16

▼ ▲ ▼


とうに太陽は沈み切り、月明かりに照らされる船。

ルフィ達は、エマとウィル、それぞれがいる部屋に必ず一人はついているようにし、夕飯をとるなり風呂に入るなりして時間を過ごしていた。
ルフィはチョッパーと一緒に、男部屋にてウソップの嘘の怪談話を聞いていたり、ゾロは外の方が涼しいからと甲板に出て、サンジはラウンジで読書をするロビンに心を込めてコーヒーを淹れている。
そしてエマの眠っている女部屋では、ナミがデスクで海図を書いていた。

彼らは一味内での話し合いの結果、エマの傷の具合が良くなるまで──チョッパーからのドクターストップがかからなくなるまで──は船をここに停め、様子を見ることにしたのだ。主にそうしたいと言ったのはナミだった。彼女はウィルの事情に巻き込まれたのだとは言え、エマが自分を庇って撃たれてしまったことに多少なりとも負い目を感じていた。これにはチョッパーも医者として、せめてもう少し良くなるまではと言うので、ルフィ達もそれに納得し、今に至る。

ナミが真剣に海図を書いていると、ベッドの方から小さな声が聞こえた気がして、ナミはエマが起きたのかとそちらを向くが、彼女はまだ眠っていた。なんだ寝言か、と顔を海図へと戻すと、今度はもっとハッキリと聞き取れた言葉があった。それは、“会いたい”、だった。立ち上がり、エマの眠るベッドの脇に座り込む。
心なしか、どこか悲しそうに見える彼女の寝顔を、ただ見つめた。

「エマ……」

眠る彼女が無意識のうちに吐いた言葉は、おそらくではあったが、きっと両親に宛てられた言葉なのだろう。ナミはそう思った。男部屋で聞いたチョッパーとロビンの話を思い出す。


──記憶を失うことで自分を守ってることもある
──思い出すことが、必ずしも良いこととも限らない


そんな言葉を思い出しながら、ナミは小さく呟いた。


「……あんたは、どっち?」


ナミは、エマにとって記憶を取り戻したことは良いことであるように、と、願うばかりだった。
早く元気になりなさいよね、と心の中で言いながら、再びデスクに戻ろうとした時、上がドタバタと騒がしくなった。寝込んでいる怪我人が二人もいるというのに、なんという落ち着きの無さだ、とため息をつき、一喝入れにいこうかとナミが検討した時、その足音はついに女部屋の階段を忙しなく駆け下りて来た。

真っ先に姿を現したのは、左頬を腫らしたウィルだった。どうやらやっと目を覚ましたようだ。


「エマ!!!」
「待てっておっさん〜! んな慌てなくたって」
「ちょっと! エマはまだ寝てるんだから静かに──」


ウィルは周りの声をすべて無視し、ものすごい勢いでエマの眠るベッドの近くで膝をついた。横たわるエマをまじまじと見つめては、その体が呼吸によって小さく動いているのを確認する。
生きている。死んでいない、生きている。そのことを自分の目で確認し、安堵のあまりまた涙が出そうになったところを、ウィルは堪えた。


「……良かった……」
「だから言ったろ。チョッパーが絶対助けるって」

背後からかかるルフィの声に、左頬が疼くのを感じながら、ゆっくりと振り返る。
目を覚ましてすぐ誰の案内も聞かず、無我夢中で船内を駆け回り、その途中でたどりついたここにエマはいたわけだが。ふと少し冷静になって見てみると、彼の周りにはルフィ、ウソップ、チョッパー、ナミがおり、海賊に囲まれている状況だと気付く。ウィルは、今度はエマを背後に庇うようにルフィ達と対立する。
ナミはウィルのとても強い警戒心を彼の瞳から感じ取り、困ったように言った。


「まだ私達のこと信用できないの? おじさん」
「当然だ。海賊など、信用しろという方が難しい」


ルフィ達は顔を見合わせ、首を傾げたり、やれやれと首を振ったり……各々の反応を見せた。ナミは、彼がそれだけ海賊を毛嫌いするのには、何か相当な理由があるのだろうと思っていた。かつての自分がそうだったように。その理由を自ら聞いたところで、自分達に何かしてやれることもなければ、自分達もまた海賊であることに変わりはない。

「そう」

と、ナミは色んな思考を一瞬で巡らせた後、たった一言だけ返した。

その時、先程の騒がしさは何事だ、とゾロ、サンジ、ロビンも降りて来る。ウィルの警戒心が一層強められた。
女部屋に全員が集まり、流石に窮屈さを感じるが、エマが目を覚ましたことで全意識がそちらに向き、それすら気にならなくなった。


「……んん、」


小さく漏れる声に、全員の目線がそちらに向く。ウィルがエマに顔を近づけ彼女の名前を呼ぶと、寝惚け眼だった彼女の瞳が、徐々に丸くなっていった。少しずつ、彼女の意識が覚醒していく。

