碧棺左馬刻にとってバレンタインとはただただ憂鬱な日であった。
そもそも甘いものをあまり好まないためもらったところでろくに食べもしないし、自分から送るという発想などハナからない。妹が自分にくれる分には大歓迎なのだが、他の男の分を用意していないかのチェックは欠かせなかった。外を歩けば女共がチョコを押し付けて行き、仕事で寄るキャバクラなどではやけに高そうなパッケージのものを渡さる。その日1日は車が紙袋やらなにやらでパンパンで、甘ったるい匂いが車内と事務所に充満する。1番面倒くさいのは仕事上無下にできない相手からのチョコだ。お返しを考えるのが心底面倒くさい。消費やあからさまに手作りのものを捨てていく作業は舎弟に任せるとしても、たった6文字を見るのもしばらく遠慮したくなるほど憂鬱な日であった。
そう、確かに憂鬱な日であったのだ。


2月13日

スイスイとスクロールするのはたまたま目にした「ヨコハマ、14日限定メニュー特集」チョコを贈るというより、チョコを食べる日となった昨今、こうしたイベント事を行うカフェはこのヨコハマにも少なからず存在しているらしい。外観や内装、メニュー内容をひとつ1つ確認して、どの店が1番撫香好みかを考える。確か明日は午前中の授業だけ出ればいいと言っていたはずだ。授業終わりに迎えに行って、そのままどこかで昼ごはんを食べブラついてから人の少なそうな時間にカフェに行けばいいか。
とそこまで考えて我に返る。何故自分は大嫌いなバレンタインデーのためにここまで真面目にデート計画を立てているのだろうか。画面を閉じ、放り投げようとしてふと視界に入ったのはこの前ホーム画面に設定した、幸せそうにパンケーキを頬張る撫香。ああそうだ、撫香には常にこういう顔をしていて欲しいのだ。以前の左馬刻からは考えられない思考に頬を緩めつつ、記事を見ただけで甘くなった口にコーヒーを流し込む。
撫香がランチに行きたがっていた店もちゃんとチェックをしている辺り、この男、惚れたら尽くすタイプなのである。

「明日の予定ですか?」

惰性でテレビを眺める撫香が擦り寄るように見上げてくる。首筋を撫であげるように髪を梳けばくすくすと擽ったそうに笑った。猫のようだと思いながらゆるゆるとした手つきで先を促す。

「3限目までは出なきゃです」
「その後は?」
「その後?……あ、久しぶりに左馬刻さんがお休みの日なので家でのんびりしよっかなー……なんて」
「……あ?」

あのイベント好きの撫香が?バレンタインデー当日にバレむしろ家でゆっくりしたいだと?
咄嗟にでた声は自分でも驚くほど低くて、ぴくりと反応した撫香は叱られた子犬のような顔でこちらを伺ってくる。
違うそうじゃない、怯えさせたい訳じゃない。

「あれだ、好きそうなの、そこらでやってるだろ」
『明日に迫った年に一度のバレンタインデー!その日限定メニューを提供するお店も多くーー』
「……ちっ」

音に反応してテレビを眺めていた空に溶けそうな青い瞳が、少しの期待を孕んで再び見上げてくる。何か言いたげに何度も口を開いては閉じ、だって、と漏らした言葉は左馬刻の口の中に消えていった。ちゅっちゅっと戯れのキスを繰り返せば、観念したかのように身体を預けてきた。

「だって左馬刻さん、人混みも甘いものも苦手じゃないですか」
「ンなもん今更だろ」
「きっとパンケーキのお店より並びますよ?店内はいつも以上に甘い匂いでいっぱいですよ?」

見上げる瞳は濡れていて、狐の嫁入りという言葉を思い出す。澄みきった青さは左馬刻のものであることの象徴のようで見ていて気分が良かった。
それがどうしたと言っても撫香はでも、だって、と言葉を繰り返す。年に一度の日だ。普段我儘を言わないのだからこれぐらい連れて行ってと強請ればいいものの、彼女の頭の中は常に左馬刻のことでいっぱいだ。家でゆっくりしたいというのも、左馬刻の為だということは分かり切っていた。

