いらない特別扱い
あの人が私を愛してから、自分が自分にとって何れ程価値の有るものに成った事だろう。
『若きウェルテルの悩み』(ゲーテ)



 何時だって、《特別》が欲しかった。
 長兄は滅多に顔を合わせる事が無かったし、次兄は私の直ぐ上の兄を構うばかりで、構われる方は逃げるのに必死だった。
 更に妹が産まれたばかりの時などは、待望の女児だった為に両親はそちらに掛かりきりとなり、私を含む兄弟はずっと時田に任せられていた。
 愛されていないとは思わない。けれど、特出して愛されてはいなかった。
 だから――誰かの《特別》になりたかった。唯一つの、自分だけの場所が欲しかった。
 其の願いは、終ぞ叶いはしないのだろうけど。

「……ッ……んぅ……」

 上がる声を押さえようと唇を噛み締めた。たが然したる効果は無く、聞くに堪えない音が漏れる。
 刹那、己の浅ましさに嫌悪が募った。
 組み敷かれ、貫かれる事に恥も外聞も無く快楽を貪る。まるで女のような恥態。
 いっそ、此の儘消えてしまえれば良いのに。
 死を望みながら、生きる事を手離せない。

「……先生?」

 彼方に飛んだ思考を引き戻すように、敬称を呼ばれる。
 彼しか持たない、僅かに語尾が掠れた独特な音。第一、此のような状況で呼ぶ事が出来るのは彼しか居ない。

「あ……な、ん……ですか……?」
「随分、気が逸れてますね」

 何か気に掛かる事でも、と行為を止め尋ねられる。
 僅かに眉根を寄せた表情は、私の思考が逸れた事を責めるものだ。

「は……ッ。こ、の状態で……君以外、何……を思える、と言うんですか……?」

 息も絶え絶えに、偽りを口にする。……いや、起因は彼なのだから、強ち間違いでは無いのかも知れない。

「確かに、そうですね」

 顰められた眉が解かれ、柔らかな笑みが彼の顔に浮かぶ。
 その表情を目にした途端、胸の奥底が痛みを生んだ。
 刃を突き立てた様な、業火に焼かれた様な熱く鋭い痛み。それでいても尚、芯はまるで氷の様に冷えきっていた。
 可哀想に、と思う。《誰が》かは解らない。彼かも知れないし、私かも知れない。

「んぁ……ッ!!」

 突如、律動を再開される。先程とは違う場所に飛ばされそうになる意識を保とうと、敷いた布団を必死に掴んだ。
 一糸纏わぬ肌が、触れ合い滑る。段々と間隔が短くなる律動は、彼の限界が近い事を私に教えていた。

「せん、せ……ッ!!」

 絶頂の瞬間、僅かな隙間さえ無くなれば良いとばかりに、彼は私をきつく抱き締める。だが、私は決して抱き返したりはしなかった。――出来なかった。
 彼にとって、担任教師との恋愛と言うものは特別なモノだろう。無論、私だって受け持ちの生徒とこんな関係になるなんて予測範囲外なのだから、例外ではないのだが。


『高校生の恋愛なんて、将来本気の恋の為の《恋の下見》ですよ!』


 いつか言った自らの言葉が、私を縛り付ける。
 そう遠くない未来、彼は私から離れて行くだろう。本当に愛する者を見付け、その人を愛し抜くのだろう。
 縋る事の出来ない私には、留める手立てなど有る訳もなく。変わりに、ずっと掴んだ儘の布団に更に指を食い込ませた。
 いずれ喪うくらいなら、こんな《特別》なんて欲しくなかったのに。








   終

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