ねこのきもち…2
にゃんにゃかにゃん
再び抱き上げられていた九龍の腕から、ひらりと飛び降りる。
流石に猫の体では《遺跡》を出る事も、寮に入る事も儘成らない為不本意ながら運ばれていたのだ。
一度整理されていた九龍の部屋は、主の再来によって以前よりも深い魔の樹海と化していた。無造作に置かれたガスHGや、相変わらず集めているらしい黒板消しを避け唯一空間の空いているベッドに向かい占拠すべく真ん中に体を落ち着かせる。
人の身なら、重い溜息付きだと感じさせる緩慢な動き。
あの商人が保証の無いモノを売る訳が無いと判っていても、皆守は若干の不安を拭い切れないでいた。
僅かな機微を感じ取ったのか、九龍が皆守の鼻先にアロマパイプを置いた。火の消えたアロマの香りは、猫の鼻には丁度良い。
小さな軋みと共に、皆守の隣に腰を降ろす。
「……ゴメンな。明日にはJADEさんがアイテム持って来てくれるから、それ迄我慢頼む」
「………にゃ」
お前の所為じゃない、と言いたくても間抜けな声にしか成らない。
要らない嫉妬などして、戦闘に参加しなかった自分が悪いのだと自覚している。最初から参加していれば、九龍に凶刃が及ぶ前に殲滅出来ていたのだから。
言葉にならないもどかしさが身を苛む。柄じゃないと思いながらも隣に置かれた手に頭を摺り寄せた。瞬間、震えた手が逆に慰めるようにゆるりと小さな頭を撫でる。
手の下から見上げた先には、今にも泣き出しそうな、困ったような静かな微笑み。
「……やっぱり、一人で行くべきだった」
意識してでは無いのだろう呟きに、心が凍る。
また、置いて行かれるのか。
今回、九龍が戻って来たのは只の偶然だった。だから今度こそ、離れないと誓っていた。
───なのに。
自らの過ちで、大切なものを再び失くし掛けている。
「先ずはメシでも食うか!あー、でも猫にカレーはマズイよなぁ……」
やけに明るい声音を発し立ち上がる。同時に、今度こそ九龍の着メロである猫の鳴き声が部屋中に鳴り響いた。
慣れた手付きでH.A.N.Tを開く。途端、九龍の口から素っ頓狂な叫びが溢れた。
かなり慌てた様子で返信している。まさか、と嫌な予感が皆守の背中を走った。そして、それが正解だったと告げられた言葉で知る。
「JADEさんからなんだけど……例のアイテム、運悪く品切れしてたんだって。早くても明日の朝になる……らしい」
何でこんなタイミングで品切れを起こすんだ。経営者なら、自分の店の在庫状況くらい把握しているものじゃないのか。
余りもの間の悪さに、信じてもいない神を呪いそうになる。
彼にかける言葉は、今でないと意味が無いのに。
ふ、と体が持ち上げられる。九龍が前足に手を掛け、眼前に持ち上げたからだ。
無言のまま、じっと目を覗き込まれる。
数秒か、数分か。じっと覗き込む目に引き込まれる。
「なぁ」
「……みゃう……?」
「キス、してみようか」
言い終わると同時に、九龍の唇が皆守に触れる。
温もりを交わす事もない、キスと呼ぶには短すぎる接触。
「……やっぱ戻んないか。御伽噺なら元に戻ってハッピーエンド、なのにな」
ベッドに戻されても、皆守は呆然とした儘動けなかった。
語られる御伽噺の中に、呪いを掛けられた者がキスで元に戻るパターンは多い。だが、それは『愛し合う者』という条件ではなかっただろうか。
それに、呪いを解くだけ解いて置いて行くような相手ではハッピーエンドは在り得ない。
思考を巡らせた途端、体中の血液が沸き立ち駆け巡る。
《遺跡》で感じた、混濁の世界に似た感覚。
「く……ろ、う……」
零れた名前にハッとする。確かに今、自身の口は猫語でなく彼の名前を紡いでいた。それに、目の前の九龍がいつも通りの大きさに見える。次いで自身の手に目を遣ると、