「るせぇなぁ。行きてぇのか行きたくねぇのか。この俺様が連れて行ってやるっつってんだ。素直に言いやがれ」

ぐいーとその柔らかい頬を軽く引っ張ってやってもでも〜と変わらずに駄々をこねる。ガキかと笑い飛ばせばあからさまにむくれるので少し赤くなった頬にキスを落としてやる。それだけで嬉しそうに微笑むのだから、なんて単純な女なのだろうか。

「で?」
「……左馬刻さんと、バレンタインデートしたいです……」
「よく出来ました」

犬のようにわしわしと撫でられる少女を見て、やはりこの笑顔が1番似合うと頷く左馬刻であった。


2月14日

『授業終わったので今から向かいますね!』

メッセージの受信と、昇降口から出てくる撫香の姿を認めたのはほぼ同時だった。パタパタと駆けてくる姿を見て、よくまあ毎回転けないものだと感心する。

「すみません、お待たせです」

全く待っていないのだが、おーとそっけなく返せば嬉しそうにころころと笑う。ただいま。おかえり。車の中でするには少し不釣り合いな挨拶も、言う相手が、返してくれる相手がいるから特別なもののように感じるのであろう。へへっと嬉しそうに笑う撫香につられて紫煙もゆらゆらと揺れた。いつもとは違い後部座席に座った少し息切れをした撫香の頭を労わるように撫でてやる。忠犬のようなその姿は見ていて悪い気はしない。
もぞもぞと後部座席で着替える撫香を乗せて、目当ての店へと車を走らせる。1度帰るか事務所で着替えても良かったのだが、外に出る気が削がれるからと断られた。その気持ちは分からないでもない。
ランチで膨れたお腹は撫香に買い与えた服の袋とともに車の中に押し込んで、目当てのカフェへと足を進める。左馬刻の属している組が経営しているカフェだったので融通がきき、長蛇の列を尻目にすんなりと店内へと入れた。撫香はあまりの列の長さに居心地悪そうにしていたが、あの列にこのクソ寒い中並ぶよりよっぽどマシだ。
通されたのは店の奥の方に位置する個室で、ここでなら煙草を吸ってもらっても大丈夫だと言うので遠慮なく頼んだものが来るまでに4本ほど吸った。フィルターギリギリまで吸われたシケモクたちはこの人の多い中でのショッピングやチョコの匂いに包まれていたストレスの表れであろう。ブラックコーヒーと煙草をここまで美味しいと感じたることは滅多にない。周りからの好奇の視線にはもう慣れっこであるが、撫香に対する罵詈雑言は許されるものではない。しかし、赤や茶色のハートがあしらわれた室内で運ばれてきたアフタヌーンティーセットを上から下からと角度だけでなくアプリを変えてパシャパシャと撮り続ける撫香を見ていたら他人のことなどもうどうでもよくなって来た。可愛い、美味しそうを連呼する彼女はよっぽど嬉しいのだろう。きらきらとした星を散りばめた瞳を何度も左馬刻の方に向けてくる。セットと左馬刻という異色のツーショットを光の速さでロック画面に設定していたので、見た目は完璧らしい。ならば味はどうなのかと思っていればフォンダンショコラのチョコソースのあまりの蕩け具合に簡単の声を上げ、生チョコを食んだ瞬間溶けきった顔を見て、柔らかさは伝わるがせめて原型はとどめておいてくれと心配した。時折ふへ、と満足気な謎の吐息を漏らしていたので随分とお気に召したらしい。あまり甘くないものを左馬刻もいくつか食べたがあの行列も頷けるものであった。
胸焼けのしそうな甘さも、撫香が食べていると思うだけで微笑ましいものに変わってしまうのだから、全く、恋とは難解なものである。
コーヒーのお代わりを頼んだのと撫香がそわそわし始めたのはほぼ同時であった。何度もこちらを窺ってくるものだからさすがの左馬刻も耐えかねてなんだと問いかけてみるのだが誤魔化すばかりで何も分からない。観念したように口を開いたのはすっかり完食した後だった。

