10.白鳥のもがき
「ここは……」
ヨルが入っていったカフェの名前を見つめてしまう。
そこは美味しいけど高いと有名な所で、学生よりもお金を持った会社員や暇を持て余した奥様方が利用する場所だ。
彼女はそこに入っていった。
私はどうしようかと考えて、CCMの中の電子マネーと財布の中身を確認する。
今日はあまり持ち合わせがない。教材費のこともあるから……。
……紅茶の一杯ぐらいならいけるだろうか。
私は財布とCCMを握りしめて、カフェの中に入る。
ヨルがこちらに背を向けているのは幸いだ。
席はなるべく相手が見えて私が見えにくい位置、顔がバレているヨルに背を向ける形で座る。
メニューを見ると、案の定高い。
若干笑顔が引きつりそうになりながら、一番安い紅茶を頼む。
店内は静かで、話をしているヨルたちの声はよく聞こえる。
ヨルの前に座っているのは、彼女と同じように亜麻色の髪と青い目をした女性。
グレーのスーツ姿で、髪は左側で緩くひとつに結ばれている。
背筋を伸ばし、とても丁寧な所作でカップに口を付けていた。
見るからに仕事が出来る人といった感じで、座っているだけで威圧感がすごい。
ちらっと見たヨルも背筋を出来るだけ伸ばし、緊張した面持ちで座っていた。
「……一か月前、誠士郎が家にいない間に、一週間ほど学校を休んだらしいな。
大丈夫か?」
どことなくヨルに似た凛とした声だった。
自然と私の背筋も伸びる。
「あ、はい。体調管理がなってなくて…、今は大丈夫です。
問題ありません」
「それだけか?」
「はい。…それだけ、ですけど?」
「………そうか。勉強の方は?
この前の成績はあまり良いとは言えなかった」
「……あ、あれが精いっぱいです。
毎日、復習と予習はしてます」
「そうか。頑張った結果なら、いい。
復習と予習は欠かさないように。
勉強はしておいて、損はないから」
「はい」
「それから、厄介なことに首を突っ込んだようだが、あまり無茶はするな。
誠士郎はどう考えているかは知らないが、私はあまりそういうことはするべきではないと思う。
仕方がない時はあるかもしれないがな。
いいか。ヨル。
もしも、そういうことをする時は、自分の力量を計り間違うなよ。
やれることを見極めてやれ。
お前は弱くはないが、強い人間ではない。器用でもない。
嘘が上手いだけの人間だ」
「………はい」
ヨルがおどおどしているだけで、比較的普通の会話な気がする。
ただ相手の人の言葉に宿る自信とか威圧が凄いというか、何と言いますか…。
近況報告はまだまだ続く。
ヨルがたどたどしく話し、相手がそれに律儀に相槌を打つ。
どちらもあまり会話慣れしていない雰囲気が滲み出ていて、なんだかもどかしい。
もどかしいけれど、相槌には親しみがある。決して悪い雰囲気じゃない。
しかし…喋り方や雰囲気からはあの人が、メルヘンな物を送ってくるのだろうか。
………想像出来ない。
「え、と…リリアさん。
この前、頼んでいた物を送っていただいて、ありがとうございます。
すごく…役に立ちました」
「ん、どういたしまして。
役に立ったなら良かったが、あんなもので良かったのか?
もっと小物とか服とか、頼んでも良かったのに」
頼んだ方が良いと思うよ、ヨル。
というか、断った方が良いと思うぞ。
「いいえ。そこまでは……。
それに、私はあっちの方が、ずっと好きなので…」
蕩けるような声でヨルは言う。
聞いたのことのない甘い声に、思わず背筋がぞくりと疼いた。
一体何を頼んだのだろうかと思いつつ、耳を澄ましていると、相手の…リリアさん? は微かに溜め息を吐いた。
「……お前のそういうところはいつになったら、治るんだろうな。
社会生活が普通に送れているから、余計にたちが悪い」
心配するような、切実な響きが混じる声だった。
その声に、ヨルは不思議そうに言葉を返した。
「………治って来たと、思うんですけど…」
「海道君たちの尽力でな。
それで治って来たというなら、お前は重症だ。
……いや、自覚が出て来ただけマシなんだろうな。
経験してもいない私が、全て理解しようというのは烏滸がましい話だが…」
「いえ、烏滸がましくは…。
経験しない方が、ずっと良いことですから」
それは本心からの言葉なのだろう。
暗く沈み切った声が二人の間に響いた。
「……まあ、こういう話はまた後で。
ところで、お前の後ろにいる金髪少女はヨルの友達か?
