Girl´s HOLIC!

16.深淵の城


「ここの埃は喉に悪そうだから帰ろう?」

小さくわざと気に咳き込みながらそう提案するけれど、ヨルはCCMの明かりで暗い廊下を照らしながら、首を確かに横に振った。

「喉を大切にしなければ出来ないようなことは一つもしていないし、私の喉にそれほどの価値はないから、いいよ。別に。
リゼの方は発表とかよくするみたいだから、外で待ってて」

素っ気ないながらも優しい声音で彼女は言う。
ヨルにしては…というほど彼女を知っていると自負出来るわけではないけど、強い口調だなと思った。
感情を抑えたというか、漸く本性を現したかなみたいな変な錯覚すら起きる。

それが余計に心配で、彼女に付いて行くしかない。
……というよりも、一人で背後にある長い廊下を歩ける自信が今のところない…というのは黙っているとしよう。

ヨルは足元を慎重に確認しながら、廊下を進んでいく。
床板が軋むたびに肩をびくつかせながらも、その行動がちょっとおかしいことに気づいた。
真ん中よりも少しずれて歩いているのだ、彼女は。

「ねえ、リゼ。
さっき言いかけた、『ここは有名な……』の後って何が続くの?」

静かな、暗い空間に似つかわしい声で私に訊いてくる。
私はなんとなく声を潜めつつ、その質問に答えた。

「幽霊屋敷って言おうとしたの。
言う前に中に入ったけどね」

「……ごめんなさい。
それで、なんで幽霊屋敷?」

「うーん…昔、住人が自殺したとか、とある美人が老いるのが怖くて自殺したとか、孤児の子がここで死んだとか、ご老人が殺されたとか……多分、どれも嘘だろうけど…」

噂に尾ひれが付き過ぎただけで、本当は金銭問題で手放すことになり、不動産会社が諸々の理由で頻繁に移り、管理関係が難しくなって放置されているだけだったような気がする。
言っていたのは、間違いなくシエラだ。
……大学寮で親しかった奴といえば、彼女の名前しか出て来ない自分が悲しい。
アリシアは寮長として親しかっただけだからなあ。

「そう…。
頻繁に人の出入りがあるみたいだね。
最近はないみたいだけど…」

「幽霊は好きだから。若いと。
それにここ最近は外に楽しい遊びがあるし、LBXがあると、幽霊騒ぎって大体ネタバレになるから」

LBXを使ってシーツを動かすとか、目を光らせるとか…そういえば、そんな方法で通り魔をした場所もあったな。
どこだっけ?

「……若さは関係ないと思うけど、そっか。そういう使い方もあるよね。
ここには、LBXの足跡はないけど」

そう言いながら、一つの扉を開ける。
建てつけの悪くなったギィーという音が響くと、肩が跳ねそうになって、慌てて平静を装った。

ヨルが扉の前で立ち止まるので、私はその頭上から部屋の様子を覗き込んだ。
その部屋は多少は陽の光が入っていて、幽霊屋敷がただのボロ屋敷であることを明らかにしていた。
細かい埃が舞っているのがよく分かる。

部屋に入るのかなと思っていると、ヨルは無言で扉を閉めてしまう。

「調べないの?」

「うん。必要がないから」

軽い足音を身長に響かせながら、彼女は次の部屋に向かう。

開いては閉じ、開いては閉じを繰り返し、廊下に高く積まれていた古い段ボール箱や枯れた植木を調べる気はないらしく、無視して進んでいく。

幽霊が出て来るのを楽しみにしている訳でもなさそうだし、彼女は一体何をしてるんだろう。
いや、そもそも昼間だし、幽霊探しには最適とはいかないか。
こんな時間じゃ、さすがの幽霊も寝ているはず。

出来れば、そのままずっと寝ていて欲しい。

「………リゼ。外で待っててくれないの?」

暗闇に目が慣れて来て、きょろきょろと辺りを見回していると、ヨルがそう頼むように言ってくる。
私はそれに首を傾げるしかなかった。

頼むようではあるけれど、さっきと同じ強い意志が見える。

何か付いて来て欲しくない理由でもあるのだろうか。
目的があって来た場所でもないのに?
本命はここじゃないのに、そこまで真剣になる理由がここにあるのか。

「付いて行く。この場では私がヨルの保護者だし」

元から用意していたともいえる答えを言う。
彼女に何かあれば助けなくてはならないし、二人の方がいざという時対応しやすいはず。

彼女は日本人らしからぬ青色の目で私を見上げる。
暗い中そこだけ光るように濡れていて、私たちの青とはまた違った色をしている。

「そっか…。うん。分かってた」

彼女は一人納得したように、苦笑しながら頷いた。

「分かってたなら、良かったような…悪かったような…」

曖昧だなあと思いながら、私もヨルに倣って慎重に歩く。
彼女はひたすらに下を見ながら、中心からずれて歩いて行く。

「ねえ。何か探したりはしないの?」

「探してるよ」

「え? 何を?」

「足跡」

彼女は短く言うと、埃が肩に乗るのも気にせずに、その場にしゃがみ込んだ。
CCMの明かりが床に丸く広がる。
私はそれが何を意味するのかいまいち分からなかったので、少し屈むぐらいに留まる。

