「まあ、あんまり友達がいないから、いいんじゃないかな。
いや、本当にあの年の子は難しいね」
誠士郎さんはそう言ってから、読んでいた文庫本をまた本の塔に置いた。
また次の本を手に取る。
「……しっかし、なんでアリシアのこと、あんなに気に入ったんだろう?」
それに関しては私は首を傾げるしかなかった。
■■■
「こんにちはー」
「あら、いらっしゃい。ヨル」
「お久しぶりー!」
マーガレットさんに許可を貰ったのか、ヨルが自習室の扉を開けて、私たちを覗き込んできた。
目の前のソフィアは勉強に飽きたのか、ヨルの姿を見つけるとすぐに教科書やノートを私に押し付けてきた。
私は彼女に逃げられる前に押し返す。
「まだ終わってないから」
「え〜!
いいじゃん。もう十分したよ。
それにアリシアがいるから大丈夫だって」
「あのねえ、私は情報系は専門外なの。私の専門は法学。
大丈夫なわけがないでしょう。
ソフィアが勉強しないから、ちょっと知識が身に着いただけよ。
他の人にも教えるんだし…」
「ヨルー!
今日は何の用?」
「話を聞きなさい!」
ヨルも困ってるから。
ずんずんと彼女に近寄っていくソフィアを捕まえようと思うけれど、押し付けた教材をそのままに進んでいってしまう。
「今日はソフィアさんに用がありまして…その、この前のスクラップ帳を見せて欲しいんです」
「スクラップ帳?」
思わず小首を傾げてしまう。
あんなものを見てどうするのかしら。
ソフィアの方を見ると、スクラップ帳と言われた時点でキラキラと目を輝かせていた。
「いいよ!
いつも持ち歩いてるから…ちょっと待ってて!」
私が押し付けた教材の中から急いでスクラップ帳を取り出す。
分厚いそれを無遠慮にヨルに渡した。
予想外に重かったのか、スクラップ帳を持ってよろめいてしまう。
「大丈夫?
私たち以外は誰もいないし、座ったらどう?」
「えっと、では、失礼します」
私がそう声を掛けると、彼女はにこりと明るく微笑んで、私の横に腰掛けた。
一ページ目から丁寧にスクラップ帳を捲っていく。
私はソフィアが逃げるんじゃないかと思っていたけど、スクラップ帳を見てもらえるのが嬉しいのか、意外にもすんなり席に着いた。
勉強する気はなさそうだけれど。
「LBXの事件が多いんですね。
この前の事件のこともスクラップされてます。
情報も多い……」
「有名だからね!
大体集めてるよ。
あとは細かい情報は人から聞いてみたり、アリシアから聞いたりね。
いやー、アリシアは顔が広いからすぐ集まる!」
「自分で集めなさいよ」
私はヨルが広げているスクラップ帳を横から見ながら言ってやる。
個人的にも気になりから集めているから良いけど、面倒というかなんというか。
まあ、本人もそれなりに集めているみたいだけど。
新聞の切り抜きの横にはLBXの特徴が書かれている。
ヨルはそれをじっくりで指でなぞりながら、読んでいく。
難しい言い回しも多いのか、読むスピードはすごく遅い。
「……ん?」
とある記事でヨルの視線と指が止まる。
彼女はそおっとスクラップ帳をアリシアの方に向けると、その記事を指差す。
私とソフィアもそれを覗き込んだ。
「この記事、今までのと関係ありますか?」
「ああ。それ?
それはね、えーと…この前の記事のこの人!」
ページを遡り、別の記事をソフィアは指差す。
ヨルはその記事をもう一度読み直し、首を傾げた。
「麻薬の売人だったらしいんだよね。
だからこの事件をきっかけに調べて、捕まったって記事が出た。
他にもこれと同じように捕まった人がいるんだよ」
彼女は「ほら!」と言いながら、他の記事も指差していく。
そのスピードが速くて、ヨルの目が追い付いていない。
「こら!」とソフィアを叱ってから、ゆっくり読むようにヨルを促す。
「ありがとうございます」と彼女は微笑んだ。
「意外にも多いんだよね。
襲われた犯罪者。
これを見るとさ、それほど悪いことをしてないように思えるんだよねー。
この犯人は。
いいよねー。私もこんなことしたいよー」
「へえ……私も知りませんでした。
盲点です」
「ソフィア、同調するんじゃありません。
相手を傷つけている時点で犯罪者よ。
もしも分かってるなら、素直に通報するべきだわ」
「通報じゃあ、出来ないこともあるって。
アリシアは頭固いなー!」
「一般常識があるだけです。
理由のない犯罪の擁護は出来ません!」
「じゃあ、理由のある犯罪なら擁護できるの?」
「理由次第ね。現段階では、何も言えないわ。
それにこの前の被害者は私たちの同級生よ」
「いやー……それはそうだけどさー…」
さすがのソフィアも言い淀む。
変なことを言う子だけれど、ソフィアは根は悪い子ではない。
自分であまり一般的な考えではないと分かっているとは思う。
それに小さな子もいるんだから、あまりそう言うことを言うべきじゃないわ。
「前のって顔を火傷させられた人ですか?