さっきから聞き耳を立てているが」
「後ろ…?」
ガタリと椅子の動く音がして、視線が背中に注がれたのが分かる。
「リゼ?」
「………違いますよー」
「え、どうして?
家にいるって言ったのに」
「入って来た時からこっちを見ていた。
知り合い…いや、リゼといえば…今度来たという居候か」
違いますと言ったのに! 完璧にバレてる!
ヨルは声を潜めつつ、私の前に回って、顔を確かめる。
青色の目がゆるゆると驚いたように丸くなるのが分かる。
「いやー、そのー…ちょっとヨルが心配で…」
実際にはちょっと相手の方が見たかったのですが。
バレたら仕方がない。
私は紅茶を持って、席を移動する。
「はじめまして。誠士郎さんの家に居候させてもらっている、リーゼリッテ・ノーマです」
私が自己紹介すると、その人はちらりと私に視線を向けてから、ティーカップに口を付ける。
真正面から見ると、整った顔をしているのがよく分かる。
青く澄んだ瞳は、本当のことだけを見透かすかのように鋭い。
二人は親戚というわりに、姉妹のように感じるぐらい似ている気がする。
親子…にも見えるけれど、怖いので言わないでおこう。
ヨルと違って目が鋭く、大人っぽいけれど。
態度が凛としていて、とてもかっこいい印象を受ける人だ。
「聞いてるよ。ヨルの手紙に書いてあった。
私は、リリア・エイゼンシュテイン。
ヨルの母方の親戚だ。
ヨルが世話になっている。
よろしく。リーゼリッテ」
「リゼでいいですよ」
「それでは、リゼ。
ちょうど良い。他人から見たヨルの様子を聞いてみたかったところだ。
少し話そう」
「はあ…」
そう言うと、彼女は私に質問を投げかけてくる。
ヨルは普段どうしているかとか、迷惑は掛けていないかとか、仲良く出来そうかとか。
言葉の端々にヨルへの心配や親しみが滲み出ている気がする。
悪い人ではないと思った。
寧ろ良い人かな。
「リリアさんはヨルの金銭的な面を援助してるんですよね?
どうしてですか?」
誠士郎さんがいるなら様子を見るだけでも良い気がする。
彼も二人分を賄えるほどには稼いでいると聞いているし…。
リリアさんは私の質問に、ちびちびと紅茶を飲むヨルを一瞥してから、つまらなそうに答えてくれた。
「本当は引き取るつもりだったんだ。
だが、私の方が仕事の関係上、誠士郎よりも家にいる時間が少ない。
ヨルにとっては、それがあまり良くないことのように思えた。
幸い、彼と私はどちらもヨルを引き取る気があったからな。
私は学費や生活費等の金銭的援助に回ったんだ」
リリアさんの答えに、隣にいたヨルが正しいと言うようにこくこくと頷く。
「あとは…そうだな。
ヨルはあまり服や小物を持ってないから、送ったりしている」
「ヨルから聞きました…。
あれって、やっぱりリリアさんの趣味なんですか?」
一番訊いてみたかったことを訊く。
一際声を小さくしたのは、ものすごい秘密がありそうな気がしたからだ。
少しドキドキして、ワクワクする。
秘密というのは、いつになっても甘美な響きがある。
「私の趣味…というよりも、母の趣味だな。
私は服に興味がないから、昔着ていたものが良いかと思って選んでいる。
小物も同じだ」
「へ、へえ〜…」
ギャップとかじゃないのか。なんだろう。すごく残念だ。
私が密かに残念がっていると、今度はリリアさんの方が私に質問してくる。
「リゼはLBXはするのか?」
誠士郎さんと同じような質問だった。
やっぱり、ヨルがLBXに熱心だから気になるのだろうか。
「いえ! 私はしませんよ。
そういうリリアさんはするんですか?」
「私もしない。
海道元先進開発省大臣の件もあるから、兵器としては有用ではないかと思っているがな。
A国にLBX管理機関が新たに造られたことからも、その有用性は明らかだろう。
玩具としておくのは惜しい、我が国にも欲しい技術だ。
当の山野淳一郎博士はLBXの兵器としての価値は認めたくないようだが……。
しかし、日本とA国にLBX技術が集中しつつある現状は、私たちからすればあまり好ましくない」
彼女はきっぱりと若干苦々しげにそう言い切った。
まだそんなに多くのLBXの本を読んでいた訳ではないけれど、LBXの技術は凄い。
機械として、とても優秀だ。
今では工事現場や警備にも使われていると聞く。
そのうちに、宇宙開発の方にも使われるのではないかという話もあるという。
兵器に使えるというのも納得か…。