「……これ」

ヨルが指差したのは、何の変哲もないただの足跡だった。
ここに忍び込んだ子供か学生の足跡だろうか。

「ええっと…」

言い淀んでいると、ヨルはそれとは別の足跡を指差す。

「埃の溜まり方からこれは前の。
私が今指差したのは、昨日今日ぐらいのやつだと思う」

そう言われて、よく足跡を見ると、確かに少し新しい感じはする。
でも埃が溜まった上から踏みつぶしたみたいで、一見すると何も変わらないような気もした。

「この足跡、家の中に進んではいるけど、戻って来てはいないんだよ」

「……本当に?」

「うん。間違ってはいないと思う」

「は〜…ごめん。私には違いがよく分かんない」

「それでいいと思うよ。
こんなの、解っても良いことなんて、きっとないから」

彼女はいつもよりも、数段冷静な声で呟いた。
それに、少しぞっとする。
目の前にいるのが誰か、思わず疑いそうになったけれど、雨宮ヨルという女の子としか答えようがない。

「この足跡、女の人なのかな?」

私に確認を取るように小さく首を傾げられるけれど、私には分からないんだけど…。
まあ、ちょっと細めの足跡なので、女の人かもしれない。
そう返すと、「そうだよね」と小さく彼女は言った。

しかし、戻って来ていないって、裏口からでも出たのか?

「もう少しでこの廊下も終わりかな」

彼女はゆっくりと立ち上がりながら、暗い廊下の奥の奥を見つめる。
青い瞳には鈍い光があるような気がしてならない。

ヨルは一回だけ私を見ると、嫌に大人っぽく微笑んでから歩き出す。

私もその後に続くけれど、さっきみたいにぴったりと彼女の背中に付いていることはちょっと出来なかった。

慎重に、時間を掛けて歩いていると、やっと家の端らしき場所にまで辿り着く。
そこから先は部屋はもう一つしかない。
ここまででなかった部屋といえば、寝室かなと思いつつ、ヨルの行動を見守る。

ヨルは扉の前で、ここに来て、やっと何かを探し始めた。

私も探したかったけれど、何を探しているかが分からない以上、私が探すと何か壊す可能性がある。
よく考えれば、不法侵入だしなあ、これ。

「………」

しばらく何か探していたかと思うと、彼女はドアノブを握る。
握って、その指の先に埃が少ししか付いていないのが妙に気になった。

「リゼ。やっぱり、今からでも外で待っててくれはしない?
玄関まで送るから」

彼女がもう一度私に確認する。
私はそれに首を勢いよく横に振った。

「ここまで来たら、一緒に部屋ぐらい見てやるんだから」

私が強くそう言うと、さすがにヨルは諦めたらしく、ドアノブをゆっくりと回す。
扉を開くのは、深くゆっくりと深呼吸してから。

吐き出す息が少し震えていたのは、気のせいかな。

ギィっと扉が音を立てて開く。
ぶわりと埃が…少しだけ舞い上がった。

古ぼけたカーテンから少しばかり光が漏れてくるだけのその部屋は、思った通り寝室で、大きなベッドが置かれているのが見えた。
CCMの光だけを頼りにしなくてもいいぐらいに明るいその部屋に、ヨルが一歩足を踏み入れる。

踏み入れて、ベッドの上にその視線を止めた。
私もその後を追う。

「………?」

追って行って、まず見えたのは、床に転がった茶色の薬の瓶らしきもの。
それから、蓋。

それから……ベッドの上に、胸の上で手を組んだ…人が…

「ゆっ…!」

「幽霊じゃない。あれは人間」

私が叫びそうになって、一歩後退すると、ヨルはすぐにベッドの上の人物に駆け寄った。
私と違って全く動揺せずに、近づくとすばやく脈を計り、CCMでどこかに連絡しだす。
その様子を見て、私もやっと震えた足を動かせた。

「じゃ、じゃあ……死体!?」

私がそう言うと、おそらくは救急車を呼び終わったらしいヨルが首を横に振る。
彼女は側に転がっていた薬の瓶のラベルを確認しながら、私へと視線を移した。

慌てた様子のない、冷静な瞳をしている。

「…まだ生きてる。
この種類の睡眠薬を大量摂取したぐらいじゃ、ただの昏睡だよ。
それに睡眠薬で簡単に死ねる訳がない。
大丈夫。助かる」

しっかりとした声だった。
瞳と同じように冷静。

私といえば、生きていると言われたところで、ばくばくと心臓がうるさい。
何かしなくていいのか、おろおろしてしまうけど、彼女はそんなことはないのだろうか。

ヨルは手を組んで眠っている、よく見ればぐったりとしているその人の顔を覗き込んでいた。

「睡眠薬とか、詳しいんだ…」

声が震えていないかと不安になりながら、どうにか話し掛けると、ヨルは視線をその人に向けたまま言った。

「………そういうのに、詳しい人がいたんだ。
それよりも、この人…」

話を逸らすような言い方だった。

気になりはしたけれど、それよりも…というヨルの声は深刻そうだったので、恐る恐るベッドに近づく。
床板の軋む音が不気味に響く中、彼女のしているようにベッドを覗き込む。

だらりとした指。
よく手入れしてある長い髪。
首には刃物で切られたらしい傷跡が。
疲れ切った表情をしたその人の顔には、包帯が巻かれていて、その下には火傷のような大きな跡がある。
顔は元はかなり美人だっただろうに、その傷が残念でならないと感じてしまう。

「あれ? なんか知ってるような…」

顔は知らないけど、特徴はどこかで知ったような気がする。
混乱した頭の中から記憶を探り出そうとして、ヨルが先に答えを言ってしまった。

「リゼの先輩と一緒にいた人だよ。多分。
綺麗な人だし、火傷の跡もそんなに前じゃないんじゃないかな」

そう事も無げに言ってしまった。

それから、薬のラベルをもう一度じっくりと眺めてから、どこか冷たい目をして呟いた。

「こんなので、そう簡単に死ねるはずがないのに……」



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