「あ……」
「良かった、エマ……良かった……!」

エマの手を握り、ぎゅっと力を込め祈るようにして彼女の生を改めて実感し、喜びを表したウィル。そんな彼を見ながら、心痛む思いを隠し、エマが少し首を横に向けてみると、ルフィ達全員も集まっていることに気付く。


「……なんだか、賑やか……ですね」
「よ! エマ! おっさんが目ェ覚ましたから連れて来たぞ!」
「連れて来たっていうよりか勝手に来ちまったんだけどな」


ルフィとウソップの言葉を受け、目の前で心から安心した様子で表情を綻ばせるウィルを見やる。何から、話せばいいのだろう。エマがそんなことを思っていると、サンジが気を利かせてウィル以外は外に出ていようと声をかけたが、エマはそれを止めた。


「いいの? エマ。おじさんと二人で・・・話がしたいんじゃ……」
「これだけ巻き込んで、そのうえお世話になっておいて……何の説明もなしなんてやっぱり、筋が通らないかな、って」


彼女の言葉に、ウィルは不服そうにしたものの、今回は反対しなかった。
海賊を恨んではいるものの、海賊に自らが傷付けてしまった大切な存在を救われたのも事実。感謝の気持ちを持っていないわけではなかった。
エマがいいと言うなら、とルフィ達もそれぞれ床に座り込んだり、バーの椅子に腰かけたりと、聞く体勢を整え始めた。
それに伴い、ゆっくりと体を起こそうとするエマを、ウィルが手伝ってやり、上半身だけ起こした状態になる。
ふぅ、と息をつき、エマは話し始めた。


「……村長さん。わたしね、」
「うん……?」
「心のどこかでは、分かっていたんです……きっと」


──わたしが一番会いたい人は、もうこの世にいないんだってこと


切なそうに微笑んで、ウィルに対してそう言うエマ。ウィルは目を見開き、慌てた口ぶりで言う。


「な……何を言うんだエマ! そんなことはない! お前の……お前の両親は、まだ……そう、海を楽しんでいるだけで、まだっ……生きて──!」


ウィルの言葉に、エマは首を横に振った。
彼女のその行動が理解できず、ウィルの心臓はドクドクと脈打つ。とても嫌な予感がしていた。

エマは笑った。それは、誰の目から見ても取り繕ったような、紛い物の笑顔だったが、それでも彼女は笑って言う。


「ありがとうございました。村長さん」
「な、にを……」
「9年間も……わたしの為に……あなたはずっと、嘘を吐いていたんでしょう? きっと苦しかった。きっと悲しかった。きっと……痛かった」
「エマ……?」


ウィルの嫌な予感は、的中していた。


「ごめんなさい……忘れていて、ごめんなさい……全部、抱え込ませてしまった……ごめんね、ごめんね…………おじいちゃん……」
「!!!」


震える声が、そう言った。それでも彼女は泣いていない。
彼女よりも、9年ぶりにおじいちゃん、とそう呼ばれた彼の方が、涙腺の状況は危なかった。彼の視界が滲む。

「え!? おじいちゃん!? おっさんエマのじいちゃんだったのか!」

周りで話を聞いていたルフィが、驚いたように声を上げる。サンジは唯一その場のウィル以外にエマの記憶が戻ったことを知らなかった人物であったために、まずそこに驚いていた。
ルフィがナミに水を差すなと軽く叱られる中、ルフィの声にエマは頷いた。ウィルは恐る恐る、彼女に問う。


「……思い出して、しまったのか? エマ……」
「はい。全部……だから、今度こそちゃんと、確認したいんですけど……」
「…………あァ」

ウィルは俯く。エマはゆっくりと、震える唇を動かした。


「……パパも、ママも……9年前の、今日……この島で……殺されたんですよね……?」
「!?」


ウィル以外の一同が、彼女の言葉に耳を疑った。
彼女は今日まで、記憶を失っていた。そして今日まで、自分の本当の祖父であるウィルを、ただ村長であるという認識しかしていなかった。そして、今日まで、海で旅をする両親に、自ら会いに行こうと思っていた。
しかしその全てが、今日、記憶を取り戻したことによって覆される。彼女は幼い頃から、ウィルをおじいちゃんと呼んで慕っていた。そして彼女はその目で、両親の死を確認していたのだ。

もうこれ以上、彼女に嘘は吐けない。


「……ッ……!」


ウィルの頬に、涙が伝う。彼はエマのその確認に対して、肯定する一言を零し、堪えていたそれを溢れさせた。
エマは彼の涙を見て、一度ぎゅっと目を瞑り、ゆっくりと瞼を持ち上げる。彼の心に残り続けるその辛苦から、後悔から、自分が目を背けてはならない。彼をこうさせてしまったのは、他の誰でもない。紛れもなく、自分わたしなのだから。

真っ直ぐにウィルを見つめて、頬を伝うその涙を優しく拭う。そして彼女はまた微笑むのだ。
どうか彼が、もう自由になれるように。もう何にも苦しまなくて済むように。

ただ、そう、心の中で祈った。




あなたの罪はひとつだけ
(自分を大切にできなかったこと)



-16-