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おじいちゃんの口から、おじいちゃんの真実が語られた後、わたしとおじいちゃんはしばらく泣いた。思い出した記憶はあまりにも鮮明で、おじいちゃんの話の内容もすごく簡単に想像できた。
しばらく泣いて少し落ち着いたところで、わたしの真実も話さなきゃと思ったのだけど、いざ話そうとすると蘇る血の海で眠るパパとママの姿。
自然と呼吸が荒くなって、頭が痛くなって。わたしは、パニックになってしまって。


「あ、あ……あああ……ッ……!!!」
「エマ……!?」
「ダメだエマ! 無理に話そうとしなくていいから! 今日はもう休むんだ!!」


チョッパーさんの声が聞こえた。他の皆さんの声も、聞こえた気がしたけど……もう、何も……何も、見えない。





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わたしが次に目を覚ました時は、もう朝方だった。わたしは変わらず女部屋のベッドをお借りしていて、ナミさんとロビンさんはハンモックで眠っていて申し訳なかった。おじいちゃんや、他の皆さんの姿はなくて、きっと別の部屋で、みんな眠っているんだろうなと思う。

何度も寝ていたせいか、変な時間に起きてしまって、眠れなくなってしまった。
こういう時に起きていると、精神的に良いことはない。だから眠っていたいのだけれど、こういう時ほど睡魔は来てくれなくて。
まだ体は痛むけど、わたしはなんとかゆっくりと体を起こした。枕元にはわたしの眼鏡とカメラが置いてあることに、今更気付いた。

そういえば、わたしがカメラを趣味にしたきっかけは記憶喪失になったことだったな。記憶を失ってしまって、パパとママのことを忘れた時、おじいちゃんに聞いたっけ。両親の写真はないのかって。おじいちゃんはないって言ってたけど、本当はあるんだよね。きっとあの家に。……あの、家に?


「…………そうだ、あの家……」


気付けばわたしは立ち上がり、歩き出していた。痛みはある。すごく、痛いけど、それすら気にしていられないほどに、今のわたしは突き動かされていた。怖いけど、それでも、行きたい場所があった。
わたしの……わたしと、両親の……思い出の、あの家。

ナミさん達を起こさないように、出来るだけ静かに階段を上がる。甲板へと出ると、少し明るい空があって、波の音は優しく響いていた。

行こう。帰ろう。わたしの、本当の家に。

わたしの頭の中はそれでいっぱいだった。
場所を、覚えている。この海から、家までの帰り道のルートを、覚えている。ずっと忘れていたけれど、ずっと、わたしの家はおじいちゃんと暮らしたあの家だけだと、思っていたけれど。
そうじゃなかった。わたしには、わたしの家があったはずなんだ。

そんなに遠い場所じゃないから、いつもだったらすぐに着くのに。
今はどうしてだろう、怪我が痛むからかな。すごく時間がかかって。遠い、遠い場所のように感じる。
それでも歩き続けていると、やっと見覚えのある家が見えて来た。すごく、懐かしいと感じた。

ゆっくりと家の扉の前に立つ。この扉を引いたら、中はどうなっているんだろう。


「……わたしの、家……」


息も上がって、鼓動も早くなる。深呼吸をして、心を落ち着かせる。
そして、そのドアノブに手をかけ、わたしは家の中に入った。

……瞬間、フラッシュバックするのは床一面に広がる血。


「やっ……い、や……ッ!! ……ハァッ、ハァッ……」


消えて、消えて、消えて。わたしは、それを思い出す為にここに来たんじゃない……! わたしは、わたしはっ……!
頭の中に広がる赤を振り切りたくて、消してしまいたくて、強く頭を横に何度も振った。崩れ落ちるように床に座り込んで、頭を抱える。
知らないうちに溢れていた涙。カラン、カランと床に輝く。憎たらしいほど、透き通って。下を向いて、いつ呼吸が思うようにできなくなるか分からないこの状態を必死に抑えようとした。


「う、うう……パパぁ、ママぁ……っ!」


いけない、また、意識が飛びそう。こんな思いをする為に、ここまで来たわけじゃないのに……。
だんだん意識が遠のいて、朦朧とする頭の中に、優しい声が届いた気がした。


──下を向かないで。頑張れ。


「え……?」

そんな声が聞こえたような気がして、バッと顔を上げた。荒い呼吸はそのままに、周りを見渡してみても、やっぱりこの家にはわたしひとり。そうだよね、きっと気のせい……。
そう思いながらゆっくりと顔を前に戻すと、苦しみからほとんど盲目になっていたせいか、さっきまでは目に入らなかったものがあった。
夢に出て来た、あの景色。ソファがあって、そのすぐ近くに暖炉がある。
そして、そのソファの前には小さな置台があって……その上には、花瓶に飾られた綺麗な紫の花と、写真たてらしきものが置いてあった。


「あの花……おじいちゃんが毎年持ってた……!」


……ああ、おじいちゃんが毎年来ていた場所は、ここだったんだ。
9年も経ったのに、蜘蛛の巣ひとつないくらいにこの家が綺麗なのは、おじいちゃんが毎年、一日かけて掃除していたからなんだ。
いつの日か、おじいちゃんに聞いた、この花を捧げる理由の答え。