LBXには無限の未来があるように思えるけど、そんな未来は嫌だなと思う。
そういえば、海道元大臣についてはイギリスでも結構話題になった。
そうか。あれにもLBXが関わってたんだ。
「………」
ヨルは私たちの会話を視線を下げ、残り少なくなってきた紅茶を飲みながら、黙って聞いていた。
それに気づいたのだろう。
リリアさんは不器用にぽんぽんとヨルの頭を軽く叩いた。
ヨルはこの中で唯一LBXを持っているし、耳の痛い話なのかもしれない。
彼女を見つめるリリアさんの目は、それを含めて全てを知っているかのようだ。
「イギリスに来たのは、その関係でもある。
無理だとは思うが、山野淳一郎博士に技術提供の打診だ。
それまでに、ちょうど時間があったから、ヨルに会いに来た」
「リリアさんの仕事って、外交関係か何かですか?」
「そんなところだ。政府関連…とも言えるか。
詳しいことは言えない」
「いや、そこまでで十分です。
……箝口令とか、出しませんよね?」
「これぐらいじゃ出さないよ。
それにリゼは信頼出来る。
誠士郎が家に住まわせたのも納得だ」
この短時間でか…。
なんだろう。誠士郎さんと同じような感覚してるなあ、この人。
「ちなみにどういう所が…」
「程よく汚い所だな。
信用出来て、信頼出来る。
綺麗すぎる人間は近寄りづらくていけない」
「はあ…」
相変わらず、褒められているのかどうか解らない部分を評価される。
彼女は私の返事は何も気にしていないようで、飲み終わったカップを音もなく置くと、すっと綺麗な動作で立ち上がる。
その間に、腕時計で時間を確認する動作も入っていたけれど、無駄のない動きで惚れ惚れしてしまうほどだ。
「時間だ。
私はもう行く。
ヨル。何かあったら、必ず連絡すること。
私を頼れ。手紙も待ってる。
学校はなるべく行くように。
あと、それからこれを…」
彼女はスーツの内ポケットを探ると、ピンが付いた小さな缶みたいな物を慎重に取り出した。
ラベルも何も貼っていない銀色のそれは、ヨルの手に乗せると随分大きく見える。
二人してまじまじと見つめていると、リリアさんは小声でそれの名前を言った。
「閃光手榴弾だ。
威力も低いし、五感を麻痺させる程じゃない。
万が一の時は使え」
物騒極まりなかった。
要は爆弾。持たせてもいいのだろうか。
火薬は使ってなさそうだから、違法性はないのかもしれないけれど。
ヨルはそれを恐々と握り直して、ピンが引っ掛からないように注意して、ポケットに仕舞いこんだ。
そして、こくこくと解ったというように頷いた。
「は、はい。分かりました。リリアさん。
手紙の返事、私も待ってます。
あと…山野博士によろしくと伝えて頂けると…嬉しいです」
「分かった。必ず伝える」
凛とした声でそう言うと、リリアさんはヨルの頭を優しく撫でた。
それをヨルは目を細めて、気持ち良さそうに受け入れる。
その瞬間はヨルの緊張が解けていくのを感じた。
信頼しているというのがよく分かる光景。
「リゼ。ヨルをよろしく」
「はい。出来る限り、頑張ります。
あ。山野博士に会うのでしたら、山野博士の本、とても読みやすくて、解りやすいですとお伝えください!
楽しい本でしたも、一緒に!」
「分かった」
最後に私とリリアさんはCCMの連絡先を交換する。
「それでは。失礼する」
素っ気ない別れの言葉と共に、どこか自信に満ちた歩みでリリアさんはカフェを後にする。
自分と私たちのお会計をさり気なく済ませたあたり、とてつもなくかっこいい。
彼女は外に出て、CCMを開いてどこかへと電話をしているようだ。
ちらりとヨルを見てから、駅の方へと歩いて行った。
「……予想よりも良い人だったね。
怖がる理由は、あんまりないんじゃない?」
私は椅子に座り直して、目の前に座るヨルにそう言った。
ちょっと物騒かもしれないけれど、良い人だとは思う。
目が鋭くて怖いけれど、そこを抜かせば綺麗だし、それ程苦手意識を持つ様な人でもない…はず。
ヨルはふうと息を吐き、切なそうな顔をする。
ただし、目だけは怜悧に青く光っていた。
「うん。良い人。
でも、リリアさんは、本当のことが全部見えてしまう人だから。
今日も釘を刺された。何も言っていないのにね。
そういうところが、私は怖いよ」
そう呟いたヨルの手は微かに震えていた。
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