想像越える現実、相対し変わる原理
タタル渓谷にて



 悩むべき事象は多々あるが、このまま此処に居ても仕方がない。
 やれる事からやる。かつて誓った言葉を胸に、ルークは記憶を辿った。同じ時を繰り返しているなら、タタル渓谷を下った先に辻馬車の馭者が水を汲みに来ている筈だ。同じように乗せて貰えれば、エンゲーブまで辿り着ける。
 問題は代金だが、エンゲーブくらい迄なら周辺の魔物を倒していけば足りるだろう。
 ルークはティアに気付かれないよう小さく深呼吸をすると、不遜な態度で彼女の疑問に答えた。

「なんでって、師匠がそう呼んでたじゃねぇか。お前だって、俺の名前聞いただろ?」
「……そうね」

 ルークから、軽く相手を馬鹿にした空気を感じたのか、ティアの顔からは完全に心配の色は消えていた。
 冷ややかな目に、捨てた筈の自分を演じる事に苦痛を覚える。
 だが、記憶通りならば今のティアはヴァンを完全に見切れていない。カイツールでの合流を考えると、現時点では愚かで傲慢な貴族の息子である必要があった。
 何を偽っても、誰が相手でもこの記憶は秘すべきだ。
 待ち受ける未来を変える為に。 
 悲劇を避けれた所で、過去に犯した罪が消える訳ではない。だが、ひとつでも多くの命を、この世界に繋ぎ止めたいのだ。
 ヴァンに訝られると先が読めなくなる為、ある程度は過去をなぞる必要がある。それでも、犠牲は出したくなかった。
 先ずは獣の女王と、戦艦の乗員たち。果たして、限られた中でどれだけ動けるのか。
 先が見える故の不安を抱えながら、ルークはティアを促し渓谷を下ろうとした。
 刹那、彼女の背後に見えたのは一匹の魔物。この付近に出没する中でも、大型に分類される魔物だ。縄張りを荒らす異分子を排除しようと、かなり気が立っている。
 ティアも即座に反応を示したが、この距離では譜術は間に合いそうになかった。小さなナイフで戦うには、悪過ぎる相手だ。
 考える前に、ルークの体は動いていた。手元には稽古用の木刀しか無いが、何もしないより余程良い。
 ルークは一気に間合いを詰めると、威嚇の意を込めて技を繰り出した。

「――双牙斬ッ」

 突然の攻撃に、魔物の意識がティアから逸れる。排すべきは別にあると思ったのか、魔物はルークに向かい突進をした。
 旅の終盤辺りなら、簡単に避けれたであろうスピード。記憶があるだけで、実際には戦い慣れていない身体は魔物の動きを捉えれても、反応を返せるだけの反射が出来ていなかった。
 せめてダメージの軽減を図ろうと、激突の方向に飛び退き直撃を避ける。思った以上に衝撃は無く、ルークは即座に起き上がる事が出来た。得物を強く握り、魔物が体勢を持ち直す前に鼻っ柱を叩きつける。
 木刀に大した殺傷能力は無いが、急所を衝かれた魔物にはたまった物ではない。低い呻きを上げると、魔物はその場に昏倒した。

「あ、ありがとう……」
「礼なんて要らねぇよ。それより、怪我はないか?」
「大丈夫よ。貴方こそ大丈夫なの?」

 再び、ティアの瞳に優しさが宿る。それに気付いた途端、ルークは失敗したと思った。
 つい心配してしまったが、過去の自分は心配などしていただろうか。
 この頃、さんざ説教された覚えはあるが、礼を言われた記憶は全く無い。
 何とかこの場を誤魔化そうと、ルークはぶっきらぼうに言葉を返し足を踏み出した。

「べ、別にこんぐらい何ともねぇっつーの!行くぞ!」
「行くって……貴方、此処が何処か判ってるの?」

 ティアの言葉に、ぴたりと足が止まる。自然に下りそうになっていたが、普通なら先ず現在地を確認するだろう事実に漸く気付いた。
 現時点でのルークの行動は、世間知らずな貴族というよりも不審者のそれに近い。
 青い目から送られる訝りの視線に耐えながら、ルークはティアの示す行程を辿った。



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