──私の大切な友人達にね、謝らねばならないことが、あるんだよ


友人なんかじゃなかったんだ。それすらも、わたしの為に吐いた嘘だった。おじいちゃんが毎年謝りに来ていたのは、大切な、家族だったんだ。

「おじいちゃん……ごめんね……」

パパとママを失くした悲しみを、その同じ痛みを共有できるのは、わたしだけだったよね。それなのに、わたし、9年もかかっちゃって。大切な、おじいちゃんの9年間を奪ったのは、わたしの弱さだ。
心の中で、何度も何度も謝る。おじいちゃんに。それから──


「パパ。ママ。……遅くなってごめんなさい。ただいま、帰りました」


足に力を入れてなんとか立ち上がり、ソファに腰掛けると、3人の家族写真が飾られていた。その写真に向けて、そう零す。写真、やっぱりあった。こんなに大切に、残されていた。
ぽろ、ぽろ、と溢れ続ける涙のせいで、よく見たいのに、視界が滲む。服の袖をびしょびしょに濡らして、拭っては写真を見つめた。


「……っ……ごめん、なさい、忘れてて……」


この写真を撮った時のことも、今なら覚えてる。
あの日の天気は晴天で、太陽が眩しかった。でも、肌に感じる温かさは強すぎなくて優しかったの。それまで家族写真と言える写真を撮っていなかったから、記念日でもなんでもなかったけれど、おじいちゃんが突然言い出したんだっけ。


──いかんいかん! 写真がないじゃないか! 3人の家族写真が!!
──あ〜そういえば今まで撮ったことなかったかもしれませんね。
──いかんぞベルナルド! 男はな、家族写真をお守りとして懐にずっと入れておくべきなんだ! それが男というものだぞ!! 良いか!?
──な、なるほど……!! 分かりましたお義父さん!!
──ママ、おじいちゃんの言ってることって本当ですか??
──『さぁ、どうでしょうね。……おじいちゃんには、少し変わった“男の理想像”があるみたいですから』

返事を書いたスケッチブックをわたしに見せながら、ママはクスクスと笑った。

──いいからほら、今日は天気がいい! 外に出ろ! 私が完璧な家族写真を撮ってやろう!!

そう言って誰よりも張り切り、真っ先に外に出たおじいちゃんの後を、三人で追いかけた。



「幸せ、だったなぁ……」


この写真を見て、記憶を取り戻してから初めて、やっと過去のことで口角を上げることができた。思い出せば思い出すほど、9年前の惨劇の記憶に嵌ってしまって抜け出せなかったけれど、今やっと、幸せな思い出が見えた。
ぽろり、と大きな涙が一粒零れる。これは悲しいだけの涙じゃない。嬉し涙でもあった。
気付けば、呼吸もだいぶ落ち着いている。

ふと、もう一度家の中を見渡す。家具の位置も、何もかも変わっていない。
立ち上がって、壁を伝うように歩く。この家にあるものすべてに、思い出がある。

あ、この柱……一年毎にわたしの身長を記録した柱だ。いつもパパが測ってくれて、ママが書いてくれた。いつか、ママと同じくらいの身長になるんだって意気込んでた。ママはそんなに背の高くない人だったから、もう超えられたかな?
壁に貼ってある画用紙は色褪せてしまっているけれど、あれは確かにわたしが小さい頃に書いたパパとママの似顔絵。パパは泣いて喜んでくれて、ママはそんなパパを見て楽しそうに笑いながら、すごく嬉しそうにしてくれて。……我ながら全然似てないな、あの似顔絵。今ならもっと、上手に描けるんだけどな。

数え切れない、言い切れない、思い出達がある。確かに幸せだったあの日々が、ここにある。おじいちゃんが9年間守り続けて、残していてくれたおかげで、苦しいだけの思い出には、ならないよ。
おじいちゃんへの感謝は、してもしきれない。何度ありがとうを言っても足りないや。

そんなことを思いながら歩いていると、一段と懐かしさを感じるものがあった。それは、クローゼットの中に隠されていた、少し大きめの箱。箱には、とても綺麗とは言えない文字で、“エマのたからもの”と記されていた。

あったなぁ、こんなの……綺麗な貝殻とか、綺麗な石とか、初めて買ってもらったおもちゃとか……そういうのばっかり、入れてた気がする。

パカ、と何気なく箱を開けてみると、想像通りのものが沢山入っていた。それぞれ、どこでどういう時に拾ったとか、何歳の誕生日にもらったとか、そんなことまで思い出せる。懐かしいなぁ……。


「……あれ?」


箱の一番下に、何かある。こんな宝物、あったっけな。なんて思いながら、それを取り出してみる。すると、それは──


「ママの……スケッチブック……」


どうしてここに。おじいちゃんが入れたのかな……?
ママが会話をする時にいつも持っていたスケッチブック。すぐに全部詰まっちゃって、その度に新しいのに変えて……これは確か、一番新しいスケッチブック。何度か夢にも、出て来たものだ。
当時のそれで間違いなければ……ママの言葉が、ここに残っているはず。

ゴクリと唾を飲んで、ゆっくりと1ページ目を開いた。




寂しい時、優しくなれる生き物だから
(守り続けられたからこそ届いた愛が、そこにある)



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