テリトリー
※身に纏う匂い
それは、《領域》。 個を示す為のもの。 己のがものであるという、確かな証し。
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ふわりと、風上から八千穂の下に微かな香りが流れた。最初は、いつもアロマを吹かす彼の物かと思ったが、微妙に違う気がする。 何だろうと、匂いの元に視線を向ける。 其処には、窓辺に腰掛けて外を眺める九龍の姿があった。香りは、九龍から流れてきている。
「あれ?九チャン、何か良い匂いする?」 「匂い?あー、多分コレだ。さっき、双樹に貰ったんだった」
九龍は制服のポケットを漁ると、小さな袋を取り出した。 途端、辺りの香りが一層と濃くなる。
「あ、可愛い!」
女子高生らしく、可愛い小物に目が無い八千穂は、九龍から袋を借りると繁繁と眺めた。
「でも、何で双樹さんが?」 「俺から火薬の匂いがするからって言ってたな」 「まぁ…あれだけ撃ってればね…」
慣れ過ぎていて気付かなかったが、九龍からは染み付いた火薬の匂いがしていた。 先ず、普通の高校生には有り得ない。 匂い消しの意を込めて、双樹は九龍に匂い袋を渡していた。 他愛ない話をしている内に、昼休み終了を告げる鐘が鳴る。が、相変わらず皆守の姿は教室に現われない。
「皆守クン、またサボる気かなぁ」 「んじゃ、俺探してくるから」 「うん――って、九チャンもサボる気なだけじゃない!」
八千穂の声を背で聞きながら、九龍は教室を後にした。
九龍の予想通りに、皆守は屋上の片隅で惰眠を貪っていた。 熟睡しているのか、近くに寄ってもピクリとも動かない。 隣に腰を降ろし、寝顔を眺める。
「油性ペンでも持って来れば良かったな…」 「落描きする気か」 「お。起きた」
未だ開き切らない目蓋を瞬かせ、欠伸をする。 皆守は九龍に手を伸ばすと、そのままコンクリートの上に押し倒した。首筋に顔を埋め、低く囁く。
「――違う匂いがする」 「そんなに匂うか?さっき、八千穂にも…」
言われた、と続ける筈の声は口付けで奪われた。 絡む舌と共に、広がる強いラベンダーの甘い香り。 呼吸が儘成らなくなり始めた頃、漸く離したかと思えば今度は触れるだけのキスを繰り返す。 額に、頬に、唇に。 皆守は余す処なく、九龍にキスの雨を降らせた。
「皆守…?」 「九龍。その匂いを――、俺以外の匂いを、させるな」
じっと目を合わせ、怒りに満ちた声を洩らす。 普段は精彩に欠けた薄茶の瞳は、何故か肉食獣の其れを思わせた。 視線を逸らし横を向いた九龍の肩は、微かに震えていた。
「九龍――」 「………ぶっ!あ、あははははっ!何妬いてんの、お前!」
堪え切れず、九龍は笑い転げた。 肩の震えは、必死に笑いを堪える為の努力の現われだったのだ。
「お前…人の告白を笑うか?」 「ご、ごめん。でも…駄目だ。やっぱ可笑しい」 「ちっ。勝手に笑ってろ」
憮然とした皆守の態度が、更に九龍の笑いを誘う。
皆守は九龍の上から離れると、再び元の位置に寝転び、目を閉じた。 ――言う通りだという自覚はあった。 ただ単に、妬いているだけだ。自らのモノだと思っていた相手に、他人の影が見えたのが、気に食わないだけだと解っている。 解っているからこそ、余計に腹立たしい。
「悪かったって」
謝りながらも、未だ笑いを含む楽しげな声。 答えてやる気にも成らず黙っていると、閉じたままの唇に柔らかいものが触れた。 薄く開いた視界の先には、満面の笑みを湛えた九龍の顔。
「皆守って、野性動物みたいだな」 「……?」 「俺は、お前に匂い付けられてんだろ?だったら――」
己の《領域》だと、その跡を残して。 唇が触れる刹那、皆守の鼻腔を擽ったのは慣れたラベンダーの香りだった。
終
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