アリシアさんたちの友達なんですか?」
ヨルが驚いたように私にそう畳み掛けてくる。
私は頷いて、仕方がないと思って言うことにする。
ソフィアは元から話す気満々なのか、うんうんと何度も頷いた。
「私たちは郊外出身でね、私たちが通う学校に転入してきたのがあの子なのよ。
あの頃から綺麗だったけど、顔を傷つけられるなんて思わなかったわ。
あまり自分の美しさを鼻に掛けなかったけれど、それが自信の元みたいな子だったから……ショックだったんでしょうね。
自殺未遂なんて…」
「いじめ…」
「そうそう。転入したての頃、鼻持ちならないっていじめられても平気そうな顔してたのにさ。
まあ、すぐに教師も気づいていじめはなくなったけど、あいつ、綺麗な顔して気が強いからなあ。
私も結構色々言われたし、色々されたなー。
あいつさ、自分からいじめられてるって教師に言って、自分で解決して、最終的に私たちと友達にまでなったんだよ。
でも、今回の件はなー。さすがになー」
「あのね、もう少し深刻になりなさい。
色々あったけど、私たちの友達でしょう。
最近は交流はないけど。それに、被害者に結構私たちの元同級生、いるわよ」
悪いとは思ったけど、ヨルからスクラップ帳を取って、その記事を示す。
ヨルはすんなりとスクラップ帳から手を離して、ソフィアはその記事をじっくりと見て、ちょっとおどけるように首を傾げた。
「確かに私は個人的に色々あったけど…。
それにしても、いたかー? こんな奴」
「いたわよ。この他にも何人か。
私たちの同級生に限らず、警察に言ってないだけで他にも被害者はいるだろうし……。
本当にどこまで増えるのかしら」
「LBXを壊しても次の奴が用意されて、イタチごっこだろうしね。
あー…でも、捕まる前に一勝負したいよね。
アリシアもそうでしょ?」
「どうして、そういうことになるのよ。
私のウォーリアーをそんなことには使いません!
それよりも勉強しなさい。
ヨルだって、そう思うわよね?」
「え? ええっと……私はですね、実は一回戦ってます…」
とても申し訳なさそうに、スクラップ帳から顔を上げた。
ソフィアと二人して目を丸くしてしまう。
私はヨルからスクラップ帳を半分強奪して確かめ、ソフィアは彼女に詰め寄った。
ヨルが嫌々と言うように、必死でソフィアの顔が近づくのを手で制している。
「どういうこと!?
倒したの!?」
「いえ、倒してはいないです。
むしろ私の方が負けそうだったというか、半分以上負けてました。
どうにか逃げられたくらいで……」
「逃げられたの!?」
すごい勢いでソフィアが喰いつく。
私はスクラップ帳の確認を終える。
名前がないのは分かっていたけれど、確認しなければ気が済まない。
「逃げられたのなら、良かったわ。
危険なことしちゃダメよ。ヨル」
「はい。ごめんなさい……」
「いやー、ここは褒めるべきでしょ。
詳しいことを是非!
強かった? 強かったよね?」
ソフィアが強引にヨルに迫る。
その失礼な態度に思わず溜め息が零れた。
明らかにヨルは困っている。
小さい子を困らせるのはいけない。
そう思って、私が止めに入ろうとすると、困っていたはずなのに不意にヨルが笑った。
少し鼻で笑うのも忘れない、彼女の性格からは似合わない、不敵な笑み。
嘲笑にも似ている笑み。
さらりと亜麻色の髪が肩から落ちた。
「強かったですけど、それだけです。
攻撃を不意打ちに限定していること。
自分の得意な場所でバトルをしていること。
オリジナルのLBXを使用していること。それによって、攻撃の動きを読みにくくしていること。
あちらに優位な状況を揃えているから、毎回勝てるんですよ。
この前は引き分けましたけど、次は絶対に負けません。
犯罪者を野放しにしておくわけにはいきませんから。
安心してください。アリシアさん、ソフィアさん」
「お、おお…」
「それは…頼もしいわね」
はっきりと言われ、実に反応に困る。
そこまで好戦的な性格だったかしらと思うと同時に、それがすごく似合うような気もする。
彼女は獲物を見つけた獣のように目を細め、ソフィアを見たような気がした。
私の方が一歩後退してしまうぐらいに鋭い目つき。
ヨルはそれからにこっと、とびきりの笑顔で笑う。
「次は何をしても絶対に勝ちます」
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