1月28で
『誕生日おめでとう』

日付の変わった深夜1:24。それはとても簡素な文だった。12時を過ぎたあたりからピコピコと携帯は音を立て、またひとつ歳をとったことを実感させてくる。あの人からはいつ、来るのかな。なんて乙女のようなことを考えて1時間と24分。待ちに待ったお祝いのメールはそんな、とても簡素なものであったのだ。別に12時丁度に来ることを期待していた訳では無い。明日も朝早いのに震えない携帯を握りしてめて布団の中でまるまっていただなんてそんな。
すっと文字をなぞってみる。忙しい、のかな。誕生日を覚えてくれていた。それだけで十分なのに、浅ましい私はそれ以上を求めてしまう。
ズルズルと掛け布団を引きずって、こつりと壁に額をあてる。この薄い壁の向こうに、貴方は居るのでしょうか。それとも、まだ会社?狭いシングルベッドで、疲れている日の彼は倒れ込むように寝ている。頭はここで、顔の向きはこっち。手はこうして放り投げられていて、藻掻くような足はきっと変な形に曲がっている。顔を、こちらに向けて寝ていることが多いので、もし家にいるのだったらきっと、ここに顔が。

「お祝いのメール、ありがとうございます。おやすみなさい」

ちゅっと、壁の向こうにいる観音坂さんにキスをして、そのまま目を閉じる。欲を言えば、少し貴方に近付いた瞬間を共に過ごしたかったのです。
けたたましい電子音で目が覚める。手を伸ばせば触れたのは壁で、ぺたぺたと触っても音は止まらない。もぞもぞと携帯を見ればあれから2時間ほどしか経っていなかった。今から準備すれば、始発に間に合う時間だ。それほど、今の彼は忙しいのだろう。止まらない電子音をBGMにもう一度布団に潜り込む。カーペットの上は底冷えしていて固い。それでもここから離れたくなかった。いつまで経っても鳴り止まないその音に、あぁ、観音坂さんは今ここに居ないのだと悟ってしまった。ひんやりとした壁に擦り寄り、2度目の微睡みに身を投げた。夢の中だけでもいい、今日という日に観音坂さんと会えますようにと願いながら。

「やあ、こんばんは」

なんだか仰々しい花束と高そうな紙袋を持った歌舞伎町ナンバーワンホストが背負った星だけでなくウインクでもぱちりと飛ばしてくる。仕事が終わってどっと疲れている私には眩しすぎる光だった。
誕生日おめでとうと渡された両手いっぱいのプレゼントからは何だか甘い香りがする。これから出勤だという彼の匂いだろうか。ありがとうございますと頭を下げれば、労わるように頭を撫でられた。独歩くんがすまないね、と彼はなんでもお見通しなようだ。作りすぎてしまった煮物を手渡せば、今日の夜食にと渡しに行ってくれるという。

「なんだか、催促みたいになってしまいませんか?」
「独歩くんにはこれぐらいしてやらないとね」

2度目のウインクはまるで観音坂さんを責めるかのようにきらめいていた。
今日は壁に背中をくっつけて寝てみよう。あの人の体温が感じられるかもしれないから。


1月29日

数分ごとに鳴る電子音。しつこいスヌーズが早く起きろと鼓膜を揺さぶる。分かったから、少し静かにして欲しい。手を伸ばしても手に触れるのは柔らかなカーペットだけで、まだ開き切っていない眼で周りを見渡せば、ベッドの枕元にコードを引連れて横たわっていた。なら、これは。気付いた時にはもう電子音は鳴り止んでいて、耳を澄ましても物音ひとつしなかった。でも、昨日は冷たかった壁がほんのり暖かいような気がして、1度2度と擦り寄ってみる。きっと終電で帰ってきて始発で行くのだろう。ほんの数時間でも、同じ時を過ごせたことがこんなにも嬉しいなんて。つっと、観音坂さんがいたであろう場所を指でなぞってみる。もっと近くにあの人を感じたい。身体が冷えていくのもお構いなしに何度ももう居ないのに観音坂さんの残して行った温もりを感じていればガチャりと、ドアノブが下がる音がした。これは、確かに私の部屋のものだ。まさか、でも、今日はまだ平日だ。合鍵が使われる気配も、インターホンがなる気配もない。まさか、間違えた?観音坂さんならありそう。でも、まさか。
すっかり冷え込んだ廊下を無防備に走っていく。手がかじかんで鍵を開けるのにがちゃがちゃと時間かかってしまった。凍てつく風はほんのりと胸に灯った期待の炎をさらに燃え上がらせる。

