ペテン師が笑う頃に



※学生臨也













静かに左手首を握ると昨晩作った傷口が僅かに痛んだ。薄く巻いた包帯越しにカッターナイフを置いて力を込める。放課後の教室には誰もいない。室内を満たす美しい夕焼け色とは対照的に、赤黒い汚れが腕から滴って床に斑点模様を作った。私は、リストカットをしている。



「あ、死にたがり発見。」


いつの間にか私の後ろの席には誰かの気配があった。誰かといっても、今まさに自殺せんとするクラスメイトに向かってこれほど楽しそうな声色で話しかけるような外道といえば、残念ながらあの男以外に心当たりがないのだが。


「いや、死にたがりってのは語弊があるかな。なんたって君には本気で死ぬ気がないからね。」


そう言って立ち上がると、今度は前列の机に飛び乗り胡座をかいて折原は笑った。


「それじゃあこの行為は昨日まで君の恋人だったあの教師に対する当て付けかい?あ、そうそう。そいつなら今日は有休使って婚約者と式場の下見に行ってるから、わざわざ教室でそんなことしても無駄だよ。」


こうして雄弁に喋る折原が、私は少しだけ気に入らない。しかしそれ以上に、あんなろくでもない男に貴重な乙女の人生の数ヶ月をみすみす明け渡してしまった自分の間抜けさに憤る。その怒りの対象を、折原を介して睨みつけていた。



「はは!恨めしそうな顔してるね。そんな痛いことしなくてもさ、手っ取り早くそのナイフであいつの頸動脈をかっ切ってやればいいのに。殺してやればいいのに。」


折原は心底嬉しそうに、外道に相応しい最低な誘導を展開する。彼の用意する導火線は、時にダイナマイトにだって直結しうることを私はよく知っていた。そして今、私の不幸を火種に大爆発を起こせないものかと目論んでいるにも関わらず、そのカラカラとした笑い声はまさに無邪気そのものなのだ。



折原の笑顔に便乗して彼の提案を黙殺すると、その沈黙の意を悟ったのか、奴はピタリと笑うのを止めて至極つまらなそうな顔をする。傷心の私をこの上更に利用してやろうとするエゴを目の当たりにして、はなから中途半端だった自殺願望は最早すっかり失せてしまった。かといって若干十八歳の私が親を泣かせることになってまで殺人を犯すというのは、なんだか割に合わない気がするので(まあ自殺に及べばどちらにせよ両親は嘆くのだろうが)、将来会社でも立ち上げて有名になって全国ネットであの淫行教師の悪行をひとつ残らず暴露してやることにしよう。少なくともあっさり殺してやるよりずっと陰湿で、ずっと良い。
窓の外ではちょうどお日様が沈んだところだ。


「それはまた奇抜だな。」



そう返した折原は、先程までの幼気なものとは違う、確固たる悪意をその身に纏っていた。力強い眼光に、吐き出す吐息までに、拘束されて動けなくなるような。多分これが本物の折原臨也だ。なんとなくそう感じた。赤い視線に射抜かれた私の心臓は、強大な畏怖の念に震え上がっている。そして気づいた。この男は私を食ってしまう。逃げなければ。



「なまえ。君がその稚拙な復讐心を満たす日がくるまで、俺がずっと観ていてあげる。」




その日がくるまでって、一体どれくらいだろう。
静止していたナイフを振り上げて、私は思いきり手首に突き立てた。




100211




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