「…はやく、二人になれるところに行きたいです」

一体どこの悪徳警官の仕業なのだろうか。あの眼鏡叩き潰してやると念を送ってみるが、そんなことより目の前の少女をどのように犯してやるかで左馬刻の頭の中はいっぱいであった。
家に帰っても夕飯を用意する気力も体力もないだろうとホテルの一室をとっていたのは正解だった。夕食の時間まではまだ余裕があるため、さっさと部屋でタバコを吸いたい。スタスタと無意識に早くなる左馬刻のスピードに、撫香は引き摺られるようにして着いていく。待ってくださいという撫香の言葉は左馬刻の足音に掻き消された。

「あの、左馬刻さんっ、ヤニ切れのところ申し訳ないんですけど」
「分かってんだったらだぁってろ」
「あーもう!鍵は私が開けますから!」

左馬刻から鍵を奪い取ると、ぱたぱたと1人廊下を駆けて行く。あれだけ食べたあとなのによく走れるな。自分の事を棚に上げて感心したように鍵を開ける撫香を眺める。ひょっこりと顔を覗かしてしばらく待っててくださいね!と叫ぶ様は年相応の少女らしい。

「なあ、煙草吸いてぇんだけど」
「まーだーでーす!」

扉の向こうから、何やら騒がしく走り回る音がする。一体何事なんだ。煙草を咥えては外す。さすがに廊下で火は付けられなかった。撫香のことを待ってやりたいが、身体がニコチンを欲している。まだかと扉を蹴りあげようとした時、ガチャっと内側から開いた。振り上げた足と、咥えられた煙草、眉間に寄せられた皺。そろそろと上がってくる青い瞳を赤が射抜いた。怒りを孕んだそれにふるりと身体が震えたのが分かる。

「……お待たせしました」
「おっせぇ」

するりと撫香が抱きついてきたので煙草の先で頬を撫であげてやった。火を付けろという合図である。鞄ではなくポケットから取り出されたジッポの扱い方がやっと慣れてきた細い手から火を貰う。すっかり習慣化した行為だ。ニコチンを全身に行き渡らせるように吸い込みながら撫香に手を引かれてふかふかのカーペットを踏みしめる。前を行く黒髪が揺れる。心なしか浮かれているらしい。鼻歌でも歌いそうだ。

「みなさんにちょっと協力してもらったんです」

振り向き様にそう微笑む姿は何かを企んでいるようだった。こういう時の笑い方は最近左馬刻に似てきた。つられて左馬刻の口角も上がる。見て見てと左馬刻の両の手を引く少女の頭を撫でつつその向こうを見遣れば。

「……ハッピーバレンタイン?」

ヨコハマの夜景をバックに飾り付けられた室内。少し歪なケーキはきっと、撫香作なのであろう。

「洋酒をつかったケーキです。左馬刻さんのを少し、拝借しました」
「へぇ?」
「やっぱり、初めてのバレンタインは自分で作りたくて。お菓子って、今までちゃんと作ったことがなかったので自信はないんですけど……」

へへっと照れ笑いをする撫香の愛おしさに、左馬刻は言葉を失った。何故この少女はここまで左馬刻に尽くすのだろうか。初めてを全て、惜しみなく捧げるのだろうか。

「夕ご飯が終わってからにします?」
「……あぁ、そうだな。お楽しみは最後に取っておくか」
「……お楽しみ?」

何故、この少女はここまで無垢に誘うのだろうか。チョコの味が残った唇を楽しみながらこっそりと撫香のケーキを拝借する。口に広がるブランデーは、この前左馬刻が美味いと言ったものだった。ほろ苦いチョコとよく合う。

「あっ、つまみ食いしましたね?」
「ご馳走を前にしてんだ。流石に我慢できねぇだろ」
「わわっ」

ベッドに広がる黒髪と、シーツとの境目が曖昧になるほど白い肌。赤い花を散らしつつ、バレンタインも悪くないなと思う左馬刻なのであった。

願わくば。来年も君と。



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