「観音坂さ、」

ヤエちゃん。と、隈を携えた愛しい微笑みが出迎えてくれるのではと、そう、期待していた。誰もいない廊下はまるで南極のように冷え込んでいた。観音坂さんは忙しいんだから、いるわけがないでしょう、八枝子。ビルの隙間を駆け抜ける冷たい風が寝起きの火照ったた身体の体温を遠慮なく奪っていく。ガタガタと揺れた扉が、早く布団に戻れと促す。打ち砕かれた甘い期待が鋭い針となって私をここに縫い止めるのだ。誰か、この場から私を引っ張っていってほしい。
がさり
それは微かな音だった。揺れる扉の音に紛れてがさり、がさりと音を立てる。扉の裏を覗き込めば、小さな紙袋が掛けられていた。仲を覗けば可愛らしい箱と、メッセージカード。かじかむ指でそっと開けば『遅くなってごめん。誕生日おめでとう』と、メールと同じぐらい簡素なメッセージが。
気づけば、素足で走り出していた。エレベーターの前で急ブレーキでかければ、1の文字が闇の中で淡く光っている。
忙しい合間を縫って買いに行ってくれたのだろうか。もしかしたら、このために昨晩は帰ってきてくれたのかもしれない。甘い期待が再度身体に灯る。まだ温もりが残っている紙袋を抱えて、ぺたりと座り込む。

「ありがとうございます」
ぽつぽつと地面を濡らすこの雫が、海となり貴方の元まで届けばいいのに。


2月2日

久しぶりの丸1日の休み。昼まで惰眠を貪って、すっかり荒れてしまった部屋を片付ける。萎れてきた花瓶の水を変えればなんだかやる気が沸き上がってきた。
あれ以来、観音坂さんとはすれ違いの日々を送っている。お隣さん曰く、休みをもぎ取るために奮闘中、らしい。あの日渡した煮物の容器は丁寧に洗われ、ありがとう、美味しかったというメモとともにドアノブに掛かっていた。誕生日のメッセージと共に並べて飾っている。忙しいのに、私のために割いてくれた時間を眺めていると、愛おしくて仕方がない。まだ、忙しいのだろうか。また差し入れを持っていけば、この私のための時間が増えるのだろうか。ありがとうの5文字を指でなぞりながらそんなの事を考える。この時期ならおでんとか、でもおでんの差し入れってどうなんだろう?無難に肉じゃがとか?冷蔵庫の中身とともにうんうんと唸っていると遠慮がちに呼び出し音が部屋に響いた。宅配、何か頼んでいただろうか?

「はーい」
「……やあ」

するりと、暖かい風が私を包み込む。しっかりとセットされた髪の毛。トレードマークの隈はなく、身に纏うスーツは仕事用のものでは無い。後ろ手に隠された花束が待ちきれないように顔を出していた。

「かん、のんざかさん……?」
「ヤエちゃん、今から時間、あるかな?」
「えっ、あ、はい。それはもちろん……」
「なら、僕の出番かな」

なにやら紙袋を引っ提げた伊弉冉さんがグイグイと私の背中を押す。自体に頭がついていかない。これ着て、終わったらメイクとヘアメイクね。と押し付けられた紙袋にはシンプルなドレスが。頭に浮かんだはてなマークは時間と共に増えていく。鏡の前に立つ女も、私と同じような困惑した顔をしていた。

「いってらっしゃい」

そう言われても、もう、何も分からない。
そわそわと落ち着きのない観音坂さんが、エレベーターの中でそっと私の手を取った。すっかり冷え切った指先が、じんわりと私の熱を奪っていく。

「…遅くなってごめん。俺と誕生日をやり直してくれないか?」

差し出された花束が、目尻の下がった観音坂の顔を隠してしまった。さざ波が冷えた身体を奪い、変わりに温かい海水を瞳から零していく。せっかくしてくれたメイクが取れてしまう。止めたいのに止まらなくて、拭いたいのに身体が動かない。

「だめ、かな……?」

小首を傾げた観音坂さんがちゅっと目尻にキスを落とす。それを私はまるで他人事のように眺めていた。これは、夢、なのだろうか。誕生日を共に過ごしたかった。たかが1歳、されど1歳。観音坂さんに近付いた瞬間を共に過ごしたかった。一緒に狭い部屋で方を寄せあってさえいられればそれで良かったのに。

「は、い」

なんとか絞り出した声は震えていて、溢れ出した海水はもう止まらなかった。また一二三を呼ぶかな……なんて携帯を取り出した観音坂さんはどこか嬉しそうで。ぎゅっと、攫われたままの手に力が込められた。

どうか夢なら、このまま醒めないで。




*← →#

TOP - BACK///




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -