エゴを享受したニヒリストの憧憬
「人、ラブ!」
眼下で目障りに光る街に向かって本日何度目かになる叫びを腹の底から吐き出した。風呂から上がって間もない体に都会の夜風は些か冷たく、先程無断で拝借した同居人の黒いコートの襟元を手繰って無防備な肌をなるべく覆い隠す。
新宿を一望できる高層マンションの一室、ベランダ。この巨大な都市は、かつて傷心の私を握り潰そうとしたし、法律の届かない社会の裏側へと引きずり込もうとだってした。その圧力の塊をこうして見下している現状に、なんとも愚かしい優越感を覚える。そういえばこの部屋は、何階だったか。
「人、ラブ!」
「なにしてるの。」
天を仰いで高らかに声をあげたところで、背後から訝しげなクエスチョンが投げかけられる。私に続いてシャワーを済ませたばかりであろう彼はその端正な顔を曇った窓からのぞかせていた。
「臨也のまね。」
「…悪趣味だね。」
「何回言ったら本当に好きになれるか、試してるの。」
「分かるまで検証し続けるつもりなら君は残りの人生をベランダで過ごす羽目になるだろうね。」
そう返すなり私の隣にやってきた臨也は、その火照った指先を私の頬に優しく滑らせる。細められた赤い眼の奥にチラつくギラギラとした光が大層目障りで、ああ、この街みたいだなと思った。態とらしいネオンも、この男が宿す光も、私の真理を丸裸にして晒し者にして指差し嘲笑うのだ。まるで私が人間を愛さないことを咎めるみたいに。
「君が人を愛する必要なんてないよ、代わりに俺が全人類を愛し尽くしてる。そうさ君だって人間だろ?」
私が人間を愛さないのは、他でもない自分自身がそれという部類にカテゴライズされているからである。自己愛の欠落した生物は生存の意義すら失うから、だから臨也の愛は一見私をこの世界に繋ぎとめる生命線みたいだ。けど違う。この指先は、体温は、その悪意でもって私を拘束しているに過ぎない。前進も後退も許してはくれない。
「人、ラブ。愛してる。君にはまだ早いね。」
こうやって私から愛することを奪っている。やっぱり人間なんて大嫌いだ。
100214