其処には人間の男の手があった。
戻れたのか、と無意識に詰めていた息を吐く。だが、何となく感覚がおかしい気がしていた。
猫に成っていた所為で感覚が狂っているのだろうと結論付け九龍に向き直る。
伝えたい言葉を、言う為に。
口を開きかけた刹那、九龍の手が皆守の頭に触れた。
「……本物」
「は?」
釣られ、頭に手を遣る。
其処には、柔らかな感触のピンと立ったモノがあった。
しかも触覚があるのか、触れている感覚がダイレクトに伝わってくる。
「猫耳、だな。あと……尻尾もあるよ、皆守」
止めとばかりに告げられた言葉に、皆守はいっそこの場で気を失ってしまいたかった。
***************
制服の隙間からぱたぱたと動く尻尾に、皆守の溜息が深くなる。
戻るなら戻るで、何で一気に戻らないんだ。
一方の九龍は、キスした事実など忘れているのか嬉々として人の尻尾で遊んでいた。あの後JADEに連絡したところ、この様子なら時間が経てば戻るという答えが返って来たものだから呑気なものだった。
「……九龍」
「ん?」
「何で、あんな事したんだよ」
如何しても意図を知りたかった。人型に近付いたのはタイミングの問題だったのだろうが、キスは九龍の意思だ。
確証も無い状態では、都合の良い妄想を抱いてしまう。
「『呪われたカレーの王子様は果たしてキスで戻るのか』。単に試したかっただけ。俺が好奇心のカタマリなのは知ってんだろ?」
飄々と答えるその言葉に、偽りも真実も見えない。
ならば、と質問を続ける。
「これからは一人で行く気なのか?」
「……ッ。な、にを……」
「聞こえてないとでも思ってたか?猫の聴力を舐めない方が良いぜ」
「……みたいだな」
「俺が呪われた事を気にしてるなら、これはお前の所為じゃない。勝手にミスっただけだ」
「でも、《遺跡》に行かなければ呪われる事は無かった。今回は時間が経てば戻るみたいだけど、命を落とす呪いだってある!」
激昂し立ち上がる。さっき迄の和やかな空気は、今は何処にも無い。皆守は九龍の腕を掴むと、力任せに引き寄せた。
慣性に従い倒れこむ体を、ぎゅっと抱き締める。
突然の事態に九龍は驚きを見せたが、其処から逃れようとせず、ただじっと皆守の言葉を待った。
「だったら、それが俺の命運なんだろ」
「違う。俺が、巻き込んだから」
もう、皆守は《墓》に囚われていないのだ。九龍が誘わなければ、あそこに関わる理由も義理も無い。
呪いの掛けられた今日。誘ったのは、九龍だった。
「違わねぇよ。第一、お前が居なければ俺の生きている意味はない」
守りたいんだ、と囁き抱き締める腕に力を入れる。さっきより近付いた耳に、九龍が息を飲む音が聞こえた。
まぁ、親友としてか見ていなかった相手にこんな事を言われれば固まるのは当然か。
「それって……どういう……」
「言葉通りだ。解れよ、それ位」
「俺は皆守に怪我なんかして欲しくない。安全なトコで生きていて欲しい。……でも、傍に居て欲しい」
「九龍……?」
「ッ!お前こそ解れよ、それ位!!」
反転、腕から逃れようと必死に身を捩リ出す。都合の良い妄想だと思っていた事は、どうやら現実だったらしい。
真っ赤に染まる顔を持ち上げ、今度は皆守から距離を縮める。
ゆっくりと近付くそれは、避けられる事なく静かに重なった。
「猫耳ってムードないな」
「……言うなよ、それを……」
完全に戻ったら仕切り直しだと考えながら、皆守はからから笑う九龍に再度口付けたのだった。
終
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無配SSだったもの。
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