「義兄さんがっ……」
義弟が息を切らして部屋に駆け込んできた。自分で動く事は滅多にせず、基本許婚に抱えられている彼が。ただ事ではないと、そう思った。
屋敷の廊下を二人で走る。ここがこんなにも長いとは知らなかった。そう思った事もなかった。向かうのは屋敷の奥、義父と義母の居住区。
美しい花々が咲き乱れていたそこは、花弁と血が散乱していた。
「煉慈……!」
壁に埋もれているのはもう一人の義弟。先祖返りを起こし、一族最強と謳われた彼が、あそこまでボロボロになっているだなんて…妖の襲撃だろうか。だったらもっと騒がしいはず。
庭を見渡してみるも善慈さんの姿が見当たらない。あの人は、無事、なのだろうか。
「…水姫」
それはいつもより低い声だった。開け放たれた襖。奥からは、生臭い、血の匂い。そして微かにあの人の香り。
「姉貴、行く、な…!」
冷気が、体にまとわりつく。私の意志とは関係なく足が動く。一歩、また一歩と暗闇の中へ。
「後で迎えに行こうと思っていたんだが」
伸びた髪。瞳は黒く、光が宿っていない。額から伸びた角を見て、この人も鬼だったなと、ぼんやりと思った。
上座に腰掛けた彼の横には絶命した義父が横たわっていた。瞳が虚空を見つめている。流れた涙と血が混ざりあって畳へと流れていく。その背に突き刺さっているものは前に見せてもらった義弟とは違った刀。
「全て、貴方がやったのですか?」
「…先代達が、俺に語りかけるんだ。このままではお前の父親はお前とその妻を使って第2第3の弟を作り出すぞ、と。それでいいのかと問われた。答えは簡単、否、だ。これ以上、君を苦しめるものは、やっと手に入れた俺達の幸せを奪おうとする者は、例え父であっても許さない」
「それが、これ、ですか。庭に転がっているのはそのやっと幸せを手に入れた者のうちの1人でしょう?なのに、どうして」
「力がうまく制御できないんだ。俺に敵意を向ける者は誰であろうと薙ぎ払う。俺が俺でないように、まるで誰かに操られているかのように。…このままでは俺は自分の大切な人をこの手で殺してしまうかもしれない。だから」
泣きそうな顔をした彼は私をきつく抱き締める。冷たい。いつもは大きく見えるその背中が、何故かとても小さく見えた。微かに、震えている。
確かに義父をどこか恨んでいるようにも見える事はあった。善慈さんを、煉慈を、義母を、家族すべてを道具のように扱う義父を憎んでいたような、恨んでいたような。それでも確かに愛していた、はずなのに。
…きっと貴方の意思じゃないのでしょう?だからそんな弱気な瞳を私に向けるのでしょう?
「だから、これ以上俺が愛するものを殺してしまう前に、一緒に死んでくれないか、水姫」
だから、泣きそうな声で、私に縋るんでしょう?
義父の背中から引き抜いた刀を、そっと私の背中に宛てがう。私が拒否することを恐れたのか、いつもより強引に口を塞がれる。口が、背中が、触れ合っているところ全てがアツイ。
「ごめん、愛してるんだ、何よりも、誰